臆病は病
02


 兵士たちに連れられ、ビビとロザリーは宮殿に辿り着いた。
 アルバーナ宮殿。
 旧い威容を感じさせる巨大な白磁の砂の城。だが、その下では血が飛び交い、憎しみと決意の混じった声が響いている。
 ビビは唇を噛んで、その様子を上から見つめた。小さな粒がバタバタと倒れていく。戦っている人達全員が国を想い、誰にも罪はなく、全てが愛しい自分の民で…部外者のロザリーでも胸が痛む光景だ。ただ見ているだけのビビはどれほど辛いだろう。

 革命……。
 ロザリーも革命が起きた国の様子を、幼い時に見たことがある。人々がぶつかり合って、憎しみと血に飲み込まれていった様子を目の前で見たことがある。
 あの頃、ロザリーはまだ7歳だった。
 戦禍の中を、母が逃がしてくれて、母は逃げなかった。父と死ぬのが愛した者の覚悟であり、務めだと言った。大丈夫だとも、また会えるとも言ってくれなかったが、母は笑っていた。絶望に満ちてはいなかった。ロザリーは泣き叫んで、けれど逃げなければならなかった。
 まだこの国が間に合うのなら、ロザリーに出来ることをしたい。あの頃何も出来なかったけれど、今出来ることが何かあるのなら。…

「ビビ…様……!? 本当にビビ様が…!」
「チャカ!」

 深い黒髪を切り揃えた、逞しい兵士が縋り付くように走ってきた。信じられないと目を見開いている。

「ご無事で…ご無事で何よりです、ビビ様…」
 厳格な表情が歪み、今にも泣き出してしまいそうに見えた。王族に近しい部下だろうか。慕われているのが分かる。
 だがビビは厳しい表情を緩めず「頼みたいことがあるのよ」と唇を舐める。

「な…ッ、正気ですか、ビビ様…! そんなことをしたら…!」
「そんなことしたら、何? この国が終わっちゃう? 違うでしょう!? ここがアラバスタじゃないものね!?」
「───!」
「アラバスタ王国は今傷つけあっている人たちよ!」
 ビビが、チャカの胸ぐらを掴んで、必死に言葉を尽くす。

「彼らがいて、ここは初めて"国"なのよ!」

 言葉をチャカと同じように、ロザリーも喉が締め付けられた。民がいてこその国。
 昔のロザリーはそれが分からなかった。今も、本心から分かっているとは言いがたい。でも、革命が起きた時、王は分かっていたのだと思う。王妃も、分かっていた。
 ロザリーもあの革命で死んでしまいたかった……。

 ビビの「王女」としての言葉に、ロザリーの記憶と心が震える。

「数秒間みんなの目を引くことが出来れば…あとは私が何とかするから……!!」
「ビビ様…」
「この宮殿を、破壊してッ!!」

 ざわりと空気が揺れ、兵士たちがたじろぐ。
「バカな考えはおやめ下さい!」
「ここは4000年の歴史を持つ由緒正しき王宮ですぞ!」
「国王は不在なのだ!そんな勝手なマネが許されるはずがない!」
 ──国王が不在……?
 ロザリーはピクっと肩を揺らす。なぜ王が…?
 もしかしてこの状況は…戦火が開いてしまったのは王がいないから…?

 兵士たちが口々に騒ぎ立てるが、ビビの真摯な眼差しにザッと跪いた。
「おっしゃる通りに!」


 チャカの指示の元、兵士たちがありったけの火薬を積み上げていく。
 それを見下ろしながら、宮殿の影で、ビビとチャカ、そしてロザリーがそっと佇んでいた。

「この事態を何と申し上げればよいのか……」
「いいの、分かってる。あなた達は反乱軍を迎え撃つほかに方法はなかった。イガラムを欠いて…2年以上の暴動をよく抑え込んでいてくれたわ」
「……」
 ぽつりとビビが零す。
「ごめんね。急に国を飛び出したりして……」
 巨大な宮殿にいても、人々の叫びが風に乗って耳に届いた。ビビが顔を悔しそうに歪める。
「……だけど、まだ終わりじゃないの…! もしこの反乱を止めることが出来ても…!! あいつが生きている限り…この国に平和は来ない……!!」
 俯いて、ググッと拳を握る。ロザリーはそっと、ビビの隣に近付いた。柔らかく手のひらを重ねる。
「ロザリーさん…わたし……彼らのことが心配で……!」
「ビビ様」
「!」
「2年見ない間に、貴方はずいぶんいいお顔になられた…。この戦争が集結を見た折には、例の海賊たちと大晩餐会でも開きたいものですね」
「チャカ……」
「貴方も、ビビ様のお仲間なのでしょう?」

 チャカが、ロザリーの方にも優しげな顔を向けた。少し迷い、微笑んでうなずく。仲間……。そう、なのだと思う。うなずくことに躊躇いはあったが、肯定することでチャカやビビが安心できるなら、ロザリーの躊躇いなんてどれほどの価値があるだろう。

「どれほど感謝を……」
「チャッ……チャカ様!」

 その時、切り裂くような声とともに兵士が駆け込んできた。倒れ込み、ゼイゼイと水っぽい呼吸音をしている。
「何事だ!?」
「宮殿内に……」

 上から黒い声が降ってきた。
「困るねェ……!」
「!」
 瞬間的にゾッと鳥肌が立った。この声……。
「物騒なマネしてくれるじゃねェか…ミス・ウェンズデー。ここは直、おれの家になるんだぜ?」
 真っ黒なマントをたなびかせて、宮殿の塀に腰掛けている男が、嘲笑を浮かべて見下ろしていた。
「いいもんだな王宮ってのは……クハハ! クソ共を見下すには…いい場所だ……」
「クロコダイル!!」

 なん…なんでこの男が…!
 氷のような衝動が背筋を走ったが、その答えを見つける前に、ロザリーは反射的にローブのフードを被った。顔を…そしてこの髪を隠すことは懸賞金を掛けられてからの人生で、落ちない染みのように癖になっている。

「ル…ルフィさんは……!」
 震えながら、思わず漏れたというつぶやきにロザリーはハッとした。そうだ、この不安は……。
 ルフィは、砂漠でクロコダイルと戦うために別れた。
 だが今クロコダイルがここにいるということは、彼が負けたということで……。
 ルフィは懸賞金3000万ベリー。クロコダイルは元8100万ベリーで、ロザリーとそう変わらないが、彼は七武海として何十年も君臨している。正直、偉大なる航路(グランドライン)で名を挙げ始めたばかりのルフィや、麦わら海賊団では太刀打ち出来ない相手だと…分かってはいた……分かっては……。
「奴なら死んだ。それより…」
「ルフィさんが死ぬはずないわッ!」
「…クハハ……健気だねェ…」
 
 ビビは憎悪と憤怒に美しい顔を歪め、クロコダイルを睨みつけている。
 小石でも蹴飛ばすかのような軽い「死んだ」という言葉は、まるで相手にならなかったという事実を気軽に伝えているようだった。

 ひらりと、優雅というのが似合う仕草で奴が上から飛び降りてくる。そして、ニコ・ロビン…ミス・オールサンデーも。

「パパ!」
「国王様!」

 血塗れの国王も一緒だった。ビビの痛切な悲鳴を聴きながら、柱に国王が打ち付けられる。標本でもするみたいに。

「ビビ……すまない……」
 血を流しすぎて胸を上下しながら、か細く国王が声を絞り出す。
「せっかくお前たちが…命を賭して作ってくれた救国の機会を…………! 活かすことが…出来なかった……!!」
「パパ…」
「クク…王の言うことはまったくだな……」

 低い声で嘲笑いながら、クロコダイルが葉巻に火をつける。憎しみの視線の前でも、チャカの前でも、まったく脅威にすらならないという余裕の態度と、笑み。
 こんな時だというのに、彼の太い指に嵌められた指輪が砂漠の燃えるような日差しに反射して、キラリと光った。

「だが…ミス・ウェンズデー。お前がここに辿り着けたのも、例の…海賊達のお蔭だ。感謝の一つでもしてやるんだな」
「ルフィさんはどこ!? 何であんたがここにいるのよ!!」
「奴なら死んだと言ったろ?」
「うそよ!! ルフィさんがお前なんかに殺される筈がないっ!!」
「ビビ…!」

 今にも飛び出していってしまいそうな彼女に、ロザリーは咄嗟に縋りついた。彼女には前科がある。ニコ・ロビンにも、レインディナーズでも、下っ端たちに襲われた時も、ビビは相手の力量を見る前にとりあえず飛び出していってしまう。
 クロコダイルの凪いだ態度と、ビビの破裂しそうな態度は真逆だった。むしろ、クロコダイルが笑えば笑うほど、ビビが鋭く張り詰めていく。

 この場で冷静なのはクロコダイル、ニコ・ロビン、ロザリーだけだ。加害者と部外者だけ。自分がどうするべきなのか、視線をフードの中から張り巡らせながら考える。

 ルフィが死んだ。
 それを考えると、心臓がズキンと破れるように痛む。エースに合わせる顔がない。太陽のようなふたりの笑顔が脳裏に浮かび、そのどちらもが失われる罪悪感が皮膚の内側をざらざらと撫ぜる。
 けれど、クロコダイルがこうも確信を持って断言するのなら、ルフィは負けたのだろうし、クロコダイル本人が、トドメをさしたのだろう。
 夢や希望を持って生きるのは良いことだけれど、それで目が曇っていたら現実は生き抜けない。
 ロザリーは強く瞼を閉じ、目を開けた。

 モンキー・D・ルフィ。
 彼に「Dの意思」を見た。

 彼を悼む時間は、もし自分が生き抜くことが出来たとき、ゆっくり取るしかないのだ。
 今は彼がしたかったことを、遺志を継いで、この革命を止めなければ。クロコダイルをどうにか…どうにか……。ロザリーにクロコダイルを倒すすべはないから、なんとかビビだけでも逃げさせなければ……。そうしたなら、アラバスタはまだ終わりじゃない。

 ハッ、と。
 今この場面が、思考が、母をなぞっているということに天啓のように気付く。
 母も自分を逃がしたのは、そう思ったからだろうか。
 まだこの国は終わりじゃないという、希望を…ロザリーを逃がすことで見たの?
 それとも、母としてなんとか生きてほしいという、愛だろうか。
 お母様……。

*

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -