雑貨屋を覗きながら、バス停までのゆるい坂を下っていく。湊がテイクアウトの店からスティック状の細長いピザを買ってきた。ピザすら食べ歩きができるとは驚きだ。マルゲリータを少しもらって食べる。うにょんと伸びるチーズ。トマトのフレッシュな風味がたまらない。
ベーカリーでパンを買うつもりだったが、これで事足りた気もする。軽井沢はパン屋が多く、明日も明後日も食べたい時に買えるのなら、別に今でなくてもいいか。
バス停を過ぎ、和食レストランにほど近い、発酵食品を取り扱う商店。信州味噌は種類が豊富で、色味も仕込み方法も様々だ。色が濃く、いかにも塩辛そうな味噌は意外にも塩分控えめらしい。しかしながら、何を買ったらいいものか。ずらりと並んだ味噌を前にして悩む。
普段料理をしない遥がうんうんと唸っているのを見かねて、湊も店員にあれこれと詳細を尋ねてくれた。普段使いできるものと一番人気のものを少量ずつ二つ買おうという結論に至り、こがね味噌と田舎味噌を購入する。実家に送付してもらう手続きを終え、遥はほっとひと息ついた。電話がかかってきてもろくに応答してやれないので、旅行を楽しむくらいの余裕があることは綾子にも伝わるだろう。
面と向かって言ったことはないが、遥は綾子の作る味噌おにぎりが好きだった。炊飯器を開けて、素手で熱いご飯をぎゅぎゅっと握り、味噌を手にまぶしてまた握る。そうやってありもので適当に作られたおにぎりが何故かおいしかった。湊や遥の地元では『焼かない』のが普通だったが、焼く地域もあるようだ。焼きおにぎりといったら醤油を塗ったあれを想起させるものの、一部地域では味噌をイメージする人もいるそうで。『焼く』地域での遥たちの味噌おにぎりは通称『生味噌おにぎり』らしい。

ーーー

軽井沢駅に戻ってスーツケースを回収し、しなの鉄道で中軽井沢駅へ向かう。北方面のバスに乗り換え、少し揺られて辿り着いたのは緑溢れるエリア。連なる木立の間を抜けるように、車輪をコロコロ転がして舗装された道を進む。森林に囲まれた地域は店がまばらで、その分車道がきちんと整備されていた。バスも通っていることだし、車があれば買い物も楽に行けるだろう。
新幹線を降りて以降はずっと歩き通しで、遥もすっかりくたびれていた。知らない場所を巡るのは楽しいが、コテージに着いたらひとまず休憩しなければ。いや、バーベキューの準備があるなら手伝った方がいいか。そういえば食材はどうするのだろう。尋ねようにもその気力がない。やや汗ばんできたので、コートは途中で脱いで腕に抱えていた。

「よっし、ちょっと手続きしてくるからそこで待ってて」

管理会社の立派なログハウスに辿り着き、湊は外のベンチを指差して足取り軽く入口をくぐっていった。どっかりと座り込んで、遥は額の汗を拭う。夕方が徐々に迫っている時刻。気温の山を越え、これからは冷える一方だ。風邪など引かないようにしなければ。
コテージの大家とでも言うべきか、所有者の住まいはここではないらしい。看板にこちらの電話番号があるものの、緊急時の連絡先は携帯番号になっている。まあ金があるならもっと便利のいいところに住むだろう。夏場はいいとして、冬季は雪の苦労が絶えないと聞く。二階のテラスにはタイヤ用のチェーンらしき山も見えた。やはりそうか。ハウスの横に並んでいる乗用車に取り付けるのだろう。あれはどういう用途なのかと思いきや、すぐに疑問は氷解する。

「お待たせー」

ログハウスから湊が出てきた。パンフレットと車のキーを持っている。コテージ番号らしいプレートがくっついていた。遥の視線を追ってか、キーを振って湊が説明する。

「コテージまでは歩けばすぐなんだけど、食材の買い出しとかあるから車は自由に使って下さいってさ。あくまで調達用だけど」

調子に乗って観光用途に使うなと言いたいのだろう。該当車のトランクにスーツケース二つを放り込み、遥は迷わず助手席に乗り込んだ。免許は身分証明として持っているが未だにペーパードライバーであり、頻繁に営業車を使っている恋人に任せるのが自然だ。

「食材…って、買う場所あるのか」

「コンビニくらいは大通りに出ればあるみたい。で、中軽井沢駅を越えて南に行くと大きいスーパーがあるんだって。雑誌にもあったじゃん、ツルヤってとこ」

ツルヤは長野県に展開する地元スーパーで、軽井沢店は特に売り場面積が広く、特産品や土産物も扱っているという。肉や野菜も豊富に揃うはずだ。駅からバスに乗ってもここまで大した距離はなかったので、車なら買い出しもすぐだろう。エンジンをかけてスムーズにハンドルを切りつつ、湊が尋ねてくる。

「疲れただろ? 買い出し行ってくるから休んでていいよ。シャワー浴びて少し寝てたら?」

「風呂もベッドもすぐ使えるのか」

「準備してあるってよ。あ、風呂って言えば。部屋にも風呂はあるけど、今日の夜は温泉行かない? ほら、あれ」

湊は窓を開けて右手を指す。清流を背に、平屋のログハウスが木立に埋もれるようにして鎮座していた。看板には『天然温泉』の文字。

「あれが温泉、というか公衆浴場。コテージ使ってる人はタダですよって入浴券もらったんだ。普通の人も金払えば使えるみたい」

「温泉…」

広い風呂にタダで入れるのなら行かない手はない。この辺りは温泉の湧き出る場所も多く、明日は散策がてら温泉地を巡るつもりだ。
コテージは管理者のログハウスを中心に、半径五百メートルの範囲でまばらに点在しているようだ。いずれも舗装された道からやや引っ込んだところに建てており、先程の温泉やパワースポット目当ての客は通りすがるものの、コテージまで近づいてくることはないだろうとのこと。ただし、コテージを離れる際は貴重品類の持ち出しと施錠は徹底してほしいという。盗られて困るものはないが、別荘荒らしなどもよく聞くので注意は怠らないでおきたい。

「おー、着いた着いた」

舗装道路から脇道に逸れ、がたがたと揺られながら砂利を進むと、三角屋根の二階建てコテージが見えてくる。向かって左側は屋根付きのウッドデッキで、バーベキュースペースが木のベンチで囲われている。網や炭、トング、着火剤などがまとめて置かれており、後は食材を待つのみだ。
コテージの右側に車を止め、二人はトランクを後ろから順に下ろす。周囲は広い庭のようにぐるりと芝生が刈りこんである。ペットも同伴可とあったので、駆け回るにはもってこいだ。庭の外側は出入り口となる砂利道以外は豊かな新緑に囲まれ、天然の私有地と化している。木立の奥からはピイピイと可愛らしい鳥の鳴き声がした。人の目を気にせずのんびりできるならありがたい。
車で通って来た道だけでも、ここより立派な別荘はいくつもあった。泥棒もわざわざこじんまりとしたカップルの巣は襲わないだろう。男同士と知れば尚更、顔を引きつらせて逃げ出していくに違いない。

「明後日出るまで掃除はしなくていいですって言っといた。用があればさっきの事務所まで来て下さいってさ。よいしょっと」

完全に二人きりのスペースに、湊もちょっとはしゃいでいるようだ。あれ、鍵どうしたっけとポケットを三つまさぐり、車の鍵と一緒じゃん、と気づいて苦笑いしながら使ったばかりの鍵束を引っ張り出した。


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