▼ 一話
つまらない、ああ、なんてつまらない毎日だろう。
桃山藍子の最近の話題はそれだけだった。夢中になれるものがない。アプリのテトリスにも飽きてきた。男にも興味がない。ファッションにも興味がない。なんにも興味がないが、なにか刺激が欲しかった。
桃山藍子は高校二年生だ。
いつもつるんでいる森村実里に、思いの丈を正直にぶつける。
「実里、なんか面白いことないかな」
「今月は文化祭あるじゃん」
「部活も入ってないし、クラス劇も白雪姫とかだし、あんまりなあ」
「そっか」
興味なさそうに実里がスマホを触る。
藍子は、コンビニのレジでバイトをしている。今日も18時から22時まで、バイトだ。帰ったらいつものようにご飯、お風呂、スマホ片手に就寝。
そんないつも通りの日常に頭を巡らせながら、いつも通りのレジをこなしていた。
その時、このコンビニでは初めて見るが中学生の頃よく家の近くで見かけた男が入店して来るのが見えた。いらっしゃいませ、と声を出しながら、注視する。
警察署から出て来るところをよく見かける、背の高い男だ。黒いトレンチコートを着ている。その中のグレーのスーツがなかなか決まっていた。仕事帰りだろうか、酒とツマミをカゴに入れてレジまで持ってきた。
「いらっしゃいませー」
「あと、牛スジ一つ」
「はぁい」
男が代金を払い、立ち去ろうとした時、別の客が入って来るのが見えた。だがまずは目の前の客だ。
「ありがとうございましたーまたお越しくださいませえー」
先ほどの刑事に頭を下げていた藍子が頭を上げた途端、目出し帽を被った男の顔が目に飛び込む。男は藍子の目の前で大声を出した。
「金を出せェ!」
「ッ!?」
「やめないか!」
刑事が踵を返してきた。男の腕をガッと掴んだが、男も黙ってはいない。刑事をしたたか殴りつける。
「わっ、わー! 店長! 店長!」
藍子は奥で休憩していた店長を呼びつけた。
グレーのスーツの刑事が、薄目をあけた。
「ん……」
「あ、気がつきました? よかったー」
「君、ここはどこだ……」
「休憩室です。コンビニの。刑事さん、私を庇って殴られて、気を失ってたんですよ」
「……君が運んでくれたのかね」
「ハイ。店長は犯人追っかけていってしまったもので……」
「そうか、ありがとう。……っ」
「こちらこそ、ありがとうございました……怪我してるじゃないですか、腕」
高そうなグレーのスーツに、赤黒い染みが広がっていた。
「手当て、します。上着脱いでください」
「すまないな」
男はグレーのスーツを脱いだ。そしてシャツの袖を捲る。筋肉質な腕が姿を現した。その右腕の肘の少し下に、五センチほどの切り傷が広がっていた。
「失礼します」
藍子は綿に消毒液をつけたものをぺたぺたと傷口にくっつける。すると刑事は顔を歪めた。
「いっ……」
「薬、しみます? これしかなくて、すみません」
「大丈夫だ……」
眉根を寄せて苦しそうな顔をしているが、大丈夫だろうか。そう思っているものの藍子の身体もあまり思うように動かない。
「おっと」
ぐらついてピンセットを傷口に刺し込んでしまった。
「……っひぁ」
「す、すみません、足が滑って……」
あれ?
何かおかしい。
目線を下げると、刑事のズボンの前が藍子の見たことのない形になっていた。これはあれだ、股間が、盛り上がっているのだ。
「そっか、女の子みたいな声出してたのは気持ちよかったからなんですね。あはは、刑事さん、変態なんだなあ」
藍子は内心動揺していた。勃起した男根など今まで一度も見たことがないからだ。
「痛いの気持ちいいんですね?」
刑事は目を逸らしながら頷いた。顔が赤い。藍子は胸がドキドキしていた。
ああ、面白い。最高だ。
「君、は」
「わたし? ただのコンビニ店員ですよ。刑事さん」
態勢を崩して床に這いつくばった刑事の顎を、スニーカーの爪先で持ち上げた。刑事の目が潤んでいる。期待で潤んでいるのだろうか。
「店長が臨時休業の貼り紙をして行ってくれたので、しばらく誰も来ません」
喉が鳴る。今日までの退屈は、今この瞬間に死んだのだ。
「助けてくださったお礼です。ご協力しましょう」
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