焔と雨
03

「……ッ!」

 ハッ、とロザリーは飛び起きた。上下する胸を抑え、呼吸を整えながら周りを見る。見覚えのない城の中で、周りに一味たちが眠っていた。
 さっきのは、夢だ。最悪の目覚めにロザリーは強く瞼を瞑る。
 ビビに感化されたから、こんな夢を見たのだろうか……。
 小さかったロザリーは、民や兵士に声を届けようなんてしなかった。それを後悔していたのか、叫べば何か変わると思いたかったのか……意味のない考えが、悪夢を見せたのかもしれない。
 でも、夢を見なくても分かっていた。
 故郷は、王命によって島に火をつけなければならない事態に追い込まれた時点で、詰んでいたのだ。革命によって滅んだのではない。民が豊かさを望み、王家が外敵に気付けず、富を受け入れるようになったこと自体が、もう……。

 母はロザリーに「幸せになって」と言った。
 でも、どうすれば幸せになれるかなんて、分からない。幸せが何なのかも、もう、分からない。
 故郷が革命の戦禍に飲み込まれる前の生活は、幸せだと呼べるものかもしれない。お母様とお父様がいて、満ち足りていて、みんな笑っていて……。
 でももう、その全ては失われたのに、どうやったら幸せになれるの?
 そもそも、自分が幸せになるべき人間であるとも、ロザリーには思えない。娘を逃がしてくれた母と真逆の罪深い所業を行ったのに……。
 幸せになる方法も、幸せになっていいのかも、幸せがなにかも分からない。
 分からないよ……お母様……。


 瞳の涙を拭い、いそいそとベッドから起き出して、窓の外を眺める。空は曇り、雨が降っている。この国が待ち望んでいた景色だ。
 アラバスタは間に合った。
 それは救いに似ている。
 なんの意味もなく生きながらえてしまったこの命と人生に、意味を与えられたような気持ちになるのだ。
 酷いエゴよね、とロザリーは苦い自嘲の笑みを浮かべた。

 ザー……と響く雨の音が、静かに城に響いていた。
 窓に反射する緑がかった金髪が映る。唯一、故郷を宿すその髪……ローレル・グリーンの髪。故郷の島の人間たちに多く受け継がれるその髪をロザリーは愛していた。故郷を愛していた。あの頃の生活を愛していた。
 手配書が出て懸賞金を掛けられ、追われる生活が始まっても、この島の外の人間にはない特徴的な髪を、切ったり、染めたりしなかったのは、そのせいだ。愚かだと分かっていてもロザリーは……死んだ父と同じ色の髪を……失った故郷と家族、そこでの生活を……。
 もう、故郷に居場所はないのに。
 この世界にも居場所はないのに。
 だからこそ、幸せだった記憶と、その繋がりであるこの髪に縋りつきたいのかもしれない。愚かな感傷だ。

「起きたのかい? ロザリーちゃ…ッ!」

 声をかけたサンジは思わず息を飲んだ。振り返ったロザリーが無表情に涙を浮かべていたからだ。桃色の瞳がどこまでも暗く澄んでいた。
「あら、サンジも起きていたの。みんなよく眠ってるわね…」
 常と変わらず、小さな微笑みを浮かべる彼女は、自分が潤んでいることに気付いていないようだった。サンジは指摘せずに、そっとロザリーに近寄ると、瞼の下を優しく撫ぜた。
「城の人が食事を用意してくれてるぜ。美味いもんを食べて、少しでも君の痛みが癒えればいいんだが……」
「あ……」
 サンジの指先に僅かな水滴がついている。ロザリーはようやく自分が泣いていることに気付いたらしく、小さな声を上げると眉をしかめた。しまった、と顔に浮かんでいる。その表情は一瞬で消え、彼女は困ったように微笑んだ。
「なんだか気が緩んでいたみたい。反乱が収まったことも、この恵みの雨も、なんだか眩しくて……」
「……」
 サンジは何も言わなかった。彼女の言葉に否定も肯定もしない。だが、悲しかった。ロザリーの表情は希望に満ちたものではなかった。絶望……とも違う。
 ただ、虚しさと諦めに満ちた横顔。
 それを誤魔化してしまう彼女が、サンジには切なかった。

 ロザリーの後、他の一味も目を覚まし始めた。ルフィだけがこんこんと眠り続けている。彼の肉体的な疲労は凄まじく、高熱にうなされる彼をビビとチョッパーが甲斐甲斐しく付きっきりで看護する。

 ルフィを除いた一味は歓待を受け、毎日宴会のような豪勢な食事に舌鼓を打った。この国も復興で忙しいだろうに、コブラ国王を始めとした城の人間たちは麦わらの一味に言葉に出来ないほどの感謝を抱いている。
 ルフィが目を覚ますまでの間、一味は城で思い思いに時間を過ごしていた。
 ロザリーは……自分がどうすべきなのか、考えてはいたが、答えが出ずに悩んでいた。猶予はない。ルフィが目を覚ましたら、選択権は与えられないだろう。そして彼の意志をロザリーが折ることは出来ないだろうし……彼の伸ばす手を振り払うことも難しい。自分でも分かる。この短時間で、ロザリーは彼らに希望を見すぎてしまった。振り払うことは出来ない……でも、掴むことも、ロザリーには出来ない。

「買い出しに行ってくるわ!」
 ピカンピカンと輝かしい笑顔でナミがウソップとサンジを両腕に掴んでいる。ウソップはゲンナリし、サンジは目をハートにしてくねっている。
「さすが王族、太っ腹だわ♥」
 機嫌がいいのは、買い出しのための資金をネフェルタリが保証してくれたからだ。戦の傷跡が根深いため、そう大してたくさんは買い溜められないだろうが、他人のお金でショッピングなんてナミにとっては垂涎ものだ。
 ロザリーはふんわりと「行ってらっしゃい」と手を振る。
「あんたは行かないの? 服とか…何か欲しいものあるなら一緒に選んでくるけど?」
「わたしは今あるもので充分よ」
「そう? 物欲がないわねー」
 ロザリーは常に身軽でいたいのだ。
 一人になろうとする自分を嘆いて後悔しても、自分の事情に相手を巻き込んでしまう罪深さを思えば、性分も行動も、やっぱり変えられない。
 三人を見送り、ゾロはチョッパーの目を盗んで鍛錬に行き、ビビとチョッパーは未だ深く眠っているルフィを診ている。

 一人になって、ロザリーも城下町をダラダラと物見遊山に出歩いていた。昨日は城内の散策や、城の使用人たちと会話に勤しんでいた。
 町は賑わいを見せている。
 終戦の気色に溢れ、活気があった。兵士たちが中心となって瓦礫の撤去やパトロールをしつつ、男たちは建物を修復して、女たちがものを売る。海兵がうろついていたが、もちろん変装はバッチリしていたので、見咎められるようなヘマはしない。
 特徴に溢れた髪を前髪ごと後ろでひとつに束ね、アラバスタの民族衣装に身を包む。この国はゆったりとした服が多く、陽射しから身を守るための深いフードもついているから、顔を隠すのにうってつけだ。
 ロザリーは自分用にアラバスタの民族衣装を1セット買っていた。踊り子衣装もあれはあれで使い道があるだろうし、ユノハナ、ユバ、エルマル、レインベース、アルバーナ……この国の様々な町を意図せず巡って、文化に直に触れ合ったため、「アラバスタ出身」だと演じやすい。潜伏のための知恵や衣装はいくらあっても困らないものだ。

 彼女の一人旅に必要なのは、身を隠すための服、水。以上だ。最低限の荷物しか持たない。お金や宝石類、それから食物も一応多少だけ持っているが、それは船に置いてきてしまっている。まぁ、金など稼ぎ方はいくらでもある。盗んでもいいし、身体を売ってもいい。食べ物は自分で作り出せる上に、陽光と水さえあれば、クサクサの実の植物人間であるロザリーは生きていける。
 雨が降ったとはいえまだ貴重な水を持てるだけ買い込んだ。王宮からのお金はナミが管理しているため、踊り子衣装を買った際にサンジが張り切って選んだ黄金のアクセサリーを全てお金に変えた。
 香水は…どうしようか。彼がロザリーのために選んだ、砂漠の夜を彷彿とさせるどこかセクシーな香り。プシュッと首筋に一吹きする。ロザリーの甘く儚げな雰囲気とアンバランスなのに、それが妙な色気を醸し出す。
 短期間なのにとても濃かった日々が思い返されて、これは枷になるな、と思う。今捨ててしまおうかとも思ったけれど、この美しい小瓶を叩きつけて割ることは出来なかった。溜息をついて、懐にしまう。
 エースも、リュカも、麦わらの一味もそうだ。
 身軽でいたいのに、思い出を彷彿とさせるものは重すぎる。ビブルカードも…香水も…。

 買い物が終わり、新しく買った飾り気のないカバンに大量の水とアラバスタの民族衣装、踊り子衣装、そして質素なワンピース数着、少量の食糧を詰め込む。運ぶことに支障はないが、けっこうな大荷物だ。
 城に戻る途中、物々しい様子の海兵がうろついていた。この町に普段から顔を出している海兵ではないことは、顔つきと態度から分かった。フローリェンでもそうだが、同じ場所に駐在する兵士というのは、住人に馴染み、好かれているものだ。

「お疲れ様です、海兵さん」
 ロザリーの親しみのこもった声掛けに、彼が足を止めて軽く敬礼を返した。
「どうかしましたか?」
「やだわ、用事というか、ただお礼を言いたかったんです。クロコダイルのせいでこの国はとても恐ろしい目に合いましたから、海兵さんが見て回ってくださってとっても助かっていて。でも、お仕事のお邪魔でしたか?」
「民を守るのが私どもの仕事ですから。海賊共の悪の手から守りますので、ご安心して復興に励んでください」
「まぁ、とっても頼りになるのね。でも…」
 あえて、口元に手を当ててふと、俯く。そうすると彼女の陰りのあるアンニュイな雰囲気が際立った。
「最近海兵さんたち、怖い顔でパトロールしているでしょう? 海賊の残党が捕まっていないとかなんとか…。クロコダイルはカジノを経営していたくらい仲間が多いみたいですし、わたし、少し不安で……」
「もちろん残党の捜索も抜かりなく進めております。国の外からも精鋭の海軍が集まり、警備は万全です。私もその一員なのですよ」
「まぁ、そうなんですか? 精鋭の一人だなんて、お強いのね。頼もしいわ」
「いえ、それほどでは」
「謙遜なさらないで。あ、そうだ、よければこちらいかが?」
 雑談に興じながら、カバンを漁るふりをしてロザリーは手から果物を作り出した。アラバスタで取れる果実だ。ロザリーは調理していない植物や果実を食べれば、その特性をその身に取り入れたり、生み出すことが出来る。
「先程買ったばかりですから新鮮ですよ。よければパトロールのお供にどうぞ」
 物理的に採れたての、みずみずしい果物を差し出して、害のない有機的な微笑みを浮かべると、少し悩んだ末、「ではありがたく」と海兵が受け取る。
「精鋭というと、どんな方たちが来てくださったんですか?」
「海上戦闘に一家言持つ大佐が軍を率いて待機していますよ。国から逃げることはおろか、外からの侵入も蟻一匹許さないでしょう」
「まぁ、大佐? お偉い方が来てくださったんですね、安心だわ。復興途中は海賊に狙われやすいですもの…。アラバスタを守りに来てくださった大佐さんはなんておっしゃるの?」
「ご存知かは分かりませんが、ヒナ大佐と申します。黒檻のヒナと名高いのですよ」
「く……」
 クールだった兵士がやや得意げに胸を張った。その名を聞いて口の端が引き攣るが、ロザリーは笑顔を浮かべたまま、申し訳なさそうな顔を作った。
「ごめんなさい、存じ上げませんけれど、そのヒナ大佐には感謝しなければなりませんね。兵士さんもいつもありがとうございます。あ、いけない、長々とお仕事の邪魔をしてしまってごめんなさいね」
「いえ、大したことでは。それでは私は職務に戻ります」
「お疲れ様です」

 会話を切りあげたロザリーは内心にて「げええっ」と顔を歪めていた。黒檻のヒナ。もちろん彼女を知っている。若い身の上で大佐まで登り詰めた彼女は当然のように能力者であり、詳しくは知らないが[[rb:超人系 > パラミシア]]の捕縛に優れた力らしい。[[rb:自然系 > ロギア]]のロザリーは相性が良いが、黒檻のヒナは個人の武勇も優れていながら、恐ろしいのはその指揮能力と統率の取れた集団戦なのだ。
 統率の取れた突破りのある軍隊ほど海の上で怖いものはない。
 蟻一匹も通さないというほどだから、数を揃えてきているのだろうか……。
 評判は知っていても、実際の戦闘の様子をロザリーは知らない。

 ここ数年のアラバスタは海賊の格好のカモ状態にあった。干ばつで内乱が起き、乱れた治安に乗じて海賊がやって来て、それをクロコダイルが討伐するというマッチポンプ状態であったわけだが、そのクロコダイルが落ちたとなれば、またカモになるのは必然だ。だから適当な海賊船に乗るか、いずれ出るだろうアラバスタの交易船などに乗るつもりだったが、黒檻のヒナが去るまでは、この国のどこかに身を潜めた方が良さそうだ。
 交易船を出せるようになるくらい復興が進むまでこの国に滞在する必要がある。潜伏期間が伸びることになるだろう。

「海賊の身柄を差し出していただきたい!」
「捕縛に協力を!」
「あ、チャカさん、お疲れ様です」
「おう、おかえり。みんな戻っているぞ。夕食もまもなく出来るだろう」
「あら、みんな早いのね」

 宮殿の階段の前でチャカの横を通り過ぎる。アラバスタは砂漠の国だから、他のどことも違う郷土料理や野菜があって、料理がとても美味しいのだ。今日の食事は何かしら…と思いながら通り過ぎようとして、はたと足を止める。

「そういえばチャカさん、ちょっとご相談が」
「む、どうした?」
「海賊の隠匿は重罪になるぞ!」
「うるさい、存ぜぬと言ってるだろう! 今取り込み中だ、散れ! 相談とは?」
「ええ、ちょっとこの荷物をどこかに置いておきたくて。食糧を買ってきたのだけれど、サンジが買った備蓄と一緒にしておくと、うちの船長さんが見つけて食べてしまうかもしれないもの。分けておいておきたいんです」
「はは、リスク管理というわけか。兵士に案内させよう」
「助かるわ」
 これで荷物の隠し場所も安心だ。今日の夜にでも城を立とう。チャカの指示を受けた兵士について行くと、チャカが警備に戻る。昨日から続く海兵の締め付けには呆れてしまう。よくもこう毎日来るものだ。背中でチャカが「証拠もないのに王族を疑うなど不敬にも程があるぞ!」と海兵を蹴散らしているのが聞こえた。

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