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[3日目]

さくり、とトーストをかじりながら、目は暗記用にまとめたノートの公式を追う。テレビはつけなくてもよかったかもしれない。眠気覚ましにコーヒーをすする。冷えていた体がようやく活動的な温度になってきた。糖分を得た脳もすっきり冴えている。
空になった皿とカップは行儀悪くそのままに、遥はノートをバッグにしまいこんだ。いいのだ、どうせ昼になれば湊が帰ってくる。壁の時間割表がそう語っていた。

期末試験一日目の、やや遅い朝。当たり前だ。冬の朝一なんかに誰が必修以外の科目を入れるものか。眠気と寒気に異常な耐性を持つ恋人くらいなものだ。
試験期間はおおよそ来週末まで。万全を期すため、己のあらゆる欲を(元から何事も淡白ではあるが)封じてきたのだ。ここまできてミスは許されない。今期学んだことのありったけをぶつけてやる。

(……それにしても)

ひんやりとしたアパートの階段を下りつつ、遥は首元のマフラーをいっそうきつく巻き付けた。雪こそ降っていないが、期間中に一度くらいは積もることもあるだろう。は、と白い吐息が景色を曇らせる。

(意外と、泣きついてこないな…)

一昨日はあれだけ食い下がってきたのに、こちらの決意が相当固いと踏んでくれたのか、以降湊から『それ』に関する話は出ていない。過剰になるのではと危惧していたスキンシップも最低限だ。かといって拗ねているわけでもなく、家事はいつも通りやってくれるし、帰宅は快く出迎えてくれるし、むしろ上機嫌に見える。こいつ偽物かと疑いたくなるほどには、実に聞き分けのいい恋人である。

(前はごねたくせに…)

めげずに毎日毎晩誘われた日もあった(本当はちょっと嬉しかった)。嫌いになったのかとしつこく尋ねられた日もあった(そんな奴と同居なんて続けられるか)。後ろから抱きつかれ、どこをとは言わないがぐりぐり擦り付けられてぶん殴った日もあった(結局その後折れて事に及んだ)。
あれで結構コミュニケーション能力に秀でているのは知っているが、何故か自分を相手にすると、彼はどうも情けなくなる。人恋しくてたまらない犬みたいになる。犬ならかわいいが、人間は鬱陶しい。こちらが他に集中したい時は尚更だ。

大人になった、と褒めるべきだ。スキンシップがなくても、心の繋がりだけで満足できるのならば。
ただ、湊と違って何事もストレートに言葉にできない自分の場合、肌を合わせる行為が少なからず気持ちを伝える手段になり得ることは確かだ。それを禁じている以上、多少はフォローしなければ湊をさらに飢えさせることになる。
フォロー。例えば、簡単な買い物を帰りにしていくとか、甘いものでも差し入れるとか。不意に、胸の奥が温かくなる。

(……成長したのは、どっちも、か)

きっと以前なら、湊が寂しさの限界を訴えるまで思い至らなかっただろう。相手の気持ちなどお構いなしに、テストさえ乗り切ればいいと無視していたかもしれない。
相手を気遣う、思いやる、そんな優しい気持ちを教えてくれたのは他ならぬ恋人だった。もちろん、愛し合う心地よさも、気持ちよさも、全部含めてそうなのだが、彼が丹念に水を撒いて、芽がすくすくと伸びるのを気長に待ってくれるから、自分は安心して成長できるのだ。

(…試験が終わるまでに、考えておくか)

彼は自分にないものをたくさん持っているから、あげられるものは本当の『物』になってしまうけれど。優しさの対価ではなく、自分の成長の証として、彼を喜ばせられるものがあればいいと思う。

◆◆◆

(今日はなんか、優しかったなぁ)

舐めたら甘そうな色の髪に、すりすりと頬を寄せて数時間前を振り返る。
夕方、食事を作っている頃に帰宅した遥は、珍しくコンビニの袋を提げていて。何買ったの、と尋ねる前にぐいと胸に押し付けられて、遥は無言でテーブルのほうへ行ってしまった。?を浮かべたまま湊が袋に手を突っ込めば、かつんとプラスチックの容器が触れる。恐る恐る掴み出したのは、この時期限定らしいチョコプリン。お洒落なベリーソースがカラメルの代わりにプリンを覆う、コンビニスイーツ。びっくりした。あまりにも脈絡がないのと、遥がコンビニでスイーツを買うという年に一回あるかないかの珍しさに。
抱き締めたくて仕方なかったが、触れるのは我慢して礼を述べた。遥は視線をノートに落としたまま頷いたものの、耳はしっかり真っ赤だった。――そう、この耳だよ。ふるりと柔らかな部分をそっと食む。今宵も秘密の夜会はひっそりと開かれている。

(明日も一緒にテスト頑張るために、あまーいご褒美…もうプリンもらったけど、もっと甘いやつ…)

ふかふかパジャマのボタンを、丁寧に二つだけ外す。現れたインナーに指を滑らせ、所定の頂を探し当てると、爪の先でそこを中心に円を描く。ん、と緩く頭を揺すったものの、遥は依然ぐっすりと眠り込んでいる。勉強ばかりで凝り固まった肩を揉んでやり、温い風呂にたっぷり浸からせて、寝る前はホットミルクも飲ませた。熟睡しないわけがない。

(いい子にしててな)

ちゅ、と頬に小さなキスを落とし、指先を細かく動かしていく。くるくると周りを辿ってやると、触れていない尖りもゆっくりと熱を帯び始めているのがわかる。ここを焦らされるのはいつも嫌がるのだが、性器のように『元から感じて当たり前の箇所』ではなく、後天的に性感帯となったのが恥ずかしいからだと湊は勝手に思っている。たぶん当たっている。

(さてと……?)

指をいったんずらして、そっと乳首を確認してみる。ふに、と柔らかくも指先を押し返す反応に、湊は満足げな笑みを浮かべた。

(かーわい。寝てても感じるんだ)

そうとなれば話は早い。あまりに感じすぎては起きてしまう懸念もあるが、全く反応がないのも寂しい。
ぐっと歯を噛み締めがちな恋人の唇を、優しく指先でこじ開ける。半開き程度にしてから、再び胸元を弄る。
つん、と指の腹で軽く頂点をタップしてやれば、だんだんとその感触が固く兆していくのがわかった。ぷくりとインナーを押し上げるようになったところで、もう片方も同じように、時間をかけて育てていく。焦ってはいけない。じわじわと生成した熱を凝らせて、体の内に留めてやらなければ。

(首、おいしそう……)

緩く波打った襟足の隙間から覗く、仄白い首筋。明るければ浮き出た血管も露わになる。人体の急所というのはおおよそ敏感にできているものだ。舌を伸ばし、ちゅう、と音を立てずに吸い付く。軽く触れる代わりに、何度も唇を辿らせる。肌の質感を味わうと、触覚より鋭敏な味覚がいとも簡単に脳を沸騰させ、体を昂らせていく。が、己の処理は後でいくらでもできるので放っておく。
対照的に、遥の方は夢の海を漂っているさなかだ。まさか夜な夜な胸を弄くられているとは思いもしないだろう。

(ちょっとでいいから、声…聞きたいな)

そのために口を開かせたのだ。嬌声とまではいかずとも、甘い吐息が寝息に混じればと願わずにはいられない。不埒な指先は布地越しの乳首をゆっくりと甚振る。きゅ、と親指と人差し指で挟み込み、布で摩擦するように上下させる。あくまで優しく、結婚指輪を嵌めるくらいの力加減で。


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