桜の下でキスしよう

桜の蕾が膨らんでもうそろそろで満開になりそうだなと通勤途中に思っていたある日、カラ松くんから花見をしないかと誘われた。特に断る理由もなかったので楽しみにしてるねと返事をした。

「今朝からいい天気で良かった」

スーパーで適当にご飯とお酒を買って二人仲良く歩きながら言う。

「あぁ、そうだな。太陽が俺に微笑んだのか、楓の日頃の行いが良いかのどちらかだろうな」

カラ松くんは嬉しそうに鼻歌を歌いながら笑う。その顔を隣で見るとつい私の頬も緩んでしまう。

「桜綺麗だね……あ、でも人がいっぱいだ」

河原で咲き誇っている桜の木の下には大勢の花見客がいて、とてもゆっくり出来そうもない。もっと静かに過ごしたかったんだけどな。

「楓そんなに悲しい顔をしないでくれ、この俺が絶景の花見スポットを案内しよう」
「えっ本当に?」
「あぁ本当だ。この日の為に人目に付かない花見スポットはリサーチ済み……あ」
「カラ松くんそんなに楽しみにしてくれてたんだ。嬉しい」
「あ、いや、その。今のは忘れてくれ。はは……恥ずかしくて死にそうだ」

ポロッとこぼれた言葉を誤魔化すように取り繕おうとしたが失敗したようで赤く染めた頬を両手で覆った。普段のカッコつけた顔ではなく素の表情を見られて私は更に頬が緩む。自然体にしていれば良いと何度か言ってはみたが。

「フッ……俺はカッコつけた覚えはないぜ。何故なら俺はいつでもノーガードライフ。もしも楓がそうと感じたのなら俺はとんだギルトガイだぜ」

聞く耳を持ってくれないので諦めた。彼の少し変わった台詞回しもおそ松くんの言葉を借りると慣れたのだ。それがカラ松くんという人なんだと、思うようになってからは日々がとても楽しくなった。

彼の兄弟達からは家へ遊びに行く度に「変わってる」「肋がいくつあっても足りない」や「なんなら俺と付き合わないか」と口説かれたりもした。
カラ松くんはそれを隣で聞いて困ったように笑っていた。私がもっと強く言えたら良かったんだけど。言えなかった。

「ね、カラ松くんそのお花見スポットまで手繋ご」
「えっ、あ、あぁ勿論オーケイだぜ、楓……あっ、その前に手に汗が」
「そんなの気にしないよ」

慌ててポケットからハンカチを取り出して手を拭こうとするカラ松くんを遮って手を繋いだ。

「汗でベタベタになるぞ、気持ち悪いだろう」
「全然平気だよ、それに汗なんてカラ松くんが思ってる程酷くないよ。」
「……む、そうか?」
「うん、私カラ松くんの手大好き。温かくてホッとする」

笑って言うと一瞬身体が強張ったような気がした。

「楓……そう言う恥ずかしい台詞は無しだぜ」

声が若干震えている。そんな反応されちゃうと私も照れちゃうんだけど。

「ああああの、あと何分で目的地に着くの?」
「そそそそうだな、あと五分くらいだな」
「そっか……」

私もカラ松くんも変に意識してしまい、次第に会話もなくなっていく。聞こえるの
は二人分の呼吸音と何処からか飛んできたウグイスの声だけだった。

「楓、少しでいいからその、目を閉じて貰っていいか?」
「?良いけど、どうしたの」
「それはナイショだ」
「えー、なんだろ……これで良い?」

不思議に思ったが素直に目を閉じた。

「良い子だ楓。俺が手を引くからゆっくり歩いてくれ」

目を閉じるとカラ松くんが凄く近くに感じて少しこそばゆい。手を引かれて一歩一歩進んでいく。時々カラ松くんの足元に気をつけるよう声を掛けられながら歩いた。

「よし、着いた……もう目、開けていいぞ」
「わあああ!凄い、綺麗!」

月明かりに照らされて淡いピンク色の花弁が光っている。街灯もなく本当に月明かりだけなので余計幻想的な気分にさせられた。此処だけ別世界に来ているみたいで息をするのも忘れてしまいそう。

「凄いだろう……フッ、まるで桜の精たちが俺たちを愛の楽園に誘ってくれたようだろう?」
「本当にそう!幻想的でとても素敵……」

呼吸をするのも忘れて見惚れる。その姿を隣で見ていたカラ松くんは満足そうに何度も頷いた。

「桜にも色々な種類があるんだがこれは山桜と言って、花言葉は『貴方に微笑む、純潔、高尚、美麗』まさにハニーの為にあるようなものだろう?」
「この桜ってそんな花言葉だったんだ……知らなかった。もしかしてわざわざ調べてくれたの?」
「えっ……」

少し疑問に思って口に出してみると彼はギクリと肩を震わせ、心なしか目も泳いでいる。ふふ、本当に嘘の吐けない人だなあ。私の為にそこまでしてくれる彼に愛おしさが込み上げてくる。
「カラ松くんだーいすき!」

思わずカラ松くんに抱きつくと彼は顔を赤くして狼狽えた。

「あ、ちょっ、ハハハハニー!?大胆なのはとても良いことだが不意打ちは……その、心臓に悪いからなるべくしないでもらえるだろうか……俺の理性がどれだけ保つかわからないんだ」

ジロリと今までに見たことのないような男らしい目つきで睨まれ肩をガッシリと掴まれた。何故だろう、もの凄く嫌な予感がする。

「お前の純潔を汚してもいいか?」
「じ、純潔!?突然何をする気なの!?」

脳裏に男女の営み所謂性交渉を思い浮かべてしまう。ダメだって!だって私たち今でこそ普通に手を繋いでいるけどまだその先のキスだってしていないのにいきなり階段を飛ばしすぎてはいないだろうか。

「……フ、ファーストキスを俺が貰ってもいいか」

私の思っていたことが伝わったのか伝わらなかったのか不明だがカラ松くんは慌てて訂正を加える。
「そんなこと聞かれたって……」
「駄目か……?」

捨てられた子犬のような目で此方を見られたら嫌とは言えない。そりゃあ私だってキスしたい。けれどジッと見つめられると恥ずかしさが勝ってしまう。私はどうしたら良いのだろうか。

「…………ん」

ゆっくりと目を閉じてみる。これで伝わってくれると嬉しいんだけど。近くでカラ松くんの息を呑む音が聞こえた。よく考えたらこの状況って大分恥ずかしい、するなら早くして欲しいんだけどなかなか来ない。てっきり目を閉じたらすぐにキスをしてくるのかと思っていたがそうではないらしい。不思議に思った私はゆっくりと目を開けた。目の前には顔を赤く染めて緊張しきった様子で立ち尽くすカラ松くんがいた。
「やっと目を開けてくれたなハニー。すまない、本当はさっきのタイミングでしたら良かったんだが……。少し話をしてもいいか?」


「もちろん、良いに決まってるじゃない」

二つ返事で頷く。

「ありがとう。あのな、俺の我が儘かもしれないけど初めてのキスはこれっきりなんだ。もう二度と来ない。だから今この瞬間、景色を忘れずに焼き付けて欲しいんだ」

私が目を閉じている間そんなことを考えていたのか。いや、実は前から考えていたのかもしれない。前にもこうやってキスをする機会がなかった訳ではない。彼なりに色々思うところがあったのかもしれない。ロマンチックで真面目な彼が今だったら、と思ったのなら私が断る理由なんてない。だって本当は前からしたかったのだから。

「だからな、ハニー。多少いや、凄く恥ずかしいと思うがその、キスをする時は目を開けていて欲しい」
「……わかった」
「ありがとう……じ、じゃあするぞ?ハニー」
「う、うん……」

私を桜の木の背に向け、向かい合わせになる。二人ともキスなんてしたことないものだからぎこちない。

「ハニー、大好きだ、愛してる」
「わ、私も……愛してる」

キスをする直前に愛の言葉を言う。もう恥ずかしいなんて気にならない。だって目の前には彼と私、それからひらひらと舞い落ちる満開の桜しかいないのだから。こんな景色一生忘れることなんて出来そうもない。



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