07

 授業はいつも15時に終わる。
 シャルルは地下回廊の空き教室に16時に2年生全員を集まるよう伝達し、授業終わりにすぐマルフォイとノットを捕まえていた。
 スネイプの私室前(つまり魔法薬学教室)には生徒たちはよりつかない。静かに自習に励むことが出来るだろう。
 教室に連れ込まれたマルフォイは目を白黒させて言った。
「勉強会は16時からじゃなかったのか?」
「そうよ。でもマルフォイにはお願いがあって」
「お願い?」
 シャルルは微かに首を傾けて、マルフォイの顔を見上げた。その声には甘えのような響きが含んでいるように聞こえて、マルフォイはドキッとしつつも、顔を警戒に満ちたものに変化させた。
「この勉強会のリーダーを、マルフォイ、あなたにお願いしたいの」
 マルフォイは居をつかれて、きょとり、とまばたきをした。
「リーダー?だが君が運営するんだろ?」
「企画立案はわたしだけど、誰かを纏めたり率いたりするのはマルフォイの方が向いてると思うの。カリスマ性……リーダーシップ……があるっていうのかしら」
 分かりやすい煽てにも、彼は満更でない顔をした。
 マルフォイとて小さな蛇であるから、明らかに計画に巻き込んで面倒事を押し付けようという下心は感じ取っていたが、彼は頼られれば頼られるほど力を発揮するタイプであったし、馴れ合いを好むように見えてその実孤高に事を進めるシャルルに頼られ、悪い気はしなかった。
 いずれ当主の座を継ぎ、父であるルシウスのように、鋭い情報精査能力と、敏腕な政治力を発揮するために、スリザリンでリーダーとして経験を積むことは有用だった。
 少し考え、目を細めてマルフォイは薄く笑った。
「分かった。協力しよう」
「ありがとう!」
 はしゃいだ声をあげ、シャルルはマルフォイの手を両手で握る。たじろぐ彼をよそに、「じゃあ今日の進め方を考えましょう!マルフォイは魔法薬学とDADAの担当だから、クラスがあった日はよろしくね」と話を進めた。
「各科目で生徒を選んであるのよ──」



 集まった面々をマルフォイが尊大に顎を上げて見回した。「それでは、勉強会を始めよう。これは僕らが今年こそ寮杯を獲得するための重要な計画のひとつだ。各々意見もあるだろうが、理性的な対応を期待する」
 小さなルシウス・マルフォイはそこで言葉を切り、一人一人の名前を呼んだ。
 教授役の生徒の名は、ほぼおおよそが予想通りといったところだった。エントウィッスルやリッチモンドは半純血といえども、有能な魔法使いであることは事実だ。フォスターはおおよそ人に教えられるような知能も、性格も、殊勝さも持ち合わせていなかったが、その攻撃的な気質と瞬発力、決闘の実力は指折りであり、DADAのみならば類まれなる才能を発揮する。
 しかし、彼女の名が呼ばれた時、誰もが口をつぐみ、場は静まり返った。

「変身術、イル・テローゼ」

 静寂に槍のように突き刺され、マルフォイは肩を竦めた。ほらな。シャルルを軽く睨める。彼女は素知らぬ顔で微笑んでいる。
 「名を呼ぶだけで穢れる」と散々マルフォイは訴えたが、シャルルは取り合わなかった。そして今マルフォイの予想通りに、嫌悪感に満ちた冷たい沈黙が降り積もっている。
 テローゼは驚愕に目を見開き、口を引き結んで無表情を保っていた。拳が白くなるくらい握りしめられている。水晶みたいな肌が今は溶けそうなほど青くなっている。
「な、んで……わたしが」
 かさついた呻き声をテローゼが漏らす。ズシっとさらに空気が重くなったのを感じる。自分がどれだけ嫌われているか、この1年間で苦しいほど身に染みて理解している。
 誰かに教える?わたしが?冗談じゃない。
 テローゼの言うことを聞く生徒なんか誰もいないだろう。嘲笑すらされないかもしれない。ガネット・アンダーソンやターニャ・レイジー、サリーアン・パークスのようなカースト制度の底辺にすらなれなかった。テローゼはスリザリンではなかった。ホグワーツにたった1人きりだった。
 テローゼに向く視線の全てが「断れ」「誰がお前などに」「穢れた血め」という悪意に満ちている気がして、ますますテローゼの身体は固くなる。
 僅かに視線を上げ、前にいる3人を見ようとするが、マルフォイは軽蔑の篭もった薄ら笑いをして、ノットは眉を顰めて目を合わせようとしなかった。
 シャルルだけが神秘的な蒼の瞳でテローゼを見ている。
「受けてくれるわね?」
 問いかけの口調ではあったが、断定的な響きだった。突発的な反感と、畏れと、不安が浮かんで口篭る。「絶対にお断りよ!」と1年前のテローゼなら口走っただろうけれど、今はもう、彼らに無駄に逆らおうとは思わない。でも……。最初から奴隷のように、選択肢がないくせに、選択肢を与えるふりをされるのは無性に腹が立つ。喉の辺りで声が引っかかって、結局テローゼは呻いただけだった。

 また虚無的な沈黙が落ちようとした時、刺々しい声がそれを切り裂いた。
「鬱陶しいわね、ホントに」
 ウンザリと言ったのはミリセント・ブルストロードだ。彼女は豊かなブルネット・ウェーブヘアをかきあげてテローゼを睨む。
「あなたが口にする返事は、はいorYESor光栄です。これ以外にないでしょ?いつまでウダウダ言ってるつもり?」
 フン、と不機嫌に鼻を鳴らし足を組む。テローゼは奥歯を噛み締めながらも、どこかほっとした心境になるのは否めなかった。選択権を与えて言いなりにされるより、最初から圧をかけられて従った方が、心の複雑さが断然違う。
「分かったわ……わたしでいいのなら」
 苦々しく呟くとシャルルが破顔した。
「ありがとうテローゼ」さらに続ける。「ありがとう、ブルストロード。助かったわ」
 ブルストロードは驚いた後、ぎゅっと顔を顰めて「別に……」と不機嫌そうに言った。しかしその声の奥には悔しそうな喜びが混じっていた。テローゼも内心驚いた。シャルル・スチュアートが自分たちのような"穢れた"人間の名を呼ぶとは想像だにしていなかったから。彼女の例外は常にターニャ・レイジーだけだった。

 始まった勉強会は、まあ当然ながら良い雰囲気とは言えなかった。
 教室はシン……と静まっており、気軽に質問や雑談が出来る雰囲気は微塵もなかった。今日の授業は復習が多かったので、第1回目の勉強会の内容としては課題を選んだが、みな居心地悪そうに紙面と向かい合っているだけで、分からない場所を友人と聞き合うというコミュニュケーションも生まれなかった。静かな教室ではヒソヒソ声ですら大きく響いてしまい、みな口をつぐみ、ますます話しづらいという悪循環が成立していた。

 シャルルは小さくため息をついた。
 最初から期待などかけらもしていなかったけれど、想定より悪すぎる。
 威圧的すぎた?
 強引すぎた?
 やる気がなさすぎる?
 やり方が粗末すぎる?
 計画性が無さすぎる?
 心当たりは山ほどあった。課題ばかり目に付いて少しゲンナリしたが、シャルルは初回だから仕方がないわ、と気を取り直した。生徒がのびのびと協力出来る関係にシャルルがこれから誘導していかなければならない。

 ふと、パサッと机に羊皮紙の切れ端が歩いてきた。文字通り"歩いて"来たのである。子供が好きそうな軽いJinxの呪文。
 紙人形はパタタンと薄っぺらくなって、羊皮紙に文字が現れた。

──この後少し残れよ。
  良かったら話をしよう。
             B・Z

 高慢さと神経質さの滲む筆記体と文章……。
 振り返るとザビニが眉を動かした。
 話とはなんだろう?この勉強会の話だろうか?それとも、ザビニ的なやり方についての話だろうか?
 去年、シャルルはザビニと取引を交わした。彼は齢11にして恋愛を効果的に操る男の子であり、シャルルは彼に良き家庭教師の資質を見出した。
 ザビニは面白そうな顔つきにも、退屈そうな顔つきにも見えたが、その瞳に嘲笑が微かに混じっているのを察して、ぷいと前を向く。
 今日の勉強会について何か言いたいことがあるんだろう。
 ザビニは言動はキザでスマートであり、美人の女子生徒に表面上は優しく見えるけれど、決して優しい人間ではない。むしろ他人を扱い利益を啜る賢く冷たい蛇だ。優しさならセオドールやマルフォイの方がよっぽどある。…………いや、彼らについても、セオドールは無関心さ、マルフォイは甘さ、愚かさと言えるけれども、でも、ザビニより情があるのは確かだった。
 彼に何を言われるのかなんとなくの予想がついて、シャルルはウンザリと唇を軽く噛んだ。

 結局、勉強会第1回は大した収穫もなく終わってしまった。
 沈黙の中でペンは進んだようだけれども、分からないところで躓いた生徒の手助けにはなれなかった。
 ザビニが少し振り返って教室を後にし、その場にシャルルとセオドールとマルフォイが残った。
「……スネイプの授業より最悪な空気だったな」
「まったくだ」
「大失敗ね。スリザリンに協調性を求めるのは最初から無謀だったとはいえ……。はあ。あとで反省会をしましょう」
「あとで?」
「各々意見をまとめて時間を取って話し合った方が建設的でしょ。わたしはもう少しここに残るわ」
 2人が教室を去ってしばらくすると、ザビニが戻ってきた。談話室で待機していたらしい。

「話って何?」
「やあ、シャルル。大変だったな」
 ザビニは綺麗な笑みを浮かべてシャルルの質問をスルーした。そして、高い腰をヒョイと持ち上げて適当な机に腰掛け、唇をめくれ上がらせた。
 杖を弄びながら何かを含んだ面白がるような流し目をしている。
 シャルルはもう一度言った。「話は何?」
「君はかなりせっかちだね。行動が迅速だとも言えるけど……スリザリンにおいては欠点だ」
 自分の選択のまずさについてはある程度自覚していたが、やはり、正面から指摘されるとやや幼い衝動が沸き上がる。拗ねた顔をして見せるシャルルにザビニが軽く笑う。
「旧家の子息っていうのは揃いも揃って政治力に欠けるよな」
「それは少し言い過ぎなんじゃないかしら。わたしは同学年の中でもある程度の自負はあるし……もちろん、あなたほどじゃないけど……それに、名家ほど魔法省に影響力があるわ」
「そこだよ」
 彼は指を振った。キザな仕草。ウィーズリーが大声で「指を反対側に曲げてやりたい」と言っていたのを思い出した。
「そこって?」
「旧家の連中は自分の影響力や権力を政治力だと勘違いしているんだ。政治力ってのは持っている力じゃなく、力の使い方のことさ。君らはそれが下手だね」
「どういうことなの?」
 シャルルは眉をひそめた。
 今、ザビニが重要な話をしている。その糸を逃さないように、シャルルが疑問を追求する。
「力……お金、人脈、発言力の適切な使い方?が出来てないということ?」
「そう。要はご機嫌伺いだよ。力が大きい奴ほど本当はそれが必要になる。力があるってのは本来なら窮屈なんだ。その中で自由に動くために発揮されるのが政治力だ。君なら少しはわかると思うけど」

 ルシウス・マルフォイは上手いよな。息子にその才能は受け継がれなかったみたいだけど。ザビニが揶揄うように呟く。
 彼の言いたいことがなんとなく分かる気がする。
 シャルルには発言力と影響力がある。その根幹にあるのは血だ。スチュアートの血と、交流のある聖28族の血。それが多分、ザビニの言う力。
 これは力であると同時に、他寮に対しては枷にもなる。でもシャルルは他寮の生徒に対しては、違う力を駆使して、交流を築いてきた。色々なことを我慢し、スリザリンと関わるよりよっぽど頭と外面を使って努力した。この過程こそが多分、ザビニの言う政治力なんだろう。
 そして、シャルルはスリザリン生に対して、政治を行うことを怠っている。

 シャルルは小さく呻いて項垂れた。
「分かったみたいだな」
 意地悪く、ザビニが笑う。
「言っておくけど」スっと目を細めてシャルルを見据える。「利益と不利益イーブンじゃいずれ破綻する。威光は使うほど霞む。マルフォイとやり合ってた君はもう少し見所がありそうに見えたけど、俺の見込み違いだったかな?」
 野蛮な衝動が突発的に沸いた。「シレンシオ!」と言って頬をバシッと振り抜いたら、彼のあの高慢な風貌はどんな風に歪むかしら──。
 しかし、そんなことが出来るわけもないので、シャルルはぶすっと幼児のように唇を尖らせ、眉をしかめ、頬を膨らませてザビニを睨んだ。悔しさと恥ずかしさでほっぺたが染まっている。ザビニが低く「ククッ」と喉の奥で笑いながら、頬をつつこうと指を伸ばしてくるので、それを払って腕を組む。
 この前まで機嫌を伺ってチヤホヤしてきたくせに、対等になった瞬間ふてぶてしくなる彼にムッとするし、値踏みされるのもムッとする。
 でも彼が言うことは全てにおいて正しく、図星を突いている。
 スリザリンを泳ぐ政治力において彼は格上だ。でも、それがなおさら口惜しくて、シャルルの唇はムーーッと突き出されたままになっていた。

 意外とたまに幼い仕草を出すシャルルに、ザビニは毒気を抜かれて、意地悪い顔を辞めた。額にシワを寄せ軽く笑う。
「根回しと対価。格下でもそれを示さないとね」
「対価ね……」
 唇をむにむに触って考える。
「と言っても、これはスリザリンのためなのに……」
 不満を少し零してしまう。ザビニが肩を竦める。
「君の威光で推し進めたんなら、それは君の望みになるさ」
「わかってるけど……」
 どうすれば良いのか……。
 問いかけるような視線を投げると、それを受け止めたザビニは、あえて流した。
「俺は君を見込んでるし、協力する気はあるけど、まだ君からなんの対価も受け取ってないぜ」
 シャルルはぶすくれた。
 難しいことを言う。彼が何を望んでシャルルに近付いて来たかなんて知らないし、彼の望むように役に立つことも、対価を差し出すこともすぐには出来ない。
 ぷくーっとふくれっ面のまま、シャルルは「根回しと対価ね……」と呟いた。課題がまた増えてしまった。

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