ひとりぼっちじゃない夜
03

「ロザリーさんは…ダンスパウダーのことを知っているようだったわよね…。このことは新聞には載っていないのだけど…」
「ええ」
 彼女の瞳には怯えが走っている。
 王家がダンスパウダーを民に使っただなんて広まっていれば、世界政府から捕まってもおかしくはない。その懸念を言葉にされなくとも察したロザリーは、安心させるように気遣わしげに答えた。
「あくまで噂よ。リアン島は年中豊かで、交易も盛んだから…移民が来るの。その…アラバスタから移ってきた人達も…」
「そう…その人たちはリアン島で元気で過ごせてるかしら」
「おそらくは。狭い島だからよそ者に当たりは厳しいけれど…少なくとも飢えることはないわ。仕事先も多いのよ」
「なら良かった…」
 自分の民が国を捨て、嵌められただけの王の不祥事を噂しているだなんて、聞いて嬉しいはずがないのに。ビビはそう言った。
 国を移ろうが、ビビにとっては全てがアラバスタの民なのだ。

「その人たちには申し訳ないわ。生まれた国を捨てるだなんて、辛い決断をさせてしまった……」

 ロザリーはビビを見ていると、あまりにも気高くて鼻の奥がジンと痛む気持ちになる。目蓋の裏に力を込めて視界がぼやけそうになるのを耐えた。
 
「国の平和も……王家の信頼も……雨も……!! 町も、民の居場所も、そして人の命まで奪ってこの国を狂わせた張本人がクロコダイルなの!!」

 ビビの横顔が、どんどん怒りと苦痛に満ちたものに歪んでいく。嘆きと激情と悔しさに全身を震わせ、喉の奥から振り絞った声は、掠れていたが、叫びだ。
「なぜあいつに……そんなことをする権利があるの!?」

 手のひらで顔を覆い、腰を折り曲げて、激情を叫ぶビビの姿は、愛だった。アラバスタの全てに対する愛が深い嘆きと怒りになって迸っている。

「……私は!! あの男を許さないッ!!!!」

 ビビの叫びは仲間に熱になって伝播していく。
 ルフィ、サンジ、ウソップが衝動を耐えきれずに建物にぶつけ、轟音が響いた。
「さっさと先へ進もう。ウズウズしてきた」
 彼女の願いが本当の意味でルフィに伝わり、火をつけたのだ。
 そして、ロザリーにも。


 ──国王が主導した事業じゃないのか!?

 ──俺たちはただ…豊かで幸せな暮らしを望んでいただけで……

 ──金を望んで何が悪い! 貧しさから逃れたいと思って何が悪い!?

 ──やめて!! 森にはまだ子供たちが……!!

 ──俺たちの国が……燃えていく……! 俺たちの愛した……

 ──これも全て王家が俺たちを騙して食い潰したせいだ!! 金に狂った愚王が! 


 目を閉じなくても聞こえる、人々の涙と怨嗟の声、火の上がる町、故郷が燃えていく光景。

 胸の中で澱んだ倦怠感が渦巻き、何度も瘡蓋を剥がして未だに生々しさを伴った傷口から膿が滲む。
 理不尽には抗わなきゃいけない。戦わなきゃいけない。
 ロザリーは憎しみに燃える目で、前を睨んだ。

*

 ジュウジュウ音が鳴りそうな陽射しが、全てを焼きつくそうと降り注ぐ。動くものの影すらない、荒涼な砂の海が眼前に広がり、黄土色の地面から陽炎が立ち上る。

「ア"ーー…焼ける……」
「あんまりアーアー言わないでよルフィ。余計ダレちゃうじゃない」
 ゾンビみたいに頬をこけさせて木によりかかってモタモタ歩くルフィは、滅多にないほど弱っている。確実に身体から汗として水分は放出されているのに、その熱気と乾燥で、搾り取られるように蒸発してしまう。

 チョッパーはダウンしてゾロに引きずってもらっていた。
「おれダメだ…暑いの苦手だ……。寒いのは平気なのにな…」
「おめェがモコモコしてっからだ。その着ぐるみ脱いだらどうだ?」
 舌をペロンと出してハァハァ体温調節するチョッパーに、自分も全身ガクガクになりながら、ウソップはそんな軽口で煽った。モコモコの毛布を着込む奴を見ていると暑さが増すせいもあったかもしれない。
 チョッパーはムムッと苛立って変身し言い返す。
「この野郎トナカイをバカにするなァ!」
「ギャーーッ化け物ーーーッ」
「おいチョッパーデカくなるな引っ張ってやんねェぞ!」

 鉄板焼きの砂漠の中でもワーワーギャーギャーと騒ぐ彼らをロザリーは横目で見た。元気でいいわねと呆れる余裕もない。
 身体中の水分が吸われて、枯れてしまいそうだ。
「ハッ……ハアッ……」
 俯いて、杖替わりの枝に体重を乗せながら、前を見ないようにして足を動かす。この先に広がる砂漠を見たら、道のりの遠さに歩みが遅くなってしまいそうだからだ。
 一味の最後列でものも言えずになんとか着いていく。

「……ビビちゃんはあんまり堪えてねェみたいだな」
「私はこの国で育ったから多少は平気」
「ナミさんは大丈夫かい? おれが運ぼうか?」
「大丈夫よ、さすがにそろそろ休憩はしたいけど…まだ歩けるわ」

 さすがというべきか、サンジは女性陣に細かに気遣いして声を掛けていく。振り返ってロザリーを探すと、最後尾で俯いてヨタヨタしている。
 サンジは慌てて駆け寄った。
 チョッパー並に消耗しているように見えた。
「ロザリーちゃん! 無理しないで、おれがおぶるよ」
 彼がそう言ってくれるのは分かっていたので、ロザリーは顔を上げて首を振った。微笑む気力はなかったが、たぶんなんとか口端はゆるんでいるだろう。
「ううん、大丈夫よ。ありがとう」
 喉まで乾き切っていて、キッパリした声を出したつもりだったのに、途切れ途切れにかさついた声音になってしまった。
 サンジは眉をひそめた。
 だってどう見ても大丈夫じゃなかったからだ。
 ビビやナミはまだ余裕がありそうだったし、強がってもいないけれど、彼女は一気に生命力が枯れたようだった。唇は乾燥してシワシワで、目の下が落ちくぼんでいる。
 汗が乾いた跡が何本もあるのに、今はどこを見たって肌がカサカサなのは、もう汗が出るほども体内に水分がないからだ。そして焼け付く空気の中にいても、フードの下の顔色は青を通り越して白い。
 視界が霞んでいることにも気がついていないようで、サンジを顰めるように見上げている。それなのに自分では笑っているつもりなんだろう。

「……」
 サンジは問答無用でヒョイッとロザリーを抱き上げた。
「ッ、」
 驚いて叫んだけれど、声は出なかった。横向きに抱きかかえられ、上から押さえつけるような目に見下ろされる。
「まだ先は長いんだ。倒れられちゃ困る」
「でも……」
「聞こえねェな。水を飲んだ方がいい」
 掠れた声で反論しようとしたのに、ロザリーの小さな声に耳を傾けることもなく、サンジは騒いでいるルフィたちのほうに足を早めた。
 抵抗する力も入らない。

「ルフィ、ロザリーちゃんにも飲ませてあげてやってくれ」
「おう。大丈夫か?」
「やだ、あんたすごいシワシワじゃないの! フードで隠れてて気付かなかった……!」

 起き上がって水を飲もうと思ったのに、一度身体から力が抜けたせいか、それすら困難だった。
「ルフィ」
 サンジに言われ、飲み口を口元に寄せてくれてなんとかコクコクと喉が動く。冷たい水が全身の細胞に染み渡り、草木が水を吸い取るようにみるみるロザリーは潤いを取り戻した。
 顔に血色が戻ったのを見て、ようやくサンジのギュッ寄った眉根が戻った。
「少し元気になったみてェだ」
「ケホッ…ごめんなさい。もう平気よ」
 降りようとすると腕を強く抱え直して、止められてしまう。
「ダメだ。体調が悪いんだろ?」
「体調が悪いというか……」
「サンジさんが大丈夫なら、少しだけ休ませてもらった方がいいわ。砂漠は怖いのよ」

 ロザリーは諦めて、腕の中で申し訳なさそうに身をよじる。
「そうね…。ごめんなさい、実はわたし、体質的に乾燥している場所に酷く弱いの…」
「なんで最初に言わねェんだよ!」
「つらいのはみんな同じだし…これからおそらく、戦いも控えているでしょうし…」
 自分のために誰かの労力を使わせ、煩わせるのがいやだったのだ。ルフィが不満そうに睨む。それと、口にはしないが、誰かに弱味を見せることがいやだった。

「ビビ! 弁当食おう、力が出ねェよ」
「そうしてあげたいけど…でもユバまで4分の1しか進んでないわ」
「ばかだなーお前、こういうことわざがあるんだぞ? "腹が減ったら食うんだ"」
「いやウソつけ作るなお前!」
「わかった…じゃあ次に岩場を見つけたら休憩ということでどう?」
「よ〜し岩場ァ〜〜〜!!」
 拳を叫んで喜んだルフィだが、見渡す限り、砂丘、砂丘、砂丘だった。
「岩場〜〜〜〜ッ!?」

 休憩地点まで見えもしない。ロザリーは弱々しく囁いた。
「サンジ」
「ん? どうしたの?」
 今度は、顔を近付けて優しく聞いてくれた。彼からは煙草とスモーキーな香水の匂いがする。
「この持ち方じゃますます疲れてしまうわ。せめて背中に…。荷物はわたしが背負うから」
「ああ、そうだな。ウソップ、これ持っとけ!」
「はァッ!? おれだってそんな気力ねェぞ!」
「うるせェレディに無理させられねェだろうが!」
「おれには無理させていいんですか!」
「何当たり前のこと言ってやがる」

 デカいリュックを雑にぶん投げて、ウソップはショックでダーッとうなだれながら怒っている。
「さ、一度おろすから背中に」
「ありがとう…」
 彼の背中は広く、安定感があって歩いていてもほぼ揺れが伝わってこない。縋りつくほど腕に力を込められなかったけれど、太ももに触れないようにして、けれどしっかり支えながらサンジは歩いた。
 申し訳ないというか、無様をさらして情けないのに、どこか安心感もあり不思議な気分だ。

 ウソップ、ルフィ、ゾロ達が荷物持ちジャンケン大会を開いている喧騒を背後に、ロザリーはもたれ掛かりながらサンジの首にクッと腕を回した。
「ほんとうごめんなさい。挽回できるようにがんばるわ」
「謝らないでくれよ。おれは君の役に立てて本望さ」
「ふふ。優しい人…」

 ほんとうに、優しくて嫌になる。
 甘やかすのが上手で、人に頼れないロザリーに、嫌な気持ちにさせないように支えてくれる。
 花に水をやるのが上手い人だと思った。こんなに温室で丁寧に育てられたら、野生で咲けなくなってしまう。厳しい自然の中を生き抜く力を忘れた植物は、枯れてしまうしか道がないのに。

*

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