花乙女の罪人
02
ニコ・ロビンはレインディナーズへ裏口から入ったようだ。人はいない。香りに誘われるまま、彼女たちの通った道を追うと、やがて巨大な扉が威圧感を持って待ち構えていた。耳をピトッと当てると、内容は聞こえないが、反響する音が聞こえる。人が会話している音。ロザリーの身体が押し付けた耳から徐々に、フワッと花びらに変わっていく。花びらは扉の隙間から入り込み、巨大な階段をふわふわヒラヒラと泳ぐように音を立てず空気に乗って浮かぶ。
黒いコートの男がクロコダイルだろう。
椅子にビビが縛り付けられていて、後方の檻の中にルフィ達がいる。
どうしようか……。
ロザリーは花びらの姿になっているが、この姿の時は何も出来ない。不自然に花びらが漂っているところを見られてもオシマイだ。
今はクロコダイルもニコ・ロビンも扉に背を向け、檻の中の仲間たちも彼らに意識を取られているからバレていないだけだ。
「……」
ロザリーはひらひらと、階段の下に向かった。階段を降りるのではなく、壁をつたうようにそろそろと階段の横に下がっていく。
檻とは反対側の階段横に隠れたロザリー人間の姿に戻ると「……はっ…」と張り詰めていた息を吐いた。心臓がドキドキしている。おそらく誰にも見られていないはずだ。
息を潜めて彼らの会話に耳をすませる。
クロコダイルが自分の身の毛もよだつ計画を得意げにペラペラと語っていた。あのマネマネの実の能力者であるボン・クレーを使い、国王になりすまして革命軍の怒りを助長させる。そして武器の乗った戦艦を手配し、彼らの手元へ…。
「そして心にこうみんな思っているのさ。おれ達がアラバスタを守るんだ……! アラバスタを守るんだ……!」
「やめて!! なんて非道なことを……!」
「ハハハハ……! 泣かせるじゃねェか…! 国を想う気持ちが国を滅ぼすんだ……!」
クロコダイルの低い笑い声はまるで悪夢そのものみたいだ。洗っても洗ってもこびりついて落ちない染みのように、彼の嘲笑が反響して心の隙間に絶望を滲ませてくる黒い声。
トトとビビの美しい姿が浮かぶ。
あんな風に、この国の民みんながアラバスタを愛し、守りたいと、追い詰められて剣を持ったのに、それら全てがこの男の掌で悪い方に転がされていく。
ロザリーは熱いため息をついた。
今すぐ飛び出したくて目の奥が痛かった。けれど、ジッと隠れて時を待つ。クロコダイルがいる以上ロザリーは何も出来なかった。覇気も修得していないし、クロコダイルは砂だ。全てを枯らす乾きの力だ。ロザリーは為す術なく枯れるしかできない。
やがて部屋に水が溢れ始め、ビビはクロコダイルに呼び出されたバナナワニと対峙させられた。100万人の民と仲間の命。それをビビに選ばせようとするが、彼はどうせ全員殺すつもりだろう。
その緻密な計画とB・Wの動かし方だけで分かる。彼がどれほど神経質なまでの冷酷な完璧主義者かだなんて。そんな男が計画を知った者を生かすはずがない。
天井につきそうなほど巨大なバケモノと向かうビビはまるで赤子のように見えた。震えながらも武器を構えるが呆気なく吹き飛ばされる。
「ク……」
ロザリーは必死に考えた。飛び出すべきか、耐えるべきか。
クロコダイル達は奥の扉から通路に向かったようだが、異変があればすぐ戻ってきてしまうだろう。見つかれば有利性は失われる。
けれど。
頭から血を流すビビは身体に力が入らないようで、今にも食われてしまう寸前だった。
ダメだ……ビビにこれは倒せない。
ロザリーが階段の影から飛び出そうとすると、突然電伝虫の声が響いた。ビクッと足を止める。
バナナワニもそちらに気を取られて動きを止めた。
ニコ・ロビンが答えると、聞き覚えのある声が不遜に言った。
『え〜〜、こちらクソレストラン』
サンジ!
タイミングの良さが神がかっている。檻に捕まっていないのはサンジ、チョッパー、ロザリーだ。クロコダイルと繋がる電伝虫があるということは、B・Wのエージェントから奪ったんだろう。
「クソレストラン……!?」
『へぇ、憶えててくれてるみたいだな、嬉しいねェ……』
「てめェ一体何者だ……!」
『おれか……おれは……Mr.プリンス』
「ふふ」
こんな時でもカッコつけるそのあだ名が彼らしくて小さく笑う。一気に安堵が体内に巡った。
彼がここに来るなら百人力だ。
ルフィが大声で叫ぶ。
「プリンス〜〜!! 助けてくれェ! 捕まっちまってんだよぉ〜〜! 時間がねェんだ!」
『はは……傍にいるみてェだな、うちの船員達は。じゃあこれからおれは』
しかし、電話の向こうから突如不穏な轟音が鳴り響いた。
「ぐァッ!!!」
そして、サンジの苦痛の声も。
「ハァッ……ハァッ……手こずらせやがって……!」
「サンジさん……そんな……!!」
下っ端が言うには、サンジはレインディナーズの正門前で捕らえられたらしい。すぐそこまで来ていたのに……!
一味は檻の中で顔を青くし、悲鳴を上げた。ロザリーも歯噛みしたが、しかしチャンスでもあった。クロコダイル達はサンジを引き取りに行くようだ。
「!」
ビビが覚悟を決めた表情で階段に向かってきた。外に助けを呼びに行くらしい。
それを聞いて、ロザリーはギクリとするのを感じた。
助けを求める。それは彼女の中に一切なかった選択肢だった。思いつきもしなかった。一応ペルにレインディナーズにビビがいるというメモは残してきたが、あの怪我ではおそらく起き上がれないだろう。
そう思ったのだけれど……。
そうか、サンジとチョッパー……。
既にここにいる今、考えてもどうしようもないことだけれど、最初から合流して助けを求めれば良かったのかもしれない。
クロコダイルが戻って、ビビを引きずり戻した。
ビビは気を失って、今度こそクロコダイルは扉を閉めて、その場から去った。
"仲間"に"助け"を求めるなんてこと、いくら考えても、後悔してもロザリーの中からは出てこない思考回路だ。
だから今はひとりでこの場をなんとかするしかない。今までのように。
「ビビーーッ!」
「ビビ!」
バナナワニが牙を剥き出しにしてビビに襲いかかる。
「えッ?」
「ロザリー?!」
クルー達が目を剥いた。
ロザリーは三つ編みをほどいた。明るい緑の金髪がひらめき、しゅるしゅると茨の鞭になって伸びていく。鋭い棘のついた茨はバナナワニの大口に巻き付き、バクッと口がとじた。驚いたバケモノが頭を振って暴れるが、この茨からはちょっとやそっとの力では逃れられない。
「遅れてごめんなさい、クロコダイルが去るのを待ってたの」
「き、来てくれてたの…!」
ニコ・ロビンに対峙した彼女が怯えていたのを見ているビビは信じられないと目を見開いている。あれは見逃されるための演技だったが、ビビは素直に信じて、庇ってくれたのだ。優しく・気高い王女。神の血筋だというのに、ロザリーの知る神々とは大きく違う。
茨は今やバナナワニの全身に巻き付き、締め上げてブシュッと棘がくい込んだ腹から血が漏れていた。ロザリーは腕を上げた。腕の先から茨が編むようにして伸びていき、巨大な斧になる。
「乙女の裁きを受けなさい──茨乙女の断罪(リヒテン・アウロラメイデン)」
腹を裂かれたバナナワニから鮮血が雨のように吹き出した。巨大な体躯がズドオォン……と倒れる。
「ふう…」
ロザリーのレースの手袋が僅かに震える。大技を使って急激にお腹が空いた。
「「ウオーーーッ!! ロザリーーッ!!」」
「ロザリーさん!」
「キャーーッ」
一味の歓声がドワッと上がる。ビビは震える思いで彼女の背中を見つめた。
「お前能力者だったのかァ!!」
「どこから来たんだ!?」
「ビビの後を追って隠れてたのよ。…でもわたしの"クサクサの実"の能力は草花の力だから…クロコダイルに手も足も出ないの。だからタイミングを伺ってたわ。遅くなってごめんなさいね」
「マジでビビった……終わりかと思った……」
バナナワニ1体は倒せた。
とはいえ時間が無い。鍵を探さなければならないし、水が溜まったらロザリーは役立たずになる。
彼女はビビに自分の掛けていた分厚いメガネを手渡した。度の入っていない変装用だ。
「今のうちに助けを!」
「……うんっ! みんなもう少しだけ我慢してて!必ず助けを呼んでくるから!」
ロザリーの伸びた茎のような腕で階段の上に運ばれたビビは、決意のこもるまなざしで叫んだ。
「私は絶対にみんなを見捨てたりしない!!」
「…おう! 頼んだぞビビ!」
*
「鍵……」
水が漏れ出している扉をとじ、時間の猶予を稼いだが状況はよくない。窓の外にはバナナワニ達が順番待ちをしている。
倒せても数体だろう。
サンジを連れてクロコダイルもすぐ戻ってくるはずだ。
「鍵を食べたのはどれッ?」
「分からんッ」
「なにそれ…」
一体ずつ倒さなければいけないのだろうか。そんなのムリだ。
でもやるしかない。
そう拳を握りしめるロザリーに「待て」と聞き覚えのない声がかかった。
「え? ……うわあッ!」
ロザリーは思わずはしたないほど下品な呻き声を上げた。奥にいて気付かなかったが彼は……。
「白猟のスモーカー……!? なんでここに……!?」
「おれ達と一緒に捕まったんだ」
「おう、追いかけてきて一緒に罠に落ちてさ」
「てめェらがノコノコ引っ掛かるからだろうが!」
スモーカーはしかめっ面で叱り飛ばした。こいつもちょっとおバカさんなんだ……というロザリーの視線に羞恥を誤魔化すように厳格な顔つきをし、彼女を睨む。
「その特徴的な金髪…。まさかこんなところにいやがるたァな」
「……」
「"神への反逆者" ロザリー。てめェのことだろう」
「……」
彼の確信を持った瞳に射抜かれ、ロザリーは諦めたように鼻にシワを寄せて苦く笑った。
「神への反逆者……?」
「なんだそれ?」
「お前お尋ね者なのか?」
「ア? てめェら知らねェのか? 仲間かと思ったが…」
「ああ! ロザリーはおれの仲間だ!」
「この女がどんな女か知らねェで船に乗せてたのか…」
「だからなんなんだよ!」
こいつらがアホなのか、それともこの女が騙していたのか…。内心でそう考えながらスモーカーは濃い煙を吐いた。