離れてもう何年、いや、何十年経っただろう。男は目を閉じて、近付く故郷に思いを馳せた。
 老境に差し掛かった男は、船に揺られて懐かしい故郷へ向かっている。頼もしく育った息子と、共に生き共に歳を取った妻を伴って。
 二人に、己の故郷の風景を見せてやりたい。随分様変わりしているだろうとは思うが、記憶にある風景はとても美しく、懐かしい。
 今頃はきっと、桜が咲いているはずだ。









 男はいつの間にか桜の森に立ち尽くしていた。
 軽く握った自分の手が、随分若くなっているように感じる。
 そして、視界がやけにはっきりしていた。


 桜の下に、たくさんの友の影が見えて来る。
 影はこちらに気づいたようで、こちらの名前を呼びながら近付いて来た。近くに来ると誰が誰だか解ってくる。
 一人一人がひどく懐かしい。彼らは破顔し、自分も笑う。
 おかえりなさい、そう言ってくれる者もいる。
 帰って来たのだ、故郷へ!

 遅れて一人、男の後ろ姿が目に映った。少し離れたところで、背の高い男が、あっちを向いて立っている。
「おおい、ヌシもこっちに来んか!」
 そう言って名前を呼んだ。するとその男は、長い髪を揺らして振り返る。端正な唇に薄く笑みを浮かべるその姿は、小さな子どものようにも見えた。
 こいつもいる、そうだ、こんな日々がいつまでも続くと思っていた。
 続くと、思っていた?


 急に風が強くなり、桜の花弁が強く吹き付ける。
 近付いて来る男の姿も、周りで微笑む男達の姿も、桜の花弁で掻き消えていく。
 待ってくれ、と手を伸ばしても、消えてしまう。
 消えてしまう。
 消えてしまう。
 消えて……




「もうじき着くわよ、ほら、起きて」
 妻の声で目が覚める。じきに長崎に着くと言われ、目を擦った。
 海が見える。そして、遠くに島の影が見え始めていた。

 帰りたいと言ったのは、自分だ。
 そして、故郷を愛していたのも自分だ。
 帰ったところで、もう己の友は一人もいないことを、本当は知っている。
 家族は、両親は生きているだろうか。
 帰ったところで迎えてくれる人はいないだろう。
 それでも帰りたい。それが故郷だ。



 春だ、故郷の村ではきっと、桜の花があちこちに咲いている。





*

三十年後くらいをイメージしてました……なんて概念的なの……


 



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