臆病は病
04


 広場爆発の件を知り走り出したコーザをビビが止める。
 それを国民が知ったらパニックになり、避難どころではなくなる。戦争を止めることも出来なくなる。
 ビビが必死の形相で叫ぶ。

「やるべきことは始めから決まってるの……!! この仕組まれた反乱を止めることよ……! それはもうあなたにしか出来ない!」
 その背後に黒い影が忍び寄った。
「それをおれが黙って見ているとでも思ったのか?」
 鉤爪が獰猛に光った。ビビが振り返る。ロザリーはずっと部外者だった。部外者でしかない。だからこそ、冷静に場を見ていた。クロコダイルから逃げる機を見ていた。彼を見ていた。
 襲いかかる鉤爪を、ロザリーが受け止める。ガキン! と鋭い金属音が響いた。金属ほど高度を上げた葉の刃で受け止め、フードの下から睨む。
「王女への攻撃を黙って見ているとでも思ったの?」
「ロザリーさんッ!」

 ロザリーはクロコダイルにかなわない。分かり切ったことだ。心底から震えが忍び寄り、血液が全部凍ったように冷たい。それは恐怖だった。
 けれど、ロザリーのやるべきことは決まっている。
 アラバスタの希望を逃がすこと。
 そうすることで、ロザリーは昔の自分を救っているのだ。無辜の民が、国が、人間が踏み躙られる痛みを、受けた仕打ちを、許さないことでかつての自分を……。

「ビビ、コーザ! お願い、少ししか保たないわ……! その間に少しでも遠くへ! 反乱を止めるの!」
「でも…」

 一瞬振り返り、ビビの目を見つめる。フードとメガネで視線が合ったかは分からない。けれどビビはハッとして、「…うん!」と力強くうなずき、走り出した。

「ありがとう、ロザリーさん!」
「それでいいの…それで……」
 ロザリーは小さく笑い、クロコダイルと相対した。彼は走り去る二人を眺めたが、追いかけることはなく、その場に留まった。
 理由は分からないが好都合だ。
 膝が笑っている。おそらく、ロザリーは死ぬだろう。こんなところで死ぬわけにはいかない。けれど、クロコダイルに"邪魔をした雑魚"であるロザリーを見逃す理由がない。
 逃げたかったが、逃げ出すのは、死ぬよりも嫌だった。自分が許せない。生きてきた理由をすべて失うことになる。

 無実の国を救うために自分の命を使ったなら…今までわたしのために散ってしまった命も、少しは浮かばれるかしら。

 小さく諦めの笑みを浮かべ、ロザリーは身体を棘に変え始めた。彼にロザリーの攻撃は通じない。覇気を習得していないから……ならば、少しでも時間稼ぎを。

 髪、腕、腹、脚……全身から伸びた棘がしゅるしゅると高速で編まれていき、2人がかけ降りていった階段をすべて覆い尽くすような巨大な壁になっていく。

「──茨乙女の守護(シルト・アウロラメイデン)」

 茨の鉄壁の守護。何層にも重なった植物の見上げるほどの盾。いくらクロコダイルといえども、これを砂に帰すには、いくばくか手こずるはずだ。

「ほう……自然系(ロギア)か」

 けれどクロコダイルは一瞬眉を上げただけで、動揺すら浮かべない。ただ、ロザリーを見下ろしている。そのクロコダイルの瞳はヌラヌラと奇妙な照りを帯びていて、ロザリーは背筋がゾッとするのを感じた。
 肉食動物の……捕食者の目だ。
 逃げ場などなく、逃げてはいけない場面だというのに、その目はロザリーの覚悟を一瞬で揺るがし、咄嗟に周囲にサッと視線を走らせてしまう。

 彼は右手でするりと自分の顎を撫でた。
 静かな仕草だった。

「ロザリー……そう言ったな?」
 何かを確認するように、小さくもう一度言う。「ロザリー……」

 そして彼女を見下ろし、まばたきする間もないほど一瞬の動きで、ロザリーの腕に鉤爪を刺した。ブシュッと血が吹き出して苦悶に呻く。
 攻撃されると分かっていた。
 それでもダメージを受けたのは、彼の動きがロザリーを上回るほど早いからではなく、彼が"覇気"を使ったからだった。

 身を捩り、ロザリーは唇を噛んで攻撃を繰り出す。手のひらから果実を生み出し、クロコダイルの巨大な体躯に押し付ける。
「ポームム・ボム!」
 パン、パァンッと銃声のような音ともに果実が破裂し、小さな爆発が起きた。果汁と鋭い種が飛び散り、クロコダイルの頬に僅かに傷をつけた。
「……!?」
 彼の頬から垂れた一筋の血液を驚きの目で見つめる。攻撃が通じると思ってしたのではなかった。ただ、ダメ元の抵抗だった。彼は自然系(ロギア)……なぜ……今の何が有効だったのか見極めようと、ロザリーは彼の腹ほどの身長から、ギリッと見上げる。
 クロコダイルのコメカミに青筋が浮かんだ。彼が手を翳す。
 ロザリーは自分が次の瞬間、枯れ果て、砂として消え去るのを見た。

 けれどもそうはならなかった。
 彼はロザリーの頭上に手を翳して……フードをずり下ろした。

「…………ッ!」

 ヒュッと喉が鳴る。愕然としたロザリーのメガネ越しの瞳と、クロコダイルの鋭いワニの目が交わる。

「………クハハ…クハハハッ!!!」

 突然クロコダイルが突き飛ばすように笑い出した。酷く機嫌のいい、ほとんど歓喜の滲んだ爆笑だった。ロザリーは最悪の展開になったことを察し、血の気がザッと引いていくのが耳の裏で聞こえた。

 自分に「切り札」としての価値があると、クロコダイルに気付かれている。

 黒い影は笑い続けている。
 腕に刺さった鉤爪を抜こうとし、血が滲んだ。意味がない。自分の腕を鋭い葉のダガーに変え、鉤爪の刺さった腕を迷いなく切り落とそうとするのを、クロコダイルが素早く察知して「オイオイ…」と未だにくつくつ低く笑いながら、その手のひらでガッとロザリーの首を掴みあげる。

 ヒッ、ヒッと短い呼吸音を響かせるロザリーをまるで愛でるように眺め、クロコダイルが三つ編みを鉤爪でつまんだ。特徴的な金髪を見つめた。

「ロザリー…その名にまさかとは思ったが…本当に"そう"だとはな。これでおれの野望を阻むものはなくなったわけだ」
「…やはり知っているわよね……」
「あァ? おれは七武海だぜ? まァ、個人的に使えると思って動向を調べさせたことはあったが…計画に入れるには不確定要素が過ぎた」
「……」
「だが、結果はどうだ? この国にゃア憐れみすら覚えるぜ……。なぜお前がこの国にいる? あの王女サマに肩入れしているようだが…クハハ! それでおれを助けているんじゃ世話がねェ」
「……彼らは革命を止めるわ。必ず。わたしはあなたの切り札りジョーカー)にはなり得ない」
「フッ…てめェも理想で現実が見えていないらしいな……」
「あ、ああっ……!…ッ」

 問答は終わりだというように、粗雑な仕草でクロコダイルはロザリーの首に力を込めた。悲鳴を上げた声から枯れていき、ロザリーのみずみずしい肉体がみるみる干からびていく。
 だが、決して死なないように、繊細なラインで生命を維持されているのが分かった。

「ミス・オールサンデー」
「何かしら」
「こいつを見張っておけ。そうだな…それから自殺も出来ねェように」
「了解」

 無造作に枯れ果てたロザリーを投げ捨て、トサッと軽い音を立てて地面に横たわる。カヒューッカヒューッと自分の喉が鳴るのが虚ろな意識の奥で聞こえる。

「…哀れなものね。こんな姿になっても死ねないなんて」
「同情か? てめェにそんな感傷があったとはな」
「フフ、まさか。でも意外ね、あなたが殺さずに、ましてや"自殺しないように"だなんて。この子にそんな価値が?」
「クハハ…価値があるどころじゃねェ。まだ気付かないのか、オールサンデー」
「…?」
「こいつは"神への反逆者"と呼ばれる懸賞首だ。だが、ただの懸賞首じゃねェ……」

 全てが見抜かれている。ロザリーは動かせもしない身体の中、気絶も出来ず、口惜しくて口惜しくて必死に唇を噛み締めた。涙は流れない。だが、破れた唇からは鮮血が溢れ出した。
 ほぼ生きながらのミイラだというのに、この身体には血液が残っているらしい。

「ああ…手配書を見かけたことがある気がするわ」
「なぜこの女がALIVE ONLYなのか知ってるか?」
「いいえ」
「懸賞金を賭けているのが天竜人だからさ!」
「! 天竜人が…?」
「奴らが何を考えているかは知らねェが…裏社会や海軍の間じゃ有名だ。こいつを生きて連れてきた人間は、どんな願いも天竜人の威光によって必ず叶えられる、とな」
「どんな願いも?」
「莫大な財産、権力、知識、恩赦、殺戮、ありとあらゆる全ての願いを、必ず一つ叶えられる。つまり…おれの国家が樹立した後は、その罪さえもこの女と引き換えに世界政府から見逃されるってわけだ……クハハハ……!」
「そう…まさしく願ってもいない切り札(ジョーカー)というわけね」

 ──その通りだった。
 だからこそロザリーは逃げ続けなければならなかった。だからロザリーは一人で旅を続けてきた。
 海軍、海賊狩り、賞金稼ぎどころか、海賊までもがロザリーを狙った。ロザリーは成功への直通切符だった。
 もちろん天竜人がそんな約束をしていると大々的に公表しているわけではないが…海軍の一定以上の階級…佐官クラス以上や、七武海、サイファーポール、神の騎士団、そして政府の内情に詳しい者たちやアンダーグラウンドの者たち。
 情報を扱うことの出来る者たちにとって、それは有名な"事実"だった。神の反逆者ロザリーを求めるのは、天竜人である。
 長年、ロザリーは追われ続け、逃げ続けてきた。


 クロコダイルの言う通り、ロザリーはこの国にいない方がよかった。それどころか、この世界のどこにもいない方がよかった。

 それでもビビに協力したいと思ったのは、クロコダイルのやり口が許せなくて…ロザリーに出来ることをしたいと思ったからで……でも結局、何もしない方がよかったのだろうか。
 抗おうとしなければ、こうしてクロコダイルの手に落ちることはなかったのだろうか。
 ビビを守ろうとしたことで、この国を窮地に陥らせてしまったのは、自分のせいなのだろうか。

 でも……でも!
 許せなかったのだ。耐えられなかった。
 無実の人間たちがただ奪われていくことを肯定することが、どうしても、どうしても、出来なかった。
 その想いはエゴにしかすぎないのだろうか。

 情けなさと悔しさで朽ち果てそうだ。呻き声ももはや上げることが出来ず、流れた血を舌で舐める。
 そして、さっきまでは乾ききっていた自分の唇に、潤いが戻っていることに気付いた。

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