ひとりぼっちじゃない夜
02
「お前一体兄貴から何受けとったんだよ」「さー、分かんねェ。紙きれだ」
「本当に紙きれだな。メモでもあるわけじゃなし」
ルフィは指で弄びながらあっちこっちから眺めている。クルーたちも覗き込む。
「ロザリーも持ってるだろ? これって何なんだ?」
「エースが言ったままよ。これを持てば引き合うの」
「それがわかんねェんだろ〜」
小むつかしい理論はあるがルフィに理解できるとは思えないし、エースも言わなかったんだから彼もそれでいいんだろう。
「分かりやすく言うなら、エースの磁気を追う永久指針(エターナルポース)みたいなものね」
「ふーん」
分かってなさそうな返事をし、ルフィは紙をナミに預けた。
「よくわかんねェけどエースが持ってろって言うんだから、持ってるんだおれは! だからしっかり縫いつけてくれよ!」
「リボンの裏にね…わかった」
麦わら帽子の裏地にチクチク糸で縫い始める。
ロザリーは手すりに肘をついて海を眺めた。三つ編みが風に揺れ、ゴールドのネックレスが光を弾く。視線を伏せ、思考に耽る大人びた横顔にウソップ達は話しかけづらいベールを感じたが、ルフィはかまわず隣に並んだ。
「お前エースの船に乗ってたんだなー!」
「ええ。まさかあなたが弟だったなんてね」
「すげェ偶然だな〜」
「どのくらい一緒にいたの?」
「1年にも満たないくらいかしら…」
「エースの兄ちゃんって昔から強かったのか?」
「強かったわよ。出会った頃はもう能力者だったし」
「へー。どんな風に出会ったんだ?」
「降りたって言ってたけど何があったんだよ?」
ビビやウソップ、チョッパーも寄ってきた。
「……」
ロザリーは振り返りニコリと微笑む。静かで音のない笑みだ。
「女性の過去を暴くのは無粋よ。謎めいていた方がセクシーでしょ?」
人差し指でウソップの唇を抑え、そう嘯くと、艶っぽさとは真逆の儚げな弧を描いて船の中に消えていく。
「それに、あんまりエースの話を弟やその仲間にすると怒られちゃうわ。あの子、手がかかるやんちゃな子だったもの」
「あの子…」
ルフィの兄だとは思えない立派な人格者に見えた男を、子供のように言うロザリーに「あいついくつなんだろうな…」とウソップ達は呆気に取られて顔を見合せた。
船に戻り、ラウンジのソファで目を閉じると、デッキが盛り上がる声が聞こえる。ユバで、革命軍を暴動が起きる前に止める。
無謀で成功率が見えない作戦だ。
けれど、ビビの決意は固く、まっすくだ。ロザリーにはそれが眩しい。成功してほしいし、成功させてあげたい。国を思う"王女"のビビは民の上に立つものとしてこれ以上なく素晴らしい資質を持っている。
ロザリーは、仲間としてではなく、自分の私情でアラバスタに協力するつもりだが、この数日でビビの心根を感じて、船の上に乗る船員としても報われて欲しいと思った。
「ロザリーちゃん」
「あら」
「今から砂漠越えの弁当を作るんだが、食べたいものはあるかい?」
「サンジの作るものならなんでも美味しいわ」
デッキからサンジが戻ってくる。
彼はいつもクルクルと働いていて、いつ休んでいるか分からない。
「とろけるほど美味ェもんを作るから楽しみにしててくれよ」
「ええ」
「なにかお飲み物はいかがですか、レディ?」
「ありがとう、そうね…じゃあアイスミルクティーを」
「かしこまりました」
腕を丁寧に折り曲げ、キザに腰を曲げるサンジに木漏れ日みたいにクスクスし、何をするでもなく足を組む。荷物を最低限しか持たないロザリーは1人になると時間の潰し方がない。
瞳を伏せてイヤリングをチャリチャリ鳴らした。
ビブルカードをどうしようか。
受け取りたくはなかった。渡したくもなかった。いずれ、ロザリーは命の危機に落ちることもあるだろう。その時助けに来てほしいと思わない。
エースが命の危機に瀕した時、ロザリーに出来ることがあるとも思わない。けれど、きっと行きたくなる。エースのことで選択肢が生まれること自体が…ロザリーには重荷だ。
身軽じゃないと…。
今でさえ執着する過去が身に巣食っているのに、これ以上執着するものを増やしたら身動き出来なくなってしまいそうだ。
ふたつの悲願…そしてリュカ…そしてエースまで。あの男は、身軽になりたいロザリーを理解していて渡してきたのだから、食えない男だ。すこしムカつく。
そうよ、エースの思惑通りわたしはあなたを枷に思ってる。
心の中で拗ねたようになじり、ため息をついた。
ふとテーブルに影がかかり、ロザリーは顔を上げた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ラウンジにはサンジとロザリーしかいない。冷たい感触が喉を滑り落ちていく。彼がロザリーの隣に座った。珍しい。視線だけでチラリと見る。
テーブルにはサンジ用の灰皿が置いてあって、吸殻がいくつか捨ててあった。
「吸ってもいいかな」
「好きにしていいのよ」
特徴的な眉毛だけがクイッと動き、礼を伝える。懐から箱を取り出すと慣れたように咥えて火をつけた。デス・ライトと書いてある。ジジッ…と先端が赤く燃える音がして、ほの苦い煙の香りが漂った。
「ルフィの兄貴と船旅をしてたんだね。ロザリーちゃんはずっと偉大なる航路(グランドライン)に?」
「ええ」
似たような質問。やはり彼も気になるのか…。まぁそりゃあ気になるわよね。ロザリーは情報をあまり開示しないから。
「…聞いてもいいかな」
やや言いづらそうに鼻をかく彼に、小首を傾げてうながした。彼女の新緑の金髪がサラリと肩の方に流れた。
「あー、不躾な質問だから、答えなくてもいいんだが…あのエースって奴とは特別な関係だったりしたのか?」
「特別な関係?」
パチパチまばたきをすると、サンジは慌て、気まずそうにした。
「いや、なんつーのか…」
「ふふっ、そう見えた? わたしがエースと?」
「…違ってたかい?」
「恋人じゃないわ。エースは…うーん。頼りになる船長で、危なっかしい弟みたいで…」
彼の傍は居心地が良すぎた。ずっと見ていたいと思ってしまう、訴求力があった。背中は頼もしいのに笑うと可愛くて、手がかかって、豪快でめちゃくちゃな奴だけど、その血の気の多さの中になにか寂しいものがある気がして…。
エースと過ごして生まれた感情は、ロザリーの人生の中で初めてのものだったから名前がうまくつけられないのだ。
ただ、彼はロザリーを弱くすることだけは分かった。
だから離れた。
傍にいることが恐ろしくなった。
「っかしいな、こういうので外れたことはねェンだが…」
「?」
サンジがなにか呟いたが、小さくて聞こえなかった。聞き返すと、「いや」と首を振る。
「あいつと何があったかは詳しく聞かねェけど、ロザリーちゃんの顔がなんだか暗くなっちまったからさ。おれに出来ることがありゃなんでもしてあげてェんだ」
「暗い? そうかしら」
「おれの目には、寂しそうに映るよ」
「…。懐かしんでいるだけ」
胸が高鳴るような花の笑みを向けられ、サンジはドキンとちゃんとときめくが、ス…と線が引かれたのにも気付いている。
彼女がいつも浮かべる花の微笑みは、鎧だ。
エースに向けたころころくるくる変わる繊細な表情とはちがう。まだ船に乗ったばかりで気負っているんだろう。
それを向けてほしいわけではない。
もちろん、色んな表情を見せてくれたら嬉しいが…。
サンジはただ、よそ行きの顔で控えめに過ごす彼女にもっと、この船がリラックスできる場所であってほしいと思う。
ルフィ達のように雑な奴らにロザリーの笑顔の壁は分からないし、かといってナミのように鋭い人は彼女のペースを尊重して踏み込まない。
だが、彼女のペースを待っていると、サンジにはロザリーがいつかふと、花が散るように消えてしまう気がするのだ。
*
「いやー、なんもねェなここは!」
辿り着いた町、エルマル。
砂に埋もれかけ、錆び付いたような町の中を一味は歩く。目的地であるユバまではここから半日も歩かなければいけないらしい。
ヒビ割れた建物が打ち捨てられたような、誰もいない侘しさのある砂を踏み締める。
このあたりをナワバリにしている武闘派のクンフージュゴン達を流れるように弟子にしながら、なんとか別れて手を振る。
アラバスタは河すらも海に侵食され始めていた。
「つい最近までこの辺りは緑いっぱいの活気ある町だったのよ」
「緑の町? 緑なんかどこにもねェぞ!?」
「ええ、今はね…」
「だけど…ここ3年、この国のあらゆる土地では一滴も降らなくなってしまった…」
「3年も!?」
いくら砂漠の国とはいえ、降雨ゼロなんてアラバスタでも過去数千年有り得なかった大事件だ。未曾有の大災害に見舞われ、さらには反乱を招く事件まで起こってしまう。
王宮がある首都"アルバーナ"のみ雨が降り、民はそれを"王の奇跡"と呼んだが、2年前首都にダンスパウダーが運び込まれた。
運び人は「王の命令で王宮に運び込まなきゃならない」と言い、逃げ出した。
ダンスパウダーとは別名"雨を呼ぶ粉"。
霧状の煙を発生させ、雲の成長を促して降水させる効果のある粉だが、それには近隣の干ばつを招く大きな落とし穴がある。
以前国家間の戦争が起こって以来、世界政府によって製造・所持を禁止される危険な粉だった。
そんなシロモノが町に運び込まれた上に、いつの間にか王宮にも畳み掛けるように大量のダンスパウダーが運び込まれていた。当然コブラ王には身に覚えのない事件だったが、全てはクロコダイルの策略だった。
「クロコダイルが…ダンスパウダーで3年もの干ばつを操作していたのね…」
怒りと恐ろしさに腹の底あたりで黒いものが渦巻くのを感じた。国の乗っ取りを企み、町を枯れさせ、無辜の民を苦しめ、王への不信感を煽り、反乱を起こして自分は国の救世主として振る舞う。
緻密で壮大なマッチポンプだ。
長い間七武海として君臨し、政府の忠実な犬として振る舞いながら秘密組織を結成し、虎視眈々と牙を研いで時を待つ。その目的のための気の長さと悪意にゾッとする。