花乙女の罪人
01

 ナノハナやユバのような寂寥感の漂う枯れた町と違い、夢の町レインベースは活気に賑わっていた。白い建築が並び、砂色の景色はしかし、色に溢れている。

 Mr.3の船があったために、おそらくB・Wに麦わらの一味の存在はすでに見抜かれているだろう。だが、今は考える時間も惜しいほど時間が無い。
 町に辿り着いた彼らは、まず水の補給を最優先とした。
 砂漠をずっと超えてきたから食料もない。

 その買い出しにルフィとウソップが向かった。向かったが……。
「あいつらに任せて大丈夫かな」
「おつかいくらい出来るでしょ。平気よ」
「そうかね…どうせまたトラブルしょって帰ってくるんじゃねェのか?」
「ユバでも海軍を案内してきたものね…」
 ゾロにロザリーも苦笑してうなずく。少ししかいないのにルフィのトラブル体質というか、後先考えないまっすぐな行動というか…それらが分かり始めた。
 チョッパーがトイレに行き、ゾロは小枝でマツゲと遊んでいる。
(ゾロって動物とじゃれたりするんだ……)
 その姿が意外でしゃがんで彼を眺めていると、素知らぬふりを決め込んでいた彼がしかめ面で「なんだよ」と視線を投げた。
「ううん。マツゲと仲良しさんなのね」
「なか……」
 彼は絶句して小枝を放り投げた。頭をガシガシかいて立ち上がった彼を(あら…)とぼーっと見ているとサンジが「ゲッ」と上擦った声を上げた。
「あいつら海軍に追われてるぞ!」
「ウソでしょ……なんでこっちに逃げてくんのよ!」

 たしかに。ユバでもそうだが、なぜ一目散に仲間のところに来るのか。信頼の表れかもしれないし、何も考えていないだけかもしれない。
 兎にも角にも一味たちは一斉に逃げ始めた。

「マズイんじゃねェか!? 町の中を走るとB・Wに見つかっちまう!」
「もう手遅れだと思うぜ」
 人並みを突っ切る彼らはすでにすこぶる目立っている。驚きに振り返る人々の視線の中に、射抜くような敵意のこもった視線が紛れているのを肌で感じる。

 見つかってしまっているなら、それぞれでマいて集合した方が話が早い。ワニの頭が町を睥睨する巨大な建物、レインディナーズ。クロコダイルの経営するカジノを目印に一味は散開した。
「ビビ、行きましょう」
 ロザリーはビビについて行く。王女の彼女がジョーカーだ、必ず守らなければならない手札だった。ゾロも並走している。
「人通りの少ない方に!」
 先導する彼女について走るが、海軍は執拗に追いかけてくる。一度見つかってしまっている以上このまま走っていても追いつかれてしまう。
 歯噛みするビビにゾロがふと立ち止まった。
「てめェら先に行っとけ」
「でも……!」
「このままじゃまだるっこしいだろうが。いいから走れ!」
「……!」
「任せたわ、ゾロ!」
 後ろ髪を引かれるビビの手を取り、ロザリーは走り出した。ゾロは満足そうにニヤリと笑う。

 身を隠しながらビビは心配そうに振り返った。あちこちで騒音が響いている。一味たちがそれぞれ暴れているのだろう。
「大丈夫かしら、Mr.ブシドー…!」
「大丈夫でしょ。海賊狩りゾロといえば割と名が通っていてるし、見たところ名のある海軍もいないわ。スモーカーくらいよ」
 意外と海の事情に詳しいロザリーの冷静な横顔を見る。彼女にあまり焦りは見られない。メガネが陽光でチラリとまたたいた。
「それより早く前に……っと、ビビ!」
「クッ」
 強く腕を引かれて転びそうになると、さっきまでいた場所にキキキン!とナイフが飛んできていた。ビリオンズ達だ。
「見つかってたのね……!」
「ヒャハハハ! おれたちゃ運がいいな、王女様を見つけられるたァ!」
「これで昇格も間違いねェ!」
「ここで消えてもらおうか、裏切りもんはよォ!」
「ロザリーさん、私の後ろに!」
「えっ」

 町民たちは逃げ出しているようで、広場には敵しかいない。それにビビは少し安心する。いつの間にかふたりは取り囲まれ、庇うようにロザリーを自分の背で隠したので思わず動揺してしまった。
「ビビがいなくちゃダメなのよ。ここはわたしが……」
「追い詰められたなァミス・ウェンズデー!」
「まさかお前が王女だったとは……」
「フフ、そうよ私はオフィサーエージェントだったのよ! 王女だからって甘く見られちゃ困るわ!」
 ビビは胸からアクセサリーの刃物のようなものを取り出しクルクル回した。風を切る音がする。
「孔雀(クジャッキー)・スラッシャー!」
「すごい……誰も話を聞かない……」

 呆気に取られてしまったロザリーだったが、ビビはB・Wに潜入していただけあって、男たちを次々にのしている。だが、多勢に無勢だ。段々と押され始め、攻撃を危うく躱すような場面も多い。
「ビビ!」
「えっ…キャアッ! ロザリーさん!」

 声に振り返ったビビがいたのは、背後で刀を振りかぶる男と、自分を守って割り込んできたロザリーの姿だった。彼女を非戦闘員だと思い込んでいるビビは青くなって悲鳴を上げた。
 キィィン…と甲高い音が鳴る。
 ロザリーは切られていなかった。腕を上げ緑色の何かで受け止め、そのまま弾くと腕を横薙ぎに振り払う。目の前の男からプシャッと血飛沫が上がると、ゆっくりと倒れた。
「お転婆な王女様ね…」
「た、戦えないんじゃ……?」
「ルフィほどはね」
 彼女は困ったように眉を下げ、周囲を見渡した。ロザリーの腕が、鋭く尖る葉っぱの刃のようなものに変形し、ギラッと光っている。
「まぁでも、ここにいる男たちは何とかできるわ」
 ウインクする彼女に、ビビは驚いた表情を明るく変え、「頼もしいわね!」と不敵に敵を睨んだ。
 ふたりは背中を合わせると、男たちの喉元に飛び込んで行った。

*

「随分暴れてくれたもんだな、王女様」
「さすがは元我が社のフロンティアエージェントだ」
 ふいに背後の戦闘音がやんだ。ハッとビビを見ると、彼女は男たちに取り囲まれ、腰をついてしまっている。
「観念しな、フヒヒヒ!」
「ッ!」
「ビビ! 葉桜乱───」
 フワッとロザリーの体のまわりに木の葉が舞い始めた。だが、技が発動する前に「ギャアッ!!」と汚い悲鳴が上がった。
 見ると、上空から黒い影が閃光のように下降していて、ズドドドドと怒涛の響きで地を揺るがせながら男たちを蜂の巣にしている。

「ハヤブサ!?」

 ビビを避けるように銃撃の雨を降らせ、男どもは目をかっぴらいて慌てる。ビビの顔が言葉もなく喜びに漲らせているのを確認し、ロザリーはそっと彼女のそばに寄った。
「大丈夫?」
「ッ、ええ! ロザリーさんは…」
「平気よ」
「なんで鳥がガトリング銃を……!」
「クソッ撃ち落とせ!」
 ハヤブサは暗褐色の見事な翼をはためかせ、縦横無尽に飛び回り、一筋の矢のようにビビと、ついでにそばにいるロザリーを鉤爪で掴んで上昇した。
 風が顔を叩く。
 タン、と優しくふたりを下ろし、ハヤブサが振り返った。
 煙とともに人間の姿があらわれる。

「お久しぶりです、ビビ様」
「ペル!」
 独特の模様の入った白服と帽子を身にまとい、紫の涙のようなメイクをした男。目が細長くて瞳は小さく、闇夜のような黒目をした鋭い怜悧な顔つきだったが、ビビを見るまなざしは眩しさに満ちている。
「少々ここでお待ちを……!」

 砂漠育ちなのに海岸の砂のように真っ白な肌を持った彫刻の男は、ビビに安心させる声を出すと、鳥の姿に変わった。人間の顔ほどもある巨大な爪を構える。
「ペル……!?」
「まさか"ハヤブサのペル"……!」
「アラバスタ最強の戦士じゃねぇか……!」
「"トリトリの美"モデル"隼(ファルコン)"。世界に5種しか確認されぬ"飛行能力"をご賞味あれ…」

 静かにつぶやき、翼を広げると矢のように飛翔した。様になる男だ。
「飛爪!」
 銃弾を目にも止まらぬ速さで避けると、バタバタと男たちが倒れた。威圧感のある背中だけがその場に立っている。
「助かった……! 急がなきゃ、みんなのところへ……!」
「そう。その気なら話は早いわ」
「!」

 ロザリーは咄嗟にビビの前に出た。白いコートを羽織った彫りの深い女だ。ロザリーは彼女のことを知らなかったが、ビビが「ミス・オールサンデー!」と叫んだ。

「何者だ」
「綺麗なものね……初めて見たわ。飛べる人間なんて」
 ミス・オールサンデーは優雅にペルを見下ろした。ビビも、彼女を庇うロザリーも一切気を払っていない余裕の態度。
 彼女……。
 ロザリーは、そのスッと線を引いた鼻や、全てを吸い込むような黒曜の瞳を凝視した。彼女のことを知っている。
 オハラの悪魔……ニコ・ロビン。
 たった8歳で懸賞金を賭けられ、今まで世界政府から逃げ続けてきた懸賞首だ。そしてロザリーと同じ、"D級リスト"に名を連ねる女性……。

「……でも…私より強いのかしら」

 ニコ・ロビンは、感情の読めない笑顔でチラリとビビを見下ろした。
「よければ王女様を私達の屋敷へ招待したいのだけれど、いかがかしら?」
「くだらん質問をするな。問題外だ」

 硬質な声。ロザリーの後ろからビビが飛び出した。
「ナメんじゃないわよ!」
「あっバカ…」
 しかしビビの振り下ろした腕をパシッと掴み、ロビンは窘めてあやすように言う。
「まぁ、お姫様がそんなはしたない言葉口にするものじゃないわ、ミス・ウェンズデー」
「よくもイガラムを……!」
 憎しみのこもった瞳でビビはギリギリとニコ・ロビンへマグマのように睨む。どうやら、イガラムという男を手にかけたらしい。
 ロザリーは船に乗ったばかりで、彼らの抱える因縁も事情も知らない。

 ニコ・ロビンがおもむろにビビの身体を捩り、胸に掌底を叩き込んだ。ビビが「カハッ……」と咳き込む。
「ビビ!」
 ドサッと膝をつくビビに駆け寄るが、どこも怪我をしていないようだ。
「貴様アアアァァアアアア!!!」
「!?」
 憎悪の嘆きを上げ、ペルがロビンに突っ込んで来る。なぜかニコ・ロビンは哄笑した。
「アッハッハッハッハッ」
「アラバスタの塵にしてくれる!!」
 ペルの顔は危機迫り・追い詰められていて、目が血走り、普通じゃない。忠誠心のなせるものだろうか。王女に攻撃が加えられ怒髪天をついたという鋭さ。
「三輪咲き(トレス・フルール)」
 ロビンが胸の前で腕を交差させる。すると飛行していたペルの身体から腕が生え、羽を掴んで締め上げた。ペルが落下して転がり倒れる。
 なるほど、おそらく超人系(パラミシア)の悪魔の実……。ロザリーは目を細めた。

「そう、私が口にしたのは"ハナハナの実"。体の各部を花のように咲かす力」
 ニコ・ロビンの腕がみるみる生え、フワッと伸びている様は彼女の雰囲気と絶妙に似合っていた。美しく・妖艶であり、不気味だ。
「咲く場所を厭わない私の体は……あなたを決して逃がさない」

 余裕なロビンと違い、ペルは煽られ頭に血が昇っている。会話を聞くに仲間も殺されているらしい。ふたりの戦闘を観察しながら、ロザリーは自分がどうするべきか考えた。
 彼女はビビをどこかに連れていこうとしている。
 ルフィ達はどうしているのか……。
 やがて、ペルがニコ・ロビンの関節技によって倒された。

「フフッ。"王国最強の戦士"も大したことないわね」
「ペル……! そんな……。ウソよ……」
「さァ……行きましょうか…。社長とあなたの仲間達が待ってるわ…」
「!」
「レインディナーズの……檻の中で……」
 ペルの敗北を信じられず呆然とするビビに、ニコ・ロビンは残酷に告げる。
 ルフィ達は既に捕らえられているらしい。
 ロザリーは小さく溜息をついた。ニコ・ロビンはともかく、クロコダイルはロザリーにはどうしようも出来ない。相性が悪すぎるのだ。

 ロザリーは俯きながらビビの前に立った。
「あら……あなたも戦うつもり?」
「ロザリーさん…!」
「フフ、可哀想に。震えているわよ」
「黙って!」
 懐から小さなナイフを取り出して構えると、ニコ・ロビンは憐れむように見下ろした。手が震えるせいで切っ先も揺れている。
「そう……面倒だけど、立ち向かってくるというのなら、」
「やめて! ついて行くわ!」
 ビビが立ち上がって叫んだ。ロザリーを隠し、振り返って「ありがとう」と気丈に微笑む。彼女が罪悪感を感じないように、そして心配しなくて大丈夫だと励ます、トトに見せた美しい王女の笑顔だ。
「ペルを……お願い」
 ビビがロビンを挑むように見上げる。ロビンからロザリーは影になって見えないようだ。そして、さっきの戦闘をロビンは見ていないらしい。わざわざナイフで戦うことに疑問を抱いていないようだし、なんなら麦わらの一味とも気付いていないかもしれない。フードを目深に被り、メガネで顔を隠しているからロザリーがロザリーであることにも思い至っていないようだ。
 ロザリーはそっとビビの背中に手をかざした。

 ── 導の芳香(ポレンエルム)。

 ポンッ、と小さな花が咲く。それをつけたままビビは歩き出した。ロビンは一度も振り返らなかった。

 ふたりが見えなくなるまで俯いていたロザリーは、おもむろにペルの元に向かう。しゃがみこんで彼の様子を確認する。
 血を吐いているが、重傷ではなさそうだ。内臓にダメージもない。羽根も折れていない。首の骨も折れていない。彼女に殺すつもりはなかった…のかもしれない。
「……」
 彼の手当をし、ロザリーはふたりの去った方を眺めた。スンスン、と空気を嗅ぐ。甘い香りが線を描くように、ビビへの道を教えてくれる。背中に咲かせた花がロザリーにしか分からない花粉を漂わせているのだ。
 トンと建物から飛び降りると、身を隠しながらロザリーは後を追いかけた。

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