1年の終わりが来た。
学年末パーティーを控えた大広間は、スリザリンが7年連続で寮杯を獲得したことを称え、知的な深緑と品格のある銀のカラーで飾り立てられ、壁には象徴である美しい蛇の垂れ幕が威風堂々と君臨していた。
スリザリン生は誰も彼も晴れがましく、誇らしさが表情に満ち溢れていた。
今日ばかりは寮内の煩わしい小さな政治からはみんな開放されていた。いつも除け者にされているマグル生まれも笑い合っていたし、緑のローブを着る中で最も穢らわしい血を持つイル・テローゼでさえ輪の中に入っていた。
シャルルは久しぶりにパンジーと隣合って座った。
「こんなに誇らしいことってないよ。勿論当然のことではあるけどね。僕らは選ばれた魔法族なのだから」
斜め向かいの席にはドラコ・マルフォイが胸を大きくして機嫌よく笑っていた。パンジーが同意の声を上げて笑う。シャルルも、ダフネも笑う。みんなが笑っていた。
「僕が首席として卒業する年に栄光ある美を飾れて本当に嬉しく思う。みんなが常に最善の努力を続けてきた結果だ。本当にありがとう」
エリアス・ロジエールはいつもは柔和で落ち着いた表情を、今は喜びに褒めていた。ダフネがうっとりと瞳を潤ませて見つめ、誰もが嬉しそうに自分達の功績の証である緑のローブやネクタイを眺めた。
7年もの長い間、1番になり続けるというのは並大抵のことではない。シャルルも自分が歴史の瞬間に貢献出来たことが嬉しかった。スリザリン1年生の中では、シャルルとマルフォイとノットが1番加点されていたし、マルフォイが減点されることも多々あったがグリフィンドールから150点奪うという結果を出した。
今回の栄光のMVPは紛れもなく彼だ。
マルフォイは賛辞をキラキラした笑顔で受け取っていた。
しばらくしてハリー・ポッターが広間にやってくると、ざわついていた空間に沈黙が流れ、やがて弾けるように噂話が飛び交った。
数日前の試験終わりの日、ロン・ウィーズリーとマグル生まれの栗毛の魔女がボロボロの姿で医務室に運ばれるのを多くの生徒が見ていた。
そしてあの日様子のおかしかったクィレル・クィリナスが姿を消したことも……。
緑の生徒たちは嘲りを浮かべせせら笑っていたが、今日という輝かしい日にわざわざ彼らを話題にする人はいない。
遠目からは怪我はなく健康に見えたが、教授達は彼らが見えない間落ち着かない様子だった。
賢者の石について彼等は嗅ぎ回っていたが、それに関連するものなのだろうか。
クィレルがいないことに、クィレルに死喰い人の可能性があることに関係あるのだろうか。
ここ数日流れていた彼等にまつわる途方もない冒険譚の、どこまでが噂で、どこまでが真実なのだろう。
横目でグリフィンドールを見ていたシャルルは、ダフネにつつかれて顔を戻す。彼等がどんな冒険をしていようがスリザリン生には関係ない。
壇上に立つダンブルドアにダフネがくすくすと笑う。
「とうとう結果発表よ」
「ええ。スリザリンに栄光が与えられるわ!」
どちらともなくシャルルとダフネは手を繋いだ。そして、シャルルとパンジーも。
シャルルが手を差し出すと、パンジーは照れ臭そうにつんと顎を上げ、頬を赤くして握り合った手を見つめた。温かい感情が胸を満たす。今この時、2人の間に僅かにあった垣根が取り払われた気がした。
期待の張りつめる沈黙の中、ダンブルドアが朗朗と手を広げる。
「また1年が過ぎた!」
シャルルの胸の中を感慨が満たした。
ホグワーツに来てから本当に色々なことがあった……。
初めて自分で友人を作り、初めて同世代の子供たちと関わるようになり、初めての感情や問題に振り回されて心がこんなにも忙しくなることはこの11年間の中で今まで無かった。
でも、それら全部が胸の中で輝いていた。
握った手に力を込めると、握り返してくれる両てのひらの温もりが嬉しい。
「それではここで寮対抗杯の表彰を行うことになっておる。点数は次のとおりじゃ。4位グリフィンドール312点。3位ハッフルパフ352点。レイブンクローは426点」
スリザリン生は前のめりになった。
きらきら、きらきら。宝石みたいな瞳がダンブルドアを見つめる。
そして彼が言った……。
「スリザリン472点!」
その瞬間爆音が響いた──スリザリン生の歓声が大広間中にこだました。
シャルルは滅多に上げない大声で叫んだ。「ほんとうに嬉しい……!」ダフネとパンジーが腕を上げて「やったわ!」と立ち上がった。シャルルも釣られて立ち上がって、少女たちはぴょんぴょんと喜びを抑えきれずにジャンプした。
たくさんのスリザリン生が立ち上がったり、腕を振り上げたり、肩を組んで歓声を上げていた。
他の寮の苦々しげな視線はむしろスリザリンを称えるもののように感じた。こんなに誇らしいことをした寮はない!
マルフォイは興奮してゴブレットでテーブルを叩き愉快なリズムを演出し、ゴイルとクラッブはドシンドシンと床を踏み鳴らす。シャルルはノットを見て笑いかけた。ノットも歯を見せて笑顔を返してくれた。拍手が鳴り響いている。
捻くれ者のシーザー・ジェニアスの顔も輝き、プレッシャーが報われたジェマ・ファーレイも飛び上がらんばかりに喜んでいた。
「僕らはやったんだ!」
天井に向かったロジエールの瞳は光に照らされ煌めいて、周囲の友人たちが彼に飛びついて彼の肩や背中を叩いていた。
今日という日を忘れない。
こんなに嬉しいこと、きっとずっと忘れない!
スリザリン生が嵐のような歓喜に湧く中、ダンブルドアが穏やかに言った。
「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」
沈黙がさざめきのように広がり、少しだけ嫌な予感がする。
老人はわざとらしい咳払いをした。
「駆け込みの点数をいくつか与えよう。えーと、そうそう……まず最初は、ロナルド・ウィーズリー君」
スリザリン生は今や完璧に声を抑えて、固唾を飲んで老いぼれを見ていた。
「この何年間か、ホグワーツで見ることができなかったような、最高のチェス・ゲームを見せてくれたことを称え、グリフィンドールに50点を与える」
瞬間的に大広間が爆発した。グリフィンドールの歓声だ。
シャルルは小さく「え?」と言った。
チェス・ゲーム?50点?
一体……何が起きてるの?
「た、たった50点じゃない」
強ばった声でパンジーが言った。誰かが同意するように声を上げて、僅かに張り詰めた糸が緩んだが、シャルルはこのまま終わるわけがないと……だってあの3人はいつも一緒だった。
お腹の底が僅かに疼く。黒い染みのようなものがズシッと胃に詰め込まれたような……。
チェス・ゲーム?
マクゴナガルの巨大チェスで冒険してらっしゃったようですけれども、それがどこまで本当のことか。でもどうやら本当のことらしい。
50点の加点?ふざけてるの?
「次に……ハーマイオニー・グレンジャー嬢に……火に囲まれながら、冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに50点を与える」
スリザリンの席からはもう隠しきれない悲鳴が漏れ響いていた。シャルルも不安に固い顔をしてゴクリと唾を飲み込んだ。
ヒッ、ヒッ、隣のパンジーが恐怖に顔を引きつらせて断続的に呼吸をしている。
待ってよ……。
この老いぼれ、まさか……。
グリフィンドールの連中が狂喜乱舞している様を、スリザリンは親の仇を見るような目で睨んだ。
「3番目はハリー・ポッター君……」部屋中が水を打ったようにシーンとなった。
もはや呻き声すら洩れない。
「……その完璧な精神力と、並はずれた勇気を称え、グリフィンドールに60点を与える」
天井が崩れて落ちてくるかと思う大歓声が上がった──先程のスリザリンよりもかなり激しく、椅子の上で踊り狂ったり腕を振り回したりしている。
これで同点だ。
同点のまま終わって欲しい。どうか…………。
てのひらがびちゃびちゃに濡れ、激しく腕が震えていたが、ダフネとパンジーも全身震えていた。
みんな祈るようにダンブルドアを見上げていた。
どうか、どうか、どうか……。
その祈りを嘲るかのように、ダンブルドアは柔らかい微笑みを浮かべる。
「勇気にもいろいろある」
ああ、と。シャルルの全身から力が抜けた。繋いでいた手がだらりと垂れる。震えが止まっていた。
「敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ。そこで、わしはネビル・ロングボトム君に10点を与えたい」
パンジーが顔を覆って泣き始めた。ダフネも、ミリセントも……監督生のファーレイは泣きながら怒鳴っている。ロジエールが倒れそうな程に血の気を無くした顔で呆然としていた。ノットが真っ白な顔でこめかみを揉み、ブレーズが震えながら笑っている。「冗談だろ……?」マルフォイは顔を歪めながらぽたぽたと雫を流していた。
その全てが、他の3寮の歓声に掻き消された。
スネイプが凄い形相でダンブルドアとポッターを激しく睨んでいる。
こういうことをするんだわ……。
白々しく慈愛の表情で広間を見回すダンブルドア。
「したがって、飾りつけをちょいと変えねばならんのう」
老いぼれが杖を上げると、銀と緑のカラーが、赤と金に変わっていく。蛇が死に、獅子が君臨する。
キーーン……と耳鳴りがした。全ての音が遠くなっていく。
頭の上から爪先まで血が全部凍ったような感覚が這い上がって来て、心臓のあたりで何かが硬質化された。何もかもが冷たい。
それなのに心臓だけが燃えている。
黒々とした呪詛の炎が燃えている。
「シャルル!こんなのってないわよ!そう思わな……っ!」
石のように動かず、声も上げないシャルルにパンジーが怒鳴って──声を止める。
シャルルの横顔に銀の筋が流れていた。
あとから、あとから、雫が止まらずにほたほたと染みを作った。「ああっ」パンジーはさらに激しく泣いた。
死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ!
シャルルの瞳には輝きというものが消えていた。
しかし、不気味なぬめりを帯びて、ダンブルドアを一瞬も離さず睨み続けていた。
口から呪詛が零れる。
「アバダケダブラ……」
何百回、何千回、何万回……心の中で数え切れないほど呪詛を唱えていた。もし視線で、憎悪で人が殺せるなら、ダンブルドアはもう何回殺されたか分からない。
ふと、老いぼれと視線があった。
シャルルはハッキリと口を動かし、囁いた。
「アバダ ケダブラ」
老人は。面白そうな顔でシャルルを眺めた。その目には嘲りが乗っていた。
*
葬式よりも沈痛な表情で、スリザリン生は誰も喋らず、機械的に食事を運んだ。誰もが……憎しみと悲しみと諦めに支配されていた。魂の抜けた顔でみんな沈み込んでいる。
食器が立てるカチャカチャという音以外、スリザリンのテーブルは無音だった。
大広間が盛り上がっているのが苦痛で、悔しくて、屈辱で……。
「わたし、もういらない……」
銀のカトラリーを置いてシャルルがよろよろと立ち上がる。
「ほぼ食べてないじゃない……」
「食欲なんか消えてしまったわ。それに……ここにいたくない」
そう言うと、パンジーとダフネは僅かに頷いて引き止めるのを辞めた。
生徒全員が集められる学校行事で、生徒1人が個人行動を取るのは許されていなかったけれど、監督生も誰も何も言わなかった。何人かがシャルルに続いて席を立った。
全員、無気力で蒼白な表情だった。
シャルルは椅子を引き、歩こうとしたが、足がもつれて倒れそうになった。慌ててザビニがシャルルを支えた。
「シャルル……」
「大丈夫?」
近くのダフネも心配そうに肩を支えた。
どうして。
心臓に突き抜けるような痛みが走った。鼻の奥がツンとして……みるみる瞳に涙がせりあがってきた。
「どうして、スリザリンがこんな仕打ちを受けなければならないの?」
口に出すと、もう……耐えられなかった。
唇を強く噛んで、嗚咽を我慢するあまり喉がゼイゼイ鳴った。ダフネがヒクッ、と息をして泣き始めた。
崩れ落ちたシャルルを支え、ザビニが椅子に戻してやる。
顔を歪め、シャルルは小さな唇を震わせながら、拳を握り締めて、悔しくて、悲しくて……とうとう声を上げながら泣き始めた。
あまりに痛ましく、周囲のスリザリン生にもまた涙と嗚咽が混じり始める。
「わたし達はずっと……が、頑張ってきたのにっ、たった一夜の冒険で……今までの努力を否定されるのっ?
ぜ、全員に笑われながら!屈辱を与えられるほど、わたし達のしてきたことは、軽かったの?」
それはまさしく悲鳴だった。
今のシャルルを支配するのは先程の冷たい憎悪ではなく……体が引き裂かれるような悲しみだった。
どうして。
スリザリン生はこんなことされるために頑張ってきたんじゃないのに。
コツコツ頑張ることよりも、規則を破って好き勝手することの方が大事なの?
スリザリン生になら、こんな屈辱を与えてもどうでもいいの?
「わたし達はそんなに……大切にしなくていい存在なの?傷付けられてもいい存在なの?」
シャルルが途切れ途切れに零すにつれ、他の生徒もポツポツと悲しみを語り始め、その涙はパーティーが終わるまで続いた。
目を真っ赤にして、表情を歪めて、激しくしゃくりあげて……。
最初は笑っていたグリフィンドール達でさえ、その痛ましさに段々と気まずげな顔になるほど、その様子は暗く、苦しく、悲しみに満ちていた。
絶対許さない……。
今日という日を忘れない。