「……きれいな海」
 少女は目の前に広がる海を見て、顔をほころばせた。自分の生まれ育った半島もとても美しかったが、ここにはまた違った趣があると思う。
 彼女の顔を見た青年も、穏やかに微笑んだ。
「気に入ったか」
「ええ」

「きれいな町ね」
 自らの故郷のような華やかさはないが、優しい空気が心地よい。少女は笑った。



 白い鳥がミャアミャアと鳴いている。
 穏やかな波も、美しい空も、彼を象徴するかのように、優しく見える。 それだけで、よかった。
 青年は、海辺を歩く少女を満足げに見守っていた。揺れるスカートが、飽くなき幸福のように見えた。


「さて、と」
「どうしたの?」
「俺はもう行かなくちゃあならない」
「どこへ?」
 それは秘密だ、と彼は笑った。初めて見る、悪戯っぽい表情だった。唖然としている彼女を見て、彼はきびすを返して歩き始める。道路を歩く足音がカツカツと響いて、やっと少女は彼を追いかけることを思いついた。



「待って、待ってよ、」
 青年の真っ直ぐ切り揃えられた髪が風に揺れる。手を伸ばしても、届かない。
「いやだ、行かないで、行かないでよ」
 名を呼ぶと、彼は振り返る。けれど、穏やかに微笑んだあとに、きびすを返して行ってしまった。



 手が宙を掻く動作で目が覚める。少女はベッドで一人眠っていたのだ。

 そうだ、大切なことを忘れていた。彼はもういない。いないのだ。どこにもいない。

 青い海も空も、自分を迎えてくれているのに、自分を迎える彼の姿だけが、なかった。それは彼女もよくわかっていたことだったのに、彼がいるこの場所を夢にまで見るわたし……やはり自分はどこかで「彼がいる世界」というものを、望んでいるのだ。

 窓を開けると、潮風が髪を揺らした。
 ああ、わたしは
「彼と恋をしたかった」

 彼の故郷の風が、頬の涙をそっと撫でた。




 





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