雨音と共に奴はやってきた。ドンドンと裏口を叩く音は雨音に紛れ、ややもすると聞き逃しそうなものだったが、田所迅にはわかる。これは奴の秘密の合図だ。あいつは昔から、うちに来た時はいつもこの調子で裏口の戸を叩いていた。
 戸を開けると、想像していた通りの細面と、派手な着物が目に入る。

「巻島……」
「よぉ、田所っち……。頼みがあるんだ、入れてくれねェか」

 傘も差さずに来たらしく、巻島は頭から背中までびしょ濡れになっている。そして、濡らさないように何か抱えているのか、羽織の右下が膨らんでいた。厄介な物でなければいいが……。田所はその膨らみから目を逸らしつつ、引き戸をがらりと大きく開けた。

「まあ、入れよ」
「ありがとよ。よし、一緒に入るぞ。大丈夫だ、こいつァ、俺の……一番信用してる奴だ」
 巻島が膨らんだその右腕の下に話しかけている。注視すると、その右腕の下から、小さな子供が出て来た。年の頃はせいぜい八つやそこらだろう。黒い髪はくるくるした巻き髪で、田所はその幼子をほんの少し巻島に似ていると思った。子供は小さな声で「失礼します」と言って、敷居を跨いだ。


「巻島、珍しいな。てめぇがガキ連れてるなんてよ。どこの子だ」
「こいつは、俺のガキだ」
 巻島の意外な返答に、田所は目を剥く。浮いた話も聞かない男だったがいつの間に子供など作ったのか。
「誰とこさえたんだよ!」
「兄貴の家臣の娘ショ……」
「その……なんだ、隠れてきたってこたぁ、その娘と所帯は持てねえんだな」
「ああ。その娘は、死んじまってた。流行り病でな」
「実家は」
「てんでダメだったァ。その娘は俺の所為で離縁されててよ、家中での立場は最悪だったらしい」
 巻島は「俺の所為で」と言ったが、要は輿入れののちにこの子を孕んでいたことが知れたか。
「それでよ、頼みってのは、何だ。この子のことか?」
「ああ」
 不安げに見上げてくる子供の肩を、慣れない手つきで巻島が撫でた。
「実は、田所っちの家でこいつを育ててやって欲しいんだ。俺は、故あってこの下総を離れなきゃなんなくなっちまってな……」

「なぁに、丁稚と思って、ヨ」
「急に何言ってんだよ」
 田所迅が旦那を務めるこの商家は、人も充分足りている。本来なら聞きたくない頼みだが、昔馴染みのたっての頼みであるし、その上、母を亡くし父にも置いて行かれようとするこの小さな子供をひどく哀れに思うのもあり、聞かずにはいられなかった。己の妻も昨年亡くなり、ひとり息子を家の者の協力を仰ぎつつ男親のみで育てている。母を亡くした息子の小さな姿と、目の前の子供の姿が重なってしまった。
「ああ、わかったよ、うちで面倒見てやる。勿論、おめえが帰って来るまでな。お袋亡くして実家も出て、親父まで帰って来ねえなんてのはナシだ。事情は訊かねえが……必ず帰って来いよ」
「……ありがとよ、田所っち」
 巻島が微笑むと、子供もつられて微笑んだ。

「つーわけでよ、いつになるかはわかんねえが……俺は必ず帰って来るからな。待っててくれ」
 子供に語りかける巻島の目は優しい。
「はい」
 子供が頭をぶん、と縦に振る。くりくり巻いた黒髪がふわと揺れた。そして子供は田所の方に向き直ると、今度は田所に向かってぶんと頭を下げた。
「今日から、よろしくお願いします!」
「おうおう。威勢がいいな」

 田所迅はそろそろりと子供を自室に連れて行った。
「坊主、なんだ、まあ……これからよろしくな。そういや、名を聞いてねえな。いや、俺も名乗ってねえか。俺は、田所迅。ここで二代前から饅頭屋をやってる」
「俺は、純太、です。手嶋純太ともうします」
 手嶋……お袋の名字か。知らない名だった。ここらで多少知られている巻島を名乗らせるより、それで通した方がいいだろう。
「そうだ、年は幾つだ?」
「七つです」
「そうか、七つか。そりゃあいい。おまえと同じ年のガキがうちにいるからよ、仲良くしてやってくれよ」
「はい、わかりました」
「とりあえず今日は寝ろ。寝間着、あるか」
「はい」
「じゃあ、部屋は明日どこにすっか考える。とりあえず今日は俺の部屋だ」
「はい」
「明日、家のもんにお披露目すっからな。よろしく頼むぜ」
「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
 またぺこりと頭を下げる。どうも、年の割にしっかりした子だ。田所はその小さな頭をぐりぐりと撫でてやった。
「つうわけで今日は寝ろ。ほら、こっち来い」
「はい」
 かいまきを上げて、子供が入って来るのを待った。純太はおずおずと入ってきて、ころんと横になる。やがて、小さな寝息が聞こえてきた。
 明日、家の者にどう説明するか。ぼんやりと考えながら、田所もいつの間にか眠りについていた。



 





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