焔と雨
02

 目の焼ける光と、爆発の余波が過ぎ去った広場に、張り詰めたような沈黙が落ちた。
 だれもかれもが言葉を失い、動きを止めている。

 涙は出なかった。ただ、深い尊敬と……虚しさがあった。
 これで……革命が終わる。彼の死に意味はある。けれど、ロザリーやビビに力と手段があれば……彼はビビの隣で笑っていられたはずだ。
 父と母はロザリーと共に生きていてくれたはずだ。
 考えても詮無き虚しさ。

 瞳を伏せたロザリーの耳に、地の揺らぐような「オオオオ!」という雄叫びが届いた。
 喜びの咆哮とは違う、もっと闘志に溢れた生々しい……。

 時計台から身を乗り出す。
 民衆が武器を振りかざし、雄叫びを上げ、ぶつかり合っている。血飛沫と砂が舞い、人が倒れていく。
 砲弾が爆発する前と変わらぬ戦禍が眼前に広がっていた。

「な、なんで……」

 もう戦う意味なんてないのに。
 ここまでの大爆発があって、なぜ、歩みを止めないの。なぜ……。狂気に犯されたような民衆たち。
 ロザリーの胸に浮かんだのは恐怖だった。混乱が走る。
 ビビがよろめきながら立ち上がった。
 そうだ、今一番辛くて、苦しくて、絶望に打ち震えそうなのは彼女だろう。彼女を見上げる。
 ビビの目に涙は浮かんでいない。眼下を睨む彼女の表情は、決意なのか、絶望なのか、分からない。

「戦いを!! やめてください!!」

 力の限りに王女が叫んだ。

「戦いを!!! やめてください!!!」

 届かない民へ、ビビが叫ぶ。

「戦いを!! やめてください!! 戦いを!! やめてください!! 戦いを!! ゲホッ…やめてください……!!!」

「ビ、ビビ……」
 もう彼らは止まらないだろう。ビビの声は民衆たちの咆哮に掻き消され、届かない。それでも彼女は叫ぶのをやめない。
 意味がない。ビビには叫ぶことしか出来ないのだ。
 だがロザリーの心は震えた。心臓が熱くなり、その熱が瞼の奥に伝わって痛いほどだ。桃色の瞳が霞む。唇を噛み締めて、ビビの叫びによって伝導した熱が涙となって瞳に浮かんだ。
 彼女はバカだ。悲しいほどに……まっすぐで……。
 ビビの声は民には届かなかったかもしれない。でも、ロザリーや、仲間の耳には届いた。

「そうよね…出来ることをしなきゃ」
 時計台から飛び降りる。ナミが怒鳴った。
「あん達何ボーッとしてんのよ! 殴ってでも蹴ってでもいいから反乱を止めるのよ!! さァ早く! 行って!! 1人でも多く犠牲者を減らすの!!」
「戦いを!! やめてください!!」
 ナミの瞳にも涙が浮かんでいた。ビビが壊れたように叫ぶ。何度も、何度も、何度も……。こんなに悲痛な声が届かないのなら、届けるのがロザリーたちの仕事だ。
 悲しいだけの戦争なんて早く終わらせなきゃいけない。
 あの気高い戦士の死を意味のないものにさせてはいけない。
 サンジが民衆を蹴り飛ばし、ゾロが峰で打ち飛ばし、チョッパーやウソップが縋り付く。民は歩みを止めない。ロザリーが黄色の花びらで切り裂いても、ナミが風を起こしても、民は戦いを止めない。
 国を取り戻したい。幸せになりたい。
 愛はここまで狂気を生む。
 ロザリーはそれを愚かだとは思わない。ただ、ただ……切なくて、苦しい。

 この国に来てから、ロザリーは何度も自分の無力さと愚かさを引き摺り出されるような気分になった。
 血を吐くように叫び続けるビビ。彼女の気持ちを最も分かるのは自分だと思っていた。まだこの国は止まれると思っていたし、ビビは自分とは違い、国を救うことが出来る岐路に立っていると。
 でも、違った。
 無力なのも、愚かなのも自分だけだった。
 ロザリーとビビは違う。幼さも無力さも言い訳にはならない。

 ロザリーはビビほど必死ではなかった。ビビは無力さを理由に諦めたりしない。逃げたりしない。叫びを止めたりしない。この国の民と同じように。
 ビビはロザリーのように一人になろうとはしなかった。逃げたりしなかった。クロコダイルへの憎しみではなく、この国を愛する気持ちで歩んでいる。
 ロザリーはそう出来なかった。そう……しなかった。
 あの時、ここまで必死になっていたなら、何かが変わったのだろうか。
 ロザリーが一人になろうとしなければ、ロザリーの叫びが誰かに届いたかもしれないのに。エースの船を降りたのも、未だに故郷に戻れないのも、何度ヒューマンショップを襲撃してもなにも成せないのも、誰かが自分のために死んでいくのも、ロザリーがずっと……他人を拒絶しているからだ。
 声は届く。痛みは届く。叫びは届く。
 だから今こんなにもロザリーは熱く燃えて……涙が溢れるのだ。
 アラバスタは救われるべきだ。ビビは、民たちは救われるべきだ。
 じゃなきゃそんなの……嘘じゃないか。


──ドゴオォォン……!!


 地響き。鈍い音と共に、空に黒い小さな影が飛んだ。
「クロコダイル……!?」
 たなびく黒いコート。紛れもなくあれは……。
 呆然と見上げる中、サンジがぽつりと言う。
「なんであんなトコから飛び出してくんのかはわからねェが…!」
「……そうさとにかく……!」

「「「あいつが勝ったんだ!!!」」」

 一味の声が揃う。狂気と絶望と無力感の最中にあった彼らの顔に、一気に明るい希望が灯る。ロザリーも頬に涙が伝うのを感じながら、うるうると心が震えるのを感じていた。

 ポツリ、と地面に雫が落ちた。
 それは頬を伝う雫ではなかった。
 それは、空から落ちていた。ポツリポツリと勢いを増す水滴に、未だに刃をぶつけ合わせていた民たちがハッと顔を上げる。

「雨……」
「雨だ……! 雨が戻ったんだ!」

 武器に迷いの生まれた民たちの間で、煙が雨で晴れていった。開けた視界の中で、王女が叫ぶ。

「もうこれ以上……!! 戦わないでください!!」

「……」
「ビビ様……?!」
「王女は不在のはずでは…」
 民が動きを止め、武器を下ろした。王女を見上げる。ナミがつぶやいた。
「…ビビの声が……届いた……」

 声は届く……。
 届くんだわ……!

 この気持ちがなんなのか、分からない。
 ペルの死も、民の国を思う気持ちも、ビビの叫びも。全てが繋がって、希望になる。希望にしてくれる人がいる。
 一人ぼっちの王女は、一人じゃない。
 ビビだけじゃなく、もしかしたら……もしかしたらわたしも……。


 倒れているクロコダイルを民が囲んだ。彼らは何も知らない。これから明かされてゆく。もう戦わなくていい。ビビの声が届くから。

「今降っている雨は…昔のようにまた降ります」
 諸悪の根源はもういない。王女の言葉に民がどよめく。みんな、彼女の声に耳をそばだてている。
 ロザリーには、今の目の前の光景が希望そのものだった。ビビの瞳は潤み、頬を雨が伝っていた。

「悪夢は全て……終わりましたから……!」

 革命が、終わった。

*

 この国に起きた悲劇を民に説明するのは、この国に生き、この国のために戦った者たちに任せ、一味はその場を後にした。
 海賊が悪夢の源だったのだ。
 ここに他の海賊はいらない。

 イガラムという男の登場に、ビビだけでなく一味も目を剥いた。どうやら、彼が以前言っていた、亡くなったと思われていた大臣らしい。
 事情はよく分からなかったけれど、生きていたのは僥倖だった。
 この数年に渡るクロコダイルの策略の中で、ビビはペルという腹心は失ったが、イガラムは戻ったのだ。これで少しでも傷が癒えるとよいのだけど…。言葉を失っている彼女をロザリーは想う。

 戦禍の傷跡が根深い街の中を一味はさまよっていた。我らが船長を探すためだ。

「オイ、お前しっかり歩けよ」
「ああ、それが聞いてくれ…これ以上歩いたら死んでしまう病に」
「じゃそこにいろ」
「待てって!」
「うふふ」

 全身包帯で巻き巻きされたウソップがゾロとギャーギャー喚いている。ほんの少ししか一緒にいないはずなのに、日常が戻ってきたという感じがして、ロザリーはほろほろと微笑んだ。
 ゾロが逆さまにしてウソップを運び、「なんで足を」と呻いている。

 じゃれていると、ルフィをおぶった血塗れのコブラ国王が向こう側からやってきた。驚きに足が止まる。
 ルフィは気を失っていた。壮絶な戦いの名残を感じる。

「君たちは……?」
「アア、あんたのその背中のやつ運んでくれてありがとう。ウチのなんだ。引き取るよ」
「では君らかね。ビビをこの国まで連れてきてくれた海賊たちとは」
「ア? おっさん誰だ?」
「ち、ちょっと……」

 この方をどなただと……!
 神の系譜であらせられるのに……!
 ギョッとしたロザリーが説明する前に、可愛らしい「みんな! パパ!?」というビビの声がした。

「パ……パパ!? ビビちゃんのお父様!?」
「あんた国王か」
 目を剥くサンジとはうらはらに、ゾロは国王相手にも堂々と……というかもはや不敬なほど態度が変わらない。
「一度は死ぬと覚悟したが、彼に救われたのだ」
 だが、彼は怒ることもなく、穏やかに眠るルフィを見つめた。その瞳には感謝と尊敬が深く宿っている。

 彼はルフィとクロコダイルの戦いを訥々と語った。毒を受けたらしいが、その毒も中和されたらしい。後に残す心配は、これでもう本当にこの国の行く末だけというわけだ。

「だがケガの手当をせねば…君たちもな」
 ふと、コブラ国王がロザリーを見た。
「君も無事でよかった。だが、身体には負荷がかかっているだろう。彼と同じく一度はミイラになったのだ。水分が戻ったとはいえ、内臓にまだダメージが残っている可能性もある」
「! ロザリーもミイラに!?」
「大丈夫なのか!?」
「あのワニ野郎……!」
「平気よ……」
 ロザリーは苦笑して肩を竦めた。コブラ国王をまっすぐ見る。彼はネフェルタリ。だが彼に感じる畏怖は形を変えていた。神の血筋ではなく、その王としての在り方にとめどない尊敬の念が絶えない。

 彼がいる限り、アラバスタは大丈夫だ。

 そう思える王を戴いてるこの国は幸せだ。ロザリーの国は……王をそう思えなかったから革命が起きた。そして……そう思えなかったのは、外部による者のせいで……そういうところも、ロザリーの国とアラバスタはよく似ていた。
 ロザリーの故郷は革命によって滅び、王族は処刑された。
 アラバスタは違う道を歩んだことが、そしてその一助となれたことが、妬みも羨ましさもなく、ロザリーはただ、誇らしい。

「コブラ国王……」
 彼女は唇をそっと舐めた。
「ジョーカーのことは……」
 [[rb:切り札> ジョーカー]]……つまり、ロザリーのことだ。クロコダイルが得意げに語った場に、彼はいた。コブラは分かっている、という風に真摯にうなずいた。
 安堵に肩を撫で下ろす。
 彼は信用できる人だ。

 知られたくない。
 自分が生きていてはならない人間だと、この人たちに知られたくない。きっと、麦わらの一味はロザリーを成功への片道切符だとは思わないだろう。彼らに利用されることはかまわない。だけど、守られる存在だと思われたくない。ロザリーを利用しないなら、ロザリーの存在は災厄でしかないのだ。

「パパの言う通り、みんな手当を…」
「それよりビビ、早く行けよ」
「え?」
「広場へ戻れ」
 ゾロの言葉に間抜けな声を上げるビビに、それぞれが追従する。
「せっかく止まった国の反乱に…王や王女の言葉もナシじゃシマらねェもんな」
「ええ、だったらみんなのことも…」
「わたしたちは表に出るべき存在じゃないわ」
 ロザリーが静かに笑いながら首を振った。
「ビビちゃん、わかってんだろ? おれたちゃフダツキだよ…国なんてもんに関わる気はねェ」
 雨の中だというのに、サンジがタバコにシュボッと火をつけた。突き飛ばすような言葉だが、煙をくゆらせるサンジは笑顔だ。
 チョッパーは「おれはハラがへった」と身も蓋もなく言う。
 最後にナミが背中を押した。
「勝手に宮殿に行ってるわ。もうヘトヘトなの」
「……」
 コクッ、とビビがうなずく。この国を救ったのは、海賊ではなく、この国を想う王家と、ビビと、この国の民だ。麦わらの一味はビビに少し力を貸しただけ。ビビに笑ってほしいから。そう思わせたのは、ビビ自身の力だ。

 小さくなっていくコブラとビビを見送り、やがてフラッ……と彼らは気を失った。

*
*

 夢を見た。
 幼い頃の夢だった。

 ロザリーの故郷は、島の名産である木々に覆われた小さな緑の島だった。常に温暖な気候で、一年中緑が広がる豊かな田舎の島。
 花が咲き、農作物が一年中取れた。
 外の人間に侵されることのない秘められた島。
 少しだけフローリェンに似ている。ロザリーがあの島を愛したのは故郷に似ていたからだ。

 その島が夢の中で燃えている。
 森も、街も、島の全ては木に覆われていて……王の命令によって、兵士たちがその木を燃やし回っている。国民たちが逃げ惑い、悲鳴を上げている。武器を持って、兵士たちの悪行を止めるべき蜂起した民を、兵士たちが切り捨てていく。
 愛した島が燃えていく。
 ローレル。島の象徴である緑の木の名前だ。
 この国はローレルと共にある。民も、王も、全てはローレルと共にあった。
 この島はローレルそのものと言ってもよかった。
 それを燃やす王は、王でありながら、反逆者そのものにきっと民には見えていただろう。

 残骸と灰の積もった島は、緑の一切失われた、灰色の死の島になった。
 幼いロザリーは、何も分からなかった。
 戦ってほしくなかった。
 たまに降りる城下町で、笑顔で「今日は美味しいおやつがありますよ!」と声をかけてくれるレストランのおばさん、「おうお前ら! 今日ばかりは広場で喧嘩すんのはやめておけよ!」と豪快に笑う酒屋のおじさん、「ロザリー様の美しいローレル・グリーンに映えるバラを簪にいかがです?」と髪に花を飾ってくれた花屋のお姉さん。

 逃げる中で、動かない血塗れの人間をたくさんたくさん見た。この前まで笑いかけてくれた人たちを、ロザリーをいつも守ってくれる人たちが刃物で切りつけて、そうしたのだ。

 夢の中で小さなロザリーが叫んでいた。
「戦わないでください! もうやめてください!!」
 声は届いた。
 兵士たちと民の目がロザリーを見つめる。
「戦わないで……お願い……」
 民が叫んだ。血走った目でロザリーを見つめる。
「殺せ!」
「逃がすな!」
「捕まえろ!」

 この場にいるはずのない母が、ロザリーの手を引いて、走っていた。小さなロザリーが叫ぶ。

「戦わないでください! やめてください!!」
「金に囚われた王家に粛清を!」
「ローレルはこの国の宝だったのに!」
「その名を冠しておきながら、島に火を放った王家を許すな!」
「もうやめて!! お願い、戦わないで!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「ロザリー、あなただけは……あなただけは生き延びてね。いつか、どこかで幸せになるのよ」
「お母様は? お母様とお父様はどうなるの?」
 背後に民が迫っている。
 現実はそうならなかった。その前にロザリーは逃がされたから。
「わたしは、あの人と一緒に死ぬのよ」
 母は笑っていた。ロザリーは泣いていた。
「し、死んじゃうの? お母様……」
 なのになんで笑っていられるの? 母は笑顔でロザリーの背中を押した。
「わたしも、わたしも一緒に……」
「幸せになって!」
「お母様ぁぁ!」
 幼いロザリーが手を伸ばす。民の中に母が飲み込まれていく。お母様もお父様もいないのに、どうして幸せになれるの? どうやって幸せになんてなれるのよ!
 置いていかないで!
 夢の中のロザリーは、壊れたように繰り返す。
「戦わないでください!! もうやめてください!!」
 母の声が遠くに聞こえる。
「わたしたちは笑って死ぬのよ! 誰もわたしたちから誇りを奪うことは出来ない! わたしはわたしの人生を後悔しないわ!」

*
*

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -