「じゃ、設定のおさらいね。遥は新人ナースさんで、俺は患者。医者はちょっと急患で呼び出されたから、とりあえず軽く診察しといてって遥は場を任されちゃった感じ」

前の晩からこねくり回してきた設定をつらつらと並べながら、湊は学習机の椅子はそのままに、患者用らしい簡易的な丸椅子を隣に置いた。付属の椅子は医者用なので、遥はその辺に突っ立っていればいいらしい。座るとスカートの裾がずり上がってしまうのでその方が気分的に楽だが、今後の展開を思うとあまりの下らなさに眩暈がしてきた。ほら!と恋人が手を叩いて号令をかける。

「こういうのは雰囲気が大事なんだから! 遥も腹くくってよ!」

「………」

「もー。そんな顔するならあの参考書は返品だぞ。ブックオフかちり紙交換に出しちゃうぞ」

「ぐ………」

その件を持ち出されると遥も言葉に詰まるしかない。一度受け取ってしまうと、同じものを自分で買うのは面倒だし懐にも痛い。もらって読んだ以上はもう自分のものだ。背に腹は変えられない。
遥がすくっとベッドから腰を上げれば、じゃあ入るとこからやるね!と恋人は意気揚々と部屋を出ていく。お前クソ元気だろふざけるなと患者役に物申したくなったが、文句を募らせても進まないので適当に頷く。

やがて、コンコン、とノックの音。はい、と抑揚の死んだ声で遥は応答する。対して、患者らしからぬ溌剌とした様子で入室する湊。学習机の椅子が空っぽであることを確認して、ちょいと首を捻ってきた。

「失礼しまーす、小宮です。あれ? 先生は…」

「急患、なので。少し待って下さい」

「あ、そうなんですか。大変ですね」

白々しく同調しつつ、湊は丸椅子にとんと腰を下ろして自分の部屋をくるりと見回す。予め机に用意されていたクリップボードを手にした遥は、そこに記されている台詞を棒読みで反芻した。

「本日は、どうされましたか」

「ナースさんがお話聞いてくれるんですか? へへ、なんか照れるなー」

どうでもいいアドリブを挟まれ、ボールペンを持つ手がわなわなと震える。わざとらしく咳払いをして、仕事ですから、と遥も低い声で返した。今後の面倒事はこの一言で全て押し切るつもりである。

「ちょっと恥ずかしい話なんで、ちっちゃい声で話していいですか? ね、屈んでもらえます?」

ただ背を丸めるならスカートの後ろが持ち上がるだけなので湊側からは見えないが、クリップボードを片手に話を聴くとなると、屈伸のように膝を折ってしゃがみ込む必要がある。そうすると前方からは脚の隙間からあらぬところが見えてしまうので、遥は真正面でなく湊の横に立ち、敢えて膝を着いてしゃがんだ。床に爪先を着けたまま正座するような形だ。患者が若干不満げだが、上がった裾から覗いたガーターのレースが目に留まると、気を取り直したのかうきうきとした顔で症状を述べた。

「一言で言うと、EDですね。反応しないんですよ、下半身が」

「……はぁ」

「そのせいで彼女にも振られちゃって、精神的にもショックを受けてるんです。どうしたら治るのかな」

「…症状はいつ頃から」

クリップボードに目を落として尋ねる。んー、と患者は壁のカレンダーを横目に考える素振りをした。

「ここ一か月くらいですかね」

「原因に心当たりはありますか」

一か月、と遥は余白へ事務的にボールペンを走らせる。

「自分でもずっと考えてるんですけど、なかなか。仕事が忙しかったり、彼女とのこともマンネリになってたり、そういうのが重なったのかなって」

抽象的なあれこれを宣った患者は、ふと言葉を切ってじっと遥を見つめる。頭から爪先まで赤外線で透視しているかのような、ねっとりとした視線が這わされた。よくもまぁそんな演技ができるものだと遥は記入しながら妙なところで感心しかけたが、何ということはない。さっきの『最っ高だよ』『おみ足ありがとうございます!』から熱烈な声と温度を差し引けばこういう目線が残るだけの話だ。

「ナースさん美人ですね。彼氏とかいます?」

「…仕事中なので」

「俺だって恥ずかしい話したんですからちょっとくらいいいじゃないですか」

「………」

ちなみに湊が作った設定では『ナースさんは処女だよ!』なので、どうしても答えるならば『いません』にすべきなのだろう。
遥がカリカリと余白の端っこにネコを描いて黙秘を貫いていると、俄然乗り気になった患者がぐいと肩を抱き寄せてきた。

「やめてください」と棒読み。

「お願いがあるんですけど」

目をらんらんと輝かせて、患者はつるりとした遥の手を取った。

「ナースさん割と好みなんで、ちょっとでいいから触ってくれません?」

「は?」

思わず素が出てしまった。んん、と再度咳払いをして、いけません、とクリップボードに目をやって呟く。

「触診だって立派な医療行為ですよ? これで治ったらお医者さん必要ないし、ね? すぐ帰りますから」

尚もねだる患者に、そういうつもりかと心の中で歯噛みして遥はそっぽを向く。あれもこれも、こいつの思い通りに事を進められてなるものか。

「医療行為は、医者がするものです」

「えー、つれないなぁ。そんなこと言って、ナースさんが恥ずかしいだけじゃないですか? さては慣れてないんでしょ」

慣れてないも何も、そのボトムに隠れている場所は数え切れないほど見ているし触れているし、何なら迎え入れているものだが。興が乗り切らない遥はつんと唇を尖らせたままだ。が、湊もこの辺りの反応は折り込み済みだろう。つれないと言いつつ、にやにやと至極楽しそうに遥を窺っている。

「触ってくれないなら、触っちゃいますよ?」

「犯罪、です」

「ここ、カメラとかあるんですか?」

「…はい」

設定に無いことを尋ねられてやや言い淀んだが、NOと返した際の行動は予測できたので、敢えて頷いてみせた。へえ、とまた部屋を見渡して、患者は意地の悪い笑みを覗かせる。耳元にそっと口を寄せ、

「じゃあナースさんは、これからえっちなところを誰かに見られちゃうんですね」

と不吉な台詞を鼓膜に流し込んだ。つつ、と剥き出しの太腿に指先が這わされ、遥はクリップボードを胸に抱えてさっと立ち上がる。

「! ひっ……」

背を向けた途端、むに、と遠慮なく尻を鷲掴まれる。もう片方の手はさわさわと太腿の裏を撫でており、遥は上体を捻ってクリップボードを頭部に振り下ろした。

「いった! ちょ、患者に何するんですか」

「うるさい! お前がっ…」

「あー! さてはナースさん、素だと口が悪いんだな。でもいいですよ、その方が俺も興奮するし」

「ひゃっ」

クリップボードをぽいとベッドに放り投げ、湊は椅子に座ったまま、遥を背後から抱き締めた。ちょうど腰の位置に顔が触れるので、ぐりぐりと頬擦りされるとくすぐったい。

「はぁ、ナースさんかわいー。あれ、でもなんでだろ、普通はこの辺にぱんつのライン出るのになー」

スカート越しに指で腰から尻を擦って探りつつ、湊はぬけぬけと言い放つ。


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