それだけが真実
03

 大部屋に戻り、一味が顔を突き合わせていた。話すのは浴室でも上がった議題だ。今夜発つと提案するナミに腕を組んでゾロがうなずく。
「妥当だと思うぜ。もう長居する理由はねェからな」
「そうだな。海軍の動きも気になる」
 ロザリーが教えた情報をナミが共有するとサンジやゾロは神妙に眉を顰め、ウソップが「そんじゃホントにもう時間がねェじゃねェか…! どーすんだよぉ!」と青くなった。
「ルフィ! お前が決めろよ!」
「よし! もいっかいアラバスタ料理食ったら行こう!」
「すぐ行くんだよバカ野郎!」
「あだっ!」
 食欲に支配された呑気な船長がボカッとゾロに殴られている。猶予がない。ビビが唇を噛んでいるのを横目に、ロザリーは立ち上がった。倉庫に置いてある荷物を取ってこようとドアを開けると、なぜか兵士が立っている。

「ちょうどよかった! 今伺うところでして」
「何か…?」
 兵士は「ご連絡が届いています」とロザリーに電伝虫を差し出した。
「電伝虫?」
「誰から…?」
「"ボンちゃん"という方です」

 本当に誰…?

「誰か知ってる?」
「誰も知らねェぞ…」
「ですが友達だと言い張るので…」
 兵士も大変困っていた。だが、城にいる海賊に友達だと連絡を掛けてくるその豪胆さと確信は、たしかに知り合いなのかもしれない。海兵は連日城に詰め寄せているが、確信はしていない様子だった。
 戸惑って受け取ると、兵士は去っていった。とりあえずベッドに乗せておく。

「まァ…話してみよう」
「ワナかもしんねェぞ。やめとけ」
 だが、麦わらの一味がこの城にいると確信を持って連絡を取ってきた相手を放置するわけにもいかない。サンジが受話器を取った瞬間、聞き覚えしかない笑い声が響き渡った。

『モシモシィ!? モッシィ!? がーっはっはっはっは!! あァちしよォ〜〜!! あ! ち! し〜〜〜!!! アッ』

 心底ゲンナリしてサンジは瞬間的に通話を切った。尻切れた語尾が虚しく途切れ、一瞬沈黙したかと思えば、即座にまたけたたましい通話音がかかってくる。

 彼は…たしか、ボン・クレー。ロザリーは彼に手痛い敗北を味わわせられている。忘れていた苦い悔しさが滲んできた。
 どうやら彼は上手く海軍の手から逃れたようだが、なぜわざわざ城に連絡を取ってきたのだろう。

 今度はルフィが受話器を取って「おうオカマか!? おれ達になんか用か?」とまるで因縁など感じさせない態度で答えた。
『アラ!? その声は麦わらちゃんねーい!? アンタ強いじゃなーい!! あちしびっくらコイたわ!!』
 麦わらちゃんって呼ばれてるんだ……。
 ルフィのあっけらかんとした態度にも、ボン・クレーのまったく変わらない相変わらずの賑やかさにも、呆れるような、気圧されるような。

『そーそー、Mr.2ってあちしのこと呼んじゃダメよ! 電波が海軍につかまったらあちし大変だから!!』
「今自分で言ったぞ」

 う〜ん。やっぱり彼はバカなのかもしれない。麦わらの一味と相性がいい理由がわかる。
 一人で騒ぎ続けるボン・クレーにゾロが「さっさと用件を言え」と素っ気なくうながした。
『あ…そうそう、アンタたちの船あちしがもらったから!』
「「「フザけんな!!」」」
 当たり前のように言われたありえないことに、ルフィ、ゾロ、ナミが揃って声を荒らげた。ロザリーはこめかみを揉んだ。重要なことを言われたはずなのに、ふざけているようにしか聞こえない…。
 まさか船の強奪に走るとは。

「この野郎ジョーダンじゃねェぞ!! 今どこだ!!」
『アンタたちの船の上ェ〜〜〜〜』
「よりによってコイツ……!」
『違〜〜〜うの!! 違〜〜〜うよう!! あちし達……友達じゃな〜〜〜い!?』
 電伝虫が、ボン・クレーと呼応してニヤけた表情をしている。弁明しているはずだが、煽っているようにしか見えない。
 だが、被告人の主張では船を奪ったのではなく、避難させたらしい。海軍に没収されないように、「友達」であるルフィの船に乗り、サンドラ川の上流にいる。
 その主張は著しく疑わしいとロザリーは思ったが、一味は彼が待つというサンドラ川に行くしかない。

 電話を切った後、沈黙が流れた。
「……信用できるか?」とサンジ。
「一度は友達になったんだけどなー」
「お前ならまたならそうで怖ぇよ」
 あ、友達だと思ってなかったんだ……?
 ロザリーの目から見れば、ルフィの態度はあまりにもフレンドリーな気がしたが、彼的には友達ではない人間への態度らしい。わ、分からない。
「……でも行くしかないぞ」と真っ当なチョッパーの意見にみんな同意だった。既に船を奪われている以上、一味には選択肢がない。
「おれ達をハメようってんなら…そん時ァブチのめすだけだ」
「そうと決まりゃさっさと支度だ」
 意外と血の気の多いサンジと、ストレートに血の気が多いゾロを皮切りに一味は準備を始めた。ロザリーも倉庫に向かう。
 埃っぽい倉庫にひっそり隠しておいた、自分の逃亡用の荷物を掴んだとき、ロザリーはふと気付いた。

 今……ひとりだ……。

 自分が今、とてつもなく逃亡に適した瞬間にある。そのことに気付いて、一瞬動けなくなった。固まったまま脳内が目まぐるしく思考を始める。

 麦わらの一味は今すぐ城を立たなければならない。ロザリーが戻らなければ騒ぎにはなるだろうが、探している時間はないはずだ。アラバスタに馴染む服にはすでに着替えてある。目の前には生きるのに困らない荷物がある。ここにメモや書き置きを残しておけば…兵士か誰かによってビビに伝わる。もしかしたら一味が出発する前に見つけてもらえるかもしれない。そうすれば彼らの出発を遅らせることなく、彼らと別れられる。

 船に一緒に乗って逃げることと、今この場から花びらのように消え去ること。
 天秤で量って、量って、量って……。
 傾いた答えに、深く息を吐く。
 別れることに後悔はない。だが、ここまで乗せてもらった恩を仇で返すのは本意ではなかった。


 大部屋に戻ると、みんなほとんど荷物を纏め終えていた。
「ロザリー! どこ行ってたんだよ、もう出るぞ!」
「うん」
 ビビ……。
 ソファに座って、俯いている彼女を見つめる。ギュッと拳を握りしめていた。

「ねェみんな…」
 小さな震え声でビビが問いかけた。思いつめた表情で、ほとんど縋るように。
「私……どうしたらいい……?」
「…よく聞いて、ビビ」
 ナミが真剣な眼差しで答える。
「12時間猶予をあげる。私達はサンドラ川で船を奪い返したら、明日の昼12時ちょうど! 東の港に一度だけ船をよせる!! おそらく停泊は出来ないわ…。あんたがもし…私達と旅を続けたいのならその一瞬だけが船に乗るチャンス! その時は歓迎するわ! 海賊だけどね…!!」

 ニッと海賊らしい、悪戯っぽい笑顔を浮かべるナミ。
 かける言葉のなかったロザリーだが、ビビへの選択肢を用意していた彼女に、尊敬の念を抱いた。そしてその、懐の深さ…情の深さにも。

「きみは一国の王女だから、これがおれ達の精一杯の勧誘だ」
「来いよビビ!! 絶対来い! 今来い!」
「やめろってルフィ!!」
「何だよお前ら来てほしくないのか!?」
「そういうんじゃねぇだろ、ビビが決めることなんだ!」

 ルフィが駄々を捏ねる。一緒に来いという熱烈な勧誘も嬉しいけれど、決めるのはビビだと、ある意味で突き放される誘いのほうが、きっと気が楽だ。
 彼らは情が深いが、海賊だ。だから別れの帰路にいるこの瞬間でも、どこかさっぱりしている。
 ロザリーは…ビビを見つめた。
 もうひとつの自分の人生。その体現者。
 何か声をかけようかと口を開けて…野暮な気がして何も言わずに閉じた。ただじっと、彼女と目を合わせる。微笑んだままうなずいて、ロザリーは背を向けた。
 彼女とふたりきりで話したあの夜がすべてだった。

*

 六つの影が砂漠を駆ける。一味は超カルガモ部隊の背に乗って一心にサンドラ川に向かっていた。ロザリーは小さなチョッパーを抱えていた。
 ルフィは城をどこからどうやって持ってきたのか分からない食事をバクバクと豪勢に口に詰め込んでいる。追っ手もなく、静かな夜に一味は一時の安寧を味わっていた。
「砂の国ともお別れか……おれ様を筆頭に大変な戦いだったなァ。…おいルフィ、いつまで食ってんだ」
「アラバスタ料理は最高だぞ。サンジ今度作ってくれよ」
「ああ。おれも興味あってな。テラコッタさんにレシピをもらってきた。香辛料も少しな」

 呑気な、一見平和な会話だ。危機感は見られず、けれどこれくらい悠然としていたほうが良いのかもしれない。
 ロザリーはちらりと横を走るナミを見た。カルガモに乗りながら常にやかましく喋り続けている男たちの会話に、普段なら率先して混ざっている彼女は、今は切なく俯いてしまっている。
 ナミとビビは仲が良かった。ロザリーが乗る前は女子二人きりだったのもあり、気のおけない友のような関係だった。

「ナミ、具合悪いのか?」
「ナミィ! 肉一個やろうか。一個だけ」
「……」
 チョッパーが心配そうにたずねた。顔を動かすたびにふわふわの毛皮がてのひらを擽る。
 船長も懐が深いようでまったくそうでもない励ましのようなことを言った。あの、人から食事を奪うことがデフォルトなほどの大食らいで食に対するモチベーションが高いルフィが、自分から人に分け与えようとするくらいには、ナミの表情は冴えない。
 サンジが気遣わしげに声を掛ける。
「ナミさん……ビビちゃんのことだろう? 気持ちは分かるよ。でも、考えたって始まらねェ。そりゃあれだけ仲良くしてたんだもんな……だけどホラ、顔をあげなよ…」
 寄り添うような言葉だったが、どうにも出来ないことだ。だから、諭す響きを帯びている。サンジはビビに対してもそうだったが…意外と、無条件に優しく慰めるのではなく、時に厳しくする優しさを持っている気がする。

「私…」
 絞り出した声がぽつんと滲んだ。
「諦める……ビビのためだもんね……」
 そう、ビビが決めることだ。そして彼女には彼女を望む民がいる。

「10億ベリー」
「「「ッッッたりめェだァ!!!!」」」
「金の話かよ!!!」
「じゅ、10億ベリー?」

 ナミは晴れやかにそう言い放ち、一味の怒鳴り声が揃った。サンジが愕然として珍しく強い口調で叫び、ロザリーは予想しない一言に脳内に疑問符が飛び交った。
「うわー! ウソップが落ちたァ!」
「てめェ紛らわしいマネしてんじゃねェぞ!」
「何騒いでんのあんた達? ビビのことなら心配したって仕方ないでしょ?」
「ウソップが落ちたァ!」
「ほっときなさいって」
「「「お前のせいだろ!」」」
 仰天したウソップが転がり落ちていった。あっけらかんとした傍若無人なナミの態度に、事情が分からないながらも、そのギャップにロザリーは思わず声を上げて笑った。

「ふ、ふふっ…ナミって本当……あはは!」
「珍しいじゃない、そんなに笑うなんて」
「無邪気なロザリーちゃんの笑い声……砂漠に染み渡るオアシスのようだ♥」
「10億ベリーってなに? ふふ、国王をゆするつもりだったの?」
「私をどこまであくどいと思ってんのよアンタ!」
「いやあれは脅迫だっただろ」
「黙りなさい!」
「ふ、ふふふっ」

 ビビを船に乗せ、アラバスタへ送り届ける報酬として元々10億ベリーを吹っかけていたらしい。始まりの始まりはそんなナミの打算だったと知り、ロザリーはさらにお腹を抱えた。
「ホントおかしい…! ふふ、これだからナミが好きよ」
「な、なんなの急に…」
 ちょっとたじろぎ、ツンとナミが答える。サンジがその様子を目をハートにして眺めながら「でも、良かったぜ」と煙をくゆらせた。
「ナミさんも落ち込んでなかったようだし、ロザリーちゃんも大丈夫そうだ」
「わたし?」
「きみはいつも素敵な笑顔を浮かべてるからな」
 遠回しに感情を隠すと言われ、ロザリーはフッと微笑む。
「わたしは大丈夫よ。出会いがあれば別れがある。もしビビが船に乗らない道を選んだとしても、ビビにはこの国での未来もあるし、お互い生きて別れられるのは喜ばしいことよ」
 リュカとの別離もそうだ。
 自分の正体を隠し、身を潜め、出会った人と絆が生まれてしまっても、お互い傷つかずにさよならが出来る。それはロザリーにとって何ものにも変え難いことだ。エースも、リュカも、ビビも、ロザリーと深く関わりながら、未来への展望がある。ロザリーが足枷になっていない。未来を奪っていない。罪悪感を抱かず、自己嫌悪を抱かず、安堵して生きていける。

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