焔と雨
01

「あと3分……!」
 ロザリーは花びらとなって街中を飛んで回った。砂嵐の風を利用して空から広場を見回しても狙撃手らしきものは見つからない。
 焦りが火傷のようにジクジクと皮膚の内側を引っ掻く。
 小さな点が走り回っているのは麦わらの一味の仲間たちだろう。とめどなく移動し続けているのを見れば、やはりまだ誰も見つけられていないようだ。
 銃声と誰かの悲鳴、飛び散る血飛沫たち。時間ばかりが刻々と過ぎてゆく。

 焦るロザリーの背に低い音が響いて、砂漠の血に赤い煙が立ち上った。
 戦う兵士と民とは少し離れた場所だ。
 何かを合図するような不自然なそれが一味に向けられた合図だと、何も知らないロザリーでもすぐに分かった。一目散に煙に向かってふわふわりと花びらが舞う。

 赤い煙と砂塵の中で、一味を見つけた。
 ロザリーは花びらから人間の姿に戻ると地面に飛び降りる。
「ビビ! みんなと合流できたのね」
「…! ロザリーさんっ!」
 ビビが喜色に瞳を潤みそうにさせ、「本当に良かった、無事で……」と安堵に体を震わせる。ウソップ、ナミ、チョッパーも喜びに顔を輝かせる。

「狙撃手はあの"時計台"にいるわッ」
 広場を見下ろす、いかめしく、大きな古い時計台をビビが指さした。塔のような時計台には、たしかに小窓のようなものがある。そこにいるのだろうか。修理するための空間が中にあるだろうし、広場に近く、上から砲弾を撃つにはたしかに格好そうな場所だ。

「場所は分かっても数分じゃあんなとこまで登れないわよ!」
「ペルさえ来てくれたらと思ったんだけど…!」
 周囲の空を見上げても、あのハヤブサの戦士はいない。残り1分で階段からいくのは、ここにいるメンバーの足では難しい。チョッパーくらいだろうか。
 小さなチョッパーは、今は4本足のまさしく獣のような姿だった。動物系(ゾオン)には形態の変化があると聞いたことがある。

「わたしが上まで飛んでいくわ」
 ロザリーはそう言うなり、空に飛び立った。だが、砂塵の旋風が花びらをさらっていく。四方から吹く風に揉まれ、思う通りに上に飛んでいくことを阻まれた。
 ロザリーは身体を葉っぱや花びらにして空を移動することはできるし、自分の身体だからある程度指向性を持ち動かすことが出来るが、クサクサの実は風を操ることはできない。
 風を読み、風に乗ることが得意でも、風に逆らうことはかなり難易度が高い。

「クッ…」
 風にさらわれ、バラバラに離れた自分の身体である花びらの一部を、遠くへいかないように操りながら、風に逆らって少しずつ上昇していく。焦りが汗を滲ませる気がした。今のロザリーは汗をかかないのだけど。
 中枢の出窓まで来た時、知った顔がヒョコッと立っていた。

「おーい! ナミさ〜ん♥ ビビちゃーん♥」
「ぅわっ!」
「えっ!? ロザリーちゃんの声が……!?」

 サンジだった。なぜか、当たり前のように立っている。驚きで漏れたロザリーの小さな声も耳ざとく聞き逃さず、キョロキョロと周囲を見回した。
「ここよ」
 そう言って、人の身で彼の隣に降り立つ。
「ロザリーちゃん! 花びらを纏ってあらわれるその姿……なんて幻想的なんだ……! 花の妖精かと思ったぜ……!」
「まぁ…」
 目をハートにしながらゴクリと唾を飲むという器用なことをして、サンジがそんなことを嘯いた。こんな時でも変わらない彼に半笑いになって、なんだか気が抜ける。

「なんでお前がそこにいるんだー!!」
「あ?」
 下からウソップが叫ぶ。
「何でっててめェが煙の下にメッセージ残してただろ、時計台って書いてあったから登ってきたんじゃねェか」
 そしてやっぱり、相変わらずタイミングのいい男だ。
「サンジ、砲撃手はこの頂上にいるらしいの。わたしは飛んで向かうからあなたは階段で…」
「上?」

 身を乗り出して「ん?」と怪訝に目を細める彼に、ロザリーも上を見上げた。
「よォ、探したぞお前ら!」
 ゾロまでいる。ふたりよりずっと上まで登っていた。
 これなら彼は上に間に合うかもしれない。
「そこで何してる」
「こっちのセリフじゃア!!」
「それがよ、海軍の奴らが北に行け北に行けっつーからひとまずここに登って…」
「北と上は全然違うぞ!!」
 サンジのようにメッセージに沿って来たわけではなく、まさかの彼はたまたまここにいたらしい。北と言われているのになぜ、上に……? そもそもなぜ海軍がゾロを?
 ロザリーの脳内で疑問符が飛び交う。
 知らないうちに白猟のスモーカーがルフィ達と手を組むことにしたのだろうか?

 ゾロやサンジの身体能力ならば頂点に辿り着くのはすぐだと安堵したのも束の間、その手段は使えなかった。時計台の内部は、一階の奥にある階段が唯一の到達手段らしい。
 もう時間がない。
 ナミの策に一味はすべてを賭けることになった。

*

「サイクロン=テンポ!」

 ナミの持つ棒のような武器から強風が吹き荒れ、ウソップ達が舞い上がる。人間二人と獣を持ち上げることが出来るほどの風。ロザリーは目を瞠った。ナミがそんなこと出来るなんて知らなかったし、船に乗って日の浅いロザリーはそもそも一味のほとんどの戦う姿を見たことがない。
 風を起こせると知っていたら、ロザリーはそれに乗って上まで飛べば良かった。無知は手段を狭める。距離を取っていた自分に後悔が一瞬浮かぶ。彼らに出来ることを探ろうとしなかったのは、わざとだったから。

 浮かんできた三人を見ても、ロザリーにはナミの策が読めない。
「サンジ君! あとは分かるでしょ!!? 時間がないの!」
「……だいたい検討はつくものの……!! ……オシ!! やるしかねェか!」
 だが、彼にはナミの考えが分かるらしい。
 ビビにも、チョッパーにも伝わっているらしく、ウソップの背を蹴り上げると二人がさらに跳躍する。
「右足に乗れ!」
 空中で滞空し、逆さになりながらサンジが二人を蹴り上げた。ゾロが、刀の峰でてっぺんまで放り投げる。

 頭から地面に落ちていくサンジと目が合い、時間がゆっくりと流れる気がした。
「サンジ…っ」
「大丈夫だ、ロザリーちゃん」
 彼が不敵にニヤリと笑う。上の方でパァン! と破裂するような銃声が響いた。バッと顔を上げると、ゾロが血を吐いて背を仰け反らせていた。
「ゾロ!」
「あのバカモロに…」
 悲鳴を上げたロザリーは落ちていくゾロに咄嗟に腕を伸ばした。そして、脳みそが高速で回り始めた。歯車がカチリと嵌るように、新しい選択肢が生まれた。
 ルフィの姿を思い出す。
 ロザリーの腕がみるみるうちに編まれた茎に変化していく。伸びた植物の腕は鞭のようにしなやかにゾロを掴み、サンジの方に投げる。

「うおっ!?」

 そうだ、何もわざわざ、ロザリーはいちいち飛ばなくてもよかった。移動はなにも風に乗るだけではない。
 ルフィのように、しなる身体になればいいんだ。

 ゾロを見届け、ロザリーは腕の先を強靭な鉤爪の形に編んだ。鞭になった腕を空へ伸ばし、壁に突き刺した。そうしてまるで猿のように、ひょいひょいと頂上へ登っていく。
 ビビに大した戦闘能力はない。
 この国の鍵である王女ビビ。彼女の盾になり矛にならなければ。

 時間を過ぎても砲弾は鳴らなかった。
 間に合ったのだろうか。

 固唾を飲んで辿り着いたロザリーが見たのは、倒れ込んだ二人の刺客の姿だった。
「良かった! 止められたのね!」
 ロザリーは歓喜の声を上げた。だが、ビビは振り返らない。

「ビビ……?」
「ハアッ…ハアッ……!」

 息を荒らげたビビの背中。彼女から悲壮感と呆然とした空気が立ち上っていて、ロザリーは顔を強ばらせ、彼女の元に歩み寄った。
 カチッ。カチッ。カチッ。
 規則正しい時計の音が呼吸の合間に聞こえる。
 横に並び、ビビが瞳を黒くして見つめるものをロザリーも見つけた。

「こ…これは……」
「ハアッ……と、止める術は……」
 狙撃は止めた。
 だが、大砲の奥。砲弾には時計が取り付けられていた。カチカチと鳴る音は、時計台の針ではなく、カウントダウンだったのだ。
 わなわなと自分を抱きしめるようにして固まるビビの問い、あるいは呆然とした呟きに、ロザリーは答えることが出来なかった。
 時限爆弾を止める術など、知らない。
 爆弾の知識も、回路の知識もない。
 ゴクリと唾を飲む。
 弾けるようにビビが立ち上がり、震える足取りで下に叫んだ。

「大変! みんな……!!」
「ビビ!」
「砲弾が時限式なの!! このままじゃ……爆発しちゃう!!」

 砲撃を止めても、砲弾が自動的に爆発する。直径5kmの破壊力の爆弾なんて、結局は人も、街も助からない。粉微塵に吹き飛ばされてしまう。そしてひいては、国も……。
 クロコダイルのやり口は冷酷で、冷徹で、合理的で、計算的だと思っていた。だが、こんなの……人を馬鹿にしている。心底他人をおちょくっている。
 希望を見せておいて、砲弾を止められないだろうと馬鹿にして煽って、最後には停止不可能の策を用意しているなんて。

 頭が良いのだろう。用意周到で、隙が微塵もないのだろう。
 そしてわざわざ、ちらつかせた希望を奪う真似をして心を折る。
 執拗に、執拗に、執拗に、執拗に……。

 ガク、と崩れ落ちたビビが、四つん這いで拳を床に叩きつけた。
 ガァン! ガァン! と、鈍い金属の音がこだまする。

「一体どこまで人をバカにすれば気がすむのよ……! どこまで人を嘲笑えば気がすむのよッ!!」

 爆発したようにビビが叫ぶ。だが、怒りと嘆きに叫ぶのは、叫ぶことしか出来ないからだ。ロザリーはそれをよく知っている。
 もう猶予なんてなく、砲弾を止める術を思い付きもしない。

 目の前が白む。
 立ち竦むロザリーの脳髄に、あの夜打ち込まれた言葉が蘇った。燃える炎と血塗れの箱庭を背負った男は、突然の惨劇に呆然とし、自分から枷が失われたことに気付いてもどうしたら良いか分からない幼いロザリーに、目を血走らせて、怒りを燃やして叫んだ。

『抗え! 戦え!』

 心まで屈するな。抗え。戦え。
 幼いロザリーには、彼が太陽に見えた。
 抗え! 戦え!
 燃え盛る怒りの化身の咆哮に背を押され、脳髄に鳴り響いた彼の言葉が、それからずっとロザリーの背骨になっている。

*

「抗え…戦え…」
「ロザリーさん…?」
 微かなつぶやきにビビが顔を上げる。ロザリーは彼女を見てはいない。ただ、あの日の記憶を見ている。自分に言い聞かせ、何度も立ち上がってきた。
 なんの力もないロザリーは、諦めないことが、戦うことだった。
「わたしは諦めない。絶対に、理不尽な苦しみを許さない」
 まなざしにあの男の炎を宿してロザリーは考える。花びらになってどこかに飛んでも、花びらの身体は物を持つことが出来ない。けれど…服や持ち物は自分の"身体の一部"として変身することが出来る。
 人や人の物は出来ない。
 自分の物はできる。
 その違いはどこに……。今、砲弾を自分の一部だと認識出来たなら……花びらに変えることが出来るかもしれない。出来るか出来ないかじゃない。やるしかない。
 あるいは砲弾を抱え、人のいないところに……出来るだけ遠くに。

 ロザリーはゴクリと唾を飲んで、砲弾に手のひらを添えた。植物で編まれた腕は、普通の人間の膂力を超えた力を生み出す。こう見えても力持ちなのだ。片腕で砲弾を持つことくらいは出来る……かもしれない。

「ロザリーさん、何を…」
 しゃがみ込んだビビが丸い声を出す。そしてその後ろから男の声が降ってきた。
「懐かしいですね。砂砂団の秘密基地…」
「ペル…!」
「まったく、あなたの破天荒な行動には毎度手を焼かされっぱなしで……」
「砲弾が時限式で今にも爆発しちゃいそうなの!!」

 悲鳴にも似たビビの訴えを、ペルは穏やかな眼差しで見下ろしていた。場にそぐわない、どこまでも誠実な慈愛の浮かんだ瞳だ。カチ、カチ、と時計の音が鳴る。
 嫌な予感がした。
 こういう眼差しをロザリーは知っている。
「ビビ様、私は…あなた方ネフェルタリ家に仕えられたことを……心より誇らしく思います」
「?」
 ビビはキョトン、と目を丸くして、無邪気な幼子のように彼を見上げた。彼のどっしりとした態度は、腹の決まった男の顔だと、彼女には分からない。
 母と同じ眼差し。
 愛情に満ちた眼差し。
 ロザリーは彼を止める術も、砲弾を止める術も持たなかった。ビビの傍にそっと寄り添い、背中に手を乗せた。ペルがふとロザリーを見た。覚悟の乗った瞳に、ロザリーはうなずく。
 小さく彼が微笑んだ。

 ペルが鷲の姿に変わり、大きな鉤爪で砲弾を掴んだ。彼の体格以上もある砲弾を抱え、空へ飛んでいく。ロザリーならばきっと、いくら力持ちとはいえ、あれを抱えたまま遠くへ行くことはとても叶わなかっただろう。
 彼でなければ……。
 ビビが息を飲んで、辿り着いた彼の答えに絶句する。ペルが穏やかな瞳で飛んでいく。鳥の姿はあっという間に空へ小さくなっていった。
 小さなビビの背中を、ロザリーは無言で撫ぜた。

 別れも、死も、静かなものだ。
 覚悟を決めてしまった人間に、言葉はいらないのだ。
 母はそうしてロザリーを逃がし、ペルはそうしてビビを守った。そこには愛情と慈愛がある。

 わたし達が無力だから、誰かが犠牲になる……。

 唇を噛み締める。
 そして空の高い高いところで、地上を覆い尽くすような光とともに、轟音が響いた。

*

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