トップスに始まりコート、ボトム、靴、果ては靴下に至るまで、アウトレット中のショップを巡って至高のコーデを手に入れた湊は、鼻歌に揺られながらショップの宅配サービスまで完遂した。連れ回された遥は早くも虫の息だ。観光、そんなものはいいから木陰で静かに寝かせてほしい。お願いしまーす、と一式入ったショップバッグを受付の女性に預け、立ち上がった湊はごまかすように笑って遥の髪を撫でた。

「ごめんって。でもほら、急に入り用になっても困るだろ? 俺が勝手に買うのもいいけど、試着した方が確実だし」

「……」

「わかったわかった、お腹すいたねはいはい。旧軽井沢着いたらご飯にしよ」

空腹に沈黙する遥を優しくなだめ、湊はバスに乗るべく駅へ向かう。アウトレットのフードコートは早めに昼食を取る人々で混み始めていた。二人は駅の南口に戻り、北口広場横の乗り場から北軽井沢方面のバスに乗り込む。素早く一人分の席を確保した湊は遥を座らせ、自分はその横でつり革を掴んだ。

「遠いのか」

窓越しの景色を見ながらぶすくれる恋人。湊は苦笑混じりに首を振った。

「すぐだよ。お昼何食べたい?」

「……和食」

夜はコテージでバーベキューの予定だ。旧軽井沢も店が立ち並ぶ買い物スポットらしいので、ソフトクリームよろしくおやつの食べ歩きも多いだろう。昼から重いものを詰め込むのは得策ではなさそうだ。あっさりした定食か麺類で空腹をいったん落ち着かせ、余力を残しておくのがベストか。
しかしながら、観光地にフレンチやイタリアンはあっても和食なんてあるのだろうか。回らない寿司とお高い蕎麦屋しか選択肢がなかったら即訂正しようと決めたが、バスを降りた湊は迷いなく道を少し戻って店に入っていった。ある程度の目星はつけていたようで、入口の暖簾から和の香りがしてほっとする。二、三組待ったがすんなりと席に通された。外に面した二人席だ。
水と提供された和綴じのメニューをめくると『釜炊きごはん』の力強いアピール。しかもおかわり自由とある。食べすぎるなよ、と遥は恋人を視線で咎めた。
ランチの定食はメイン料理を選ぶとご飯と味噌汁と漬物が付いてくる。遥は一番あっさり食べられそうなとろろのセットを頼むことにした。湊は豚と野菜の黒酢炒めだ。オーダーを通してしばし待つ。周囲の食べているものが気になるのか、湊はこそこそと隣を窺っている。

「あれがご飯か。確かにうまそう」

茶碗にこんもりと盛られた、つやめく米の山。その甘みや香りまでこちらに漂ってきそうだ。ぐう、と腹の虫に殊更促され、遥はコートを脱いでグラスの水を煽る。
程なくして運ばれてきた食事は、とろろに梅干しに佃煮と、いかにも和を感じさせるものばかり。とろろは注ぎ口を備えたコップ状の陶器にたっぷりと。別の皿にはひと口サイズのおかずがちょこちょこと数種類乗っている。湊の黒酢炒めも照りのある豚肉と彩りのいい野菜が皿を飾っており、彼がさっと手を合わせたのを皮切りに、遥も陶器をご飯に傾ける。味噌汁をひと口すすった湊は、おお、呟くなり赤塗りの器を見下ろす。

「これが信州味噌かぁ。っていっても結構広まってるみたいだし、どこかで食べたことあるんだとは思うけど。うまいからいっか」

続けざまにご飯を口に押し込み、

「ん! ふっくらしてる! んま!」

「そのまま喋るな」

感動するのはいいが、目一杯頬張ってから口を開けられては困る。遥もさらさらととろろご飯を流し込んで、うまい、と心の内で感想を述べた。甘みのある米にふわふわのとろろが絡む。皿にある梅干しも手作りだろう、塩辛さの中にも旨味が効いている。漬物だの味噌汁だの佃煮だの、卓が塩由来の食べ物に溢れているが、和食で塩分を気にするものではない。遥としては洋食のこってり感よりずっと入りやすい。

「豚も柔らかー。ね、とろろちょっと食べたい」

「ん」

陶器を押しやれば、湊は自らの茶碗に少しだけ注いで返してきた。素早く掻っ込んで、空にした茶碗を通りすがった店員に渡す始末。遥がじろりと嗜めれば、半分でいいです、と折衷案を口にしている。学生時代から、動きにくくなるのが嫌だと日々の食事を腹八分目に留めていた湊だが、その代わり食欲は今でもほとんど落ちていない。つまり、食べようと思えばいくらでも食べられるのだ。うまいもの博覧会の如き観光地へ赴いて、食べ歩きがソフトクリームだけで終わるはずがない。
新しい茶碗を店員が運んできた。申告通り、米は半分の量だ。湊は豚肉と共に押し込んで、味噌汁をがっと飲み干して。普段はもう少し落ち着いた食べ方なのだが、はしゃいでいるのか腹が減っていたのか、幾分か勢いがついている。遥は惣菜のきんぴらをゆっくりと咀嚼した。

ーーー

昼食を済ませて店を出て、二人は銀座通りを端からてくてく歩いていく。しかし『てくてく』歩けたのは最初だけで、人混みはもちろん、建ち並ぶ店も一軒一軒が小さく個性的で、じっくりと見て歩くには歩調をかなり緩めなければならない。見逃してしまいそうな細い脇道にも喫茶店や雑貨屋が見え隠れしている。

「ぱっと見、ダイアゴン横丁っぽいな」

「何だそれ」

「ハリーポッターだよ。学用品買う商店街みたいなとこあったじゃん」

ロードショーで何度もかかっているのをチラ見した程度なので、遥はハリーとやらが魔法を以て何を成し遂げたいのかも知らぬままだ。

「こんだけ店があるってのも凄いけど、それだけ土地代も高いんだろうな」

「高いだろ」

さっき昼食を取った際にも感じたことだが、物価がいわゆる『観光地価格』なのだ。無論、食事も雑貨もそれだけ人の手が入っている証でもある。しかし遥にとっては、口に入るものならともかく、インテリアやファッションにとんでもない値がついているのはどうも釈然としない。遊園地でペットボトルの水が数百円で売られているのを見てしまった気分になる。見る人が見れば相応に価値のあるものと判断できるのだろうか。横にいる営業マン曰く『納得してもらえればどんな値段でも売れる』らしい。当たり前だ。
左向き矢印の描かれた『この先チャーチストリート』の看板。そういえば、旅行雑誌でもたびたび教会が紹介されていた。銀座通りなんていかにも日本の名前だが、教会がやたらと多いのは何故だろうか。
そんなことを呟くと、湊が唐突に咳払いをした。今から来歴たる蘊蓄を披露しますとの合図である。今回は疑問を呈したのが自分なので、遥はおとなしく聞いておくことにした。

「そもそも軽井沢っていうのは、明治時代に来た宣教師が『ここ涼しいし自然豊かでめっちゃいいとこじゃん』って家族とか友達を夏に招待したのが始まりなんだ。で、その人が別荘建てたら友達の宣教師たちもこぞって別荘建て始めて、日本人にも広まったの。最初の方はそうやって宣教師が中心の町だったからキリスト色が濃くて、だから教会も多くて――なんていうの、仏教にも教えみたいなものがあるけど、質素に慎ましく礼儀を持って暮らそうっていう教えを町で掲げて暮らしてた。この人たちが当時そこに住んでた日本の農家に『ここ高原だからキャベツ育つよ』『レタスもいいぞ』ってアドバイスして、高原野菜が有名になったんだよね。そのうち日本の富裕層も別荘たくさん建てて、近年は避暑地から観光地に様変わりしてきたけど。銀座通りって名前は正直全国的に使われてるから、店がいっぱいあって流行ってる場所って言いたいんだと思う」

蘊蓄にしてはだいぶ簡潔にまとめられていた。予習の成果をあまり褒めると調子に乗るので、ふうんと頷くだけに留めておく。


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