・湊視点


「ちきん」

「ケンタは高いからダメ」

「ふらいどちきん…」

「……」

「おすし」

「ダメ。高い」

「おすし…」

「……」

「ぴざ」

「高いんだって」

「ぴざ…」

「……」

はあぁ、と深くため息をついて。すぐにでもべそをかきそうな弟の頭にぽんと片手を乗せた。

「わーかった!作る!作るから、なっ?店で買うと高いから、兄ちゃん作るから。それでいいな?」

「!」

まんまるのほっぺを火照らせて、ぱあっと輝く表情。こくこくと何度も頭が振られる。

「おれもてつだう!」

「う、うん……まぁ、手伝えるものがあったらな」

ふんふーん、と鼻唄をかまして木のブロックを組み立て始めるあたり、結構こいつは図太いと思う。誰だよ、さっきまでクリスマスのCM見てしょんぼりしてたの。

「くーりすーまーすーがことしもやーってくるー!」

「って、もうこんな時間じゃん。ほら、遊びはそこまで。寝る時間だぞ」

ブロックを隅に押しやってから持ち主を寝室のほうへ追い立てると、優太は素直に布団へ潜り込んだ。最近、添い寝しなくても寝られるようになったみたいだ。俺もうっかり寝ちゃったりするから、ひとりで眠ってくれると助かる。まだ洗濯とかしてないし。

「チキンと寿司と…ピザか。鶏肉、海苔、まぐろ、サーモン、卵……」

リビングに戻ってメモを手に、明日の買い物に備える。あ、ケーキも必要か。だけど作るのはちょっと面倒だし、なるべく見映えするようなホールの小さいやつを買ってこよう。

◆◇◆

クリスマスっていうのは、ご馳走とケーキをみんなで囲んで、プレゼントをもらってはしゃぐもの。CMに映る、骨付き肉とピザとケーキ。そんな風習、うちにはなかった。いろいろ事情もあって、優太が生まれる前まではかなり貧乏だった我が家。まぁそうだ、余裕がなきゃ第二子もできないわけで。あれから四年くらい経って、優太もまだまだ子供とはいえ、世間の浮かれ具合を察してきたらしい。幼稚園のクリスマスパーティーだけじゃ足りなくなってきたんだって。

「いっぱいかったねー」

ぱんぱんになったマイバッグを満足げに叩いて、優太はにっこにこ。作ってあるものを買うよりは確かに安いんだけど、それでもかなりの出費だ。明日からしばらくは鶏むねともやし祭だな。覚悟しておけ弟よ。
12月24日、クリスマスイブの夕方。混みまくりのひよこスーパーで材料を集め、スーパー併設のケーキ屋でドーム型の4号ケーキを購入し、帰路についた現在。両手を占めるバッグはめっちゃ重くて、ダウンを着込んだ体が冬なのにじんわりと汗ばんでくるほど。クッソ、みんな車で来やがって。早くも幸せから遠ざかりそうになる。
そこの角を曲がればもうすぐ家に着く、というタイミングで、カーブミラーに映った影。うっかりバッグを落としそうになった。

「ん!あ、はるちゃんっ」

すっと角から姿を現したのは、中学の同級生で、友達で――俺がずっと片想いしている、ひと。桜井遥。俺は気安くはるちゃんなんて呼べる立場じゃないけど、はるかって響きがかわいいし、本人もかわいいし、いつか名前で呼んでみたいとは思ってる。いや、無理なんだけど。
遥も優太の声に気づいたようで、俺と優太をゆっくりと視界に確認すると、マフラーとダッフルコートを揺らして近づいてきた。寒いの嫌いなくせに、散歩なんて珍しい。

「にーちゃんと、かいものしてきたの。いっぱい」

バッグを再び叩く姿は誇らしげだ。遥はちょいと首を傾げた。

「そんなに買ったのか」

「あー、そう。クリスマスだからさ。昨日からずっとうるさいんだよ、ピザだの寿司だのって。材料買って家で作るっていう折衷案でようやく妥協したとこ」

「うるさくないー!」

優太はぷんぷんと怒って地団駄を踏み始める。10も年が離れてるとそこまで喧嘩はしないもんだけど、男同士だし、こういう言い合いは日常茶飯事だ。荷物をいったん下ろして、はいはい、となだめるように頭をぽんぽん。

「クリスマス……あぁ…」

表情そのままに、合点がいった、というように遥も頷く。あ、と俺も気づいた。

「そっか、お前の家ってクリスマスとかやらないんだっけ」

桜井家は遥と姉の晶さんと祖母の綾子さんの三人暮らし。みんな食が細い方で、誕生日の祝い事もちょっとだけ食事を豪華にするくらい。ハロウィンやらクリスマスやら、最近だとイースターなんかもそうだけど、そういうイベントにはあまり乗らないって前に聞いたことがある。食べきれるかわかんないのにピザとか買ってもな。その代わり、遠い土地に住む両親がこっちへ遊びにくる年末年始は、寿司や酒も買って豪華にやるんだって言ってた。
じゃあ、と優太が両手で遥の腕を引く。

「はるちゃんもきてよ!」

えっ。
えっ、と遥も思わず声を漏らした。

「……いい。邪魔になる」

「じゃまじゃないもん。いっしょに、ぴざたべよう」

「別に好きじゃない」

普段ほどじゃないけど、子供相手でもやっぱり愛想がない。そんなつれない態度に、早くもうるっと優太の目が潤む。う、と遥が微かに怯んだのがわかった。子供の扱い方もわかんないだろうし、泣かれるのは苦手なんだろうな。そろそろフォローしてやろう。

「急に言われたって困るだろ?な、帰ろ?ほら」

なるべく優しい口調でなだめてやっても、優太は遥の腕から手を引かなかった。くすん、と小さく鼻をすする音がした。

「やだ。にーちゃんだけじゃ、やだもん…」

渋い顔をしていた遥が、ふと俺に視線をやる。

「親はいないのか」

「ん、んー…まぁな。夜遅くには帰ってくると思うけど」

父さんも母さんも、有休どころか公休さえまともに取れないほど忙しい。この頃は今ほど労働管理がきっちりしてなかったし、夜中に帰宅してくることも珍しくなかった。クリスマスだって例外じゃない。昔は俺もひとりぼっちでこの日を過ごしていたから、せめて優太には寂しい思いをさせないようにって頑張ってるけど、それでもやっぱり、家族みんなでっていうのが理想だから。

「……何も、手伝わないぞ」

「!」

仏頂面のまま返された言葉に、俺はぱっと目を見開いた。

「えっ…来てくれんの?」

片想いの相手とクリスマスイブを過ごせるなんて、そんな夢みたいな展開があっていいのか。そりゃ俺だって本音を言えば引き止めたかったけど、まさかついてきてくれるとは思わなくて。どっどっと高鳴る心臓をよそに、ふい、とあらぬ方向を向いて乱暴に言ってのける遥。

「泣かれたくない…だけだ。クリスマスに興味があるわけじゃない」

「へ、へぇ……」

なるほど、クリスマスってのがどんなもんか気になってるのか。いや、俺もこうやってご馳走用意するのは初めてだし、お手本になれるかは微妙なところだけど。

「いーの?やったー!」

嬉しそうに繋いだ手をぶんぶんと振って、優太は遥を引っ張って連れていこうとする。普通に歩け、とやや上擦った声で諭すのが聞こえて、俺はおかしくなって吹き出した。やーい、子供相手に慌ててやんの。
そうだ。綾さんに連絡入れるだろうし、後で家の電話貸してやらなきゃ。友達の家でクリスマスパーティーなんて聞いたら、綾さん卒倒しちゃうんじゃないか。

〜〜〜

下味をつけて、適当な粉とスパイスをまぶして揚げたチキン。生地から手作りして、オーブンで焼いたあつあつのピザ。刺身や卵焼き、野菜、酢飯を準備して、海苔で巻いて食べられるようにした手巻き寿司。クリスマスっぽいジュース。ケーキはまだ冷蔵庫に置いておくとして、役者はほぼ揃った。リビングでジェンガに興じていた二人を呼ぶ。

「わああ!」

この時の優太の顔といったら。ダイニングの椅子に我先にとよじ登って、写真撮って!なんて叫んでる。使いきりのカメラをタンスから引っ張り出して、満面の笑みを二枚ほどおさめた。
後からやってきた遥も、ちょっと驚いたように目を瞬かせていて。食べきれるのか、って俺と優太を交互に見ながら席に着く。

「母さんたちにも残しておくつもりだから大丈夫。まだ材料も余ってるしな」

「いただきます!」

「ちょ、おい!」

小さな手でむんずとチキンを鷲掴み、優太は口を目一杯開けてガブッと噛みつく。口周りを油でテカらせながら、んふふー、と脚をばたつかせる。そうか、うまいか。ジュースを三つのコップに注いでから、俺も食べ始めた。宣言通り、遥は何一つ手伝わなかったから料理はほとんどひとりでこなしたし、腹もめちゃくちゃ減ってる。この頃は一日六食とか食べてたから余計だ。優太はピザにかじりついて、チーズをうにょんと楽しそうに伸ばしている。

「んむー!みへみへ!のひうー!」

見て見て、伸びる、と言いたいらしい。
子供って必ずやりたがるよな、こういうの。そんでもって見せたがるよな。ピザなんか食べた覚えないけど、きっと俺もやってた。

「そうやって遊んでるうちに、兄ちゃんたちが全部食っちゃうぞ」

「やーだ!たべるー」

小さなコップのシャンメリーを一気飲みして、海苔に手を伸ばす。おい、ご飯乗せ過ぎだって、それじゃ包めないだろ。なんかもう無理やりお握りみたいにしてかじってる。楽しそうだからいいか。 遥はそれを見て学習したのか、海苔に少量の酢飯を乗せて具を選んでいた。醤油をちょんちょんして、ぱくり。フライドチキンも気に入ったみたい。
あれ。そういや手料理食べてもらうの、もしかして初めてじゃないか。思い当たってすぐ、とんでもない動悸に襲われた。

「おい。撮るな」

再びカメラを手にした俺に、眉間にぎゅっと皺を寄せて怒る遥。優太はお握り寿司を片手にピースしてる。

「いいじゃん、記念なんだし。もうこんな機会あるかわかんないんだから」

「えー!らいねんも!らいねんもたべる!」

ご馳走のことだと勘違いした優太がテーブルをばんばん叩き始める。わかったから、違うから、ちょっと静かにしろ。適当に相槌を打って、きれいに巻いた寿司を口に突っ込む。とりあえず子供は口になんか入れとけばおとなしくなるもんだ。

「気にしないで食べてていいって」

遥はまだ嫌そうな顔をしてたけど、腹が減ってるのかそれ以上は何も言わずに黙々と寿司を巻いていた。そう、こっちも食べさせとけば多少はおとなしくしてる。
珍しそうにピザをかじる横顔も、チキンを食べる度にちょいちょい油を拭う仕草も。ぱちぱちと短くシャッターを切りながら、込み上げてくるもので胸が満たされていく。
ああ、幸せだなぁ。
テレビに映る、きらめく街にはびこったカップルの数々が目に触れる度に、切ない思いをしてきたのに。たとえどんな顛末でも、こんな夜を一緒に過ごせる日が来るなんて。スイッチを押し込む指先が微かに震える。

「にーちゃんたべないのー?」

ころんとしたご機嫌な問いかけに、ふと我に返る。カメラを置くと、俺は曖昧に笑って席を立った。

「食べるって。お前が好きなだけ食べた後にな。ケーキ持ってくる」

「けーき!」

優太がお腹いっぱいにならないうちに、ケーキも運んできちゃおう。フリルのリボンみたいな装飾の生クリームと、鮮やかなフルーツがたくさん乗った小振りのホールケーキ。皿とナイフを携えて行けば、優太がきゃっきゃと歓声を上げる。ところで。

「ケーキ、食べるか?」

手巻き寿司をもぐもぐしてる遥は即座に首を横に振った。あ、やっぱり。怒濤の生クリームには惹かれないらしい。小さくカットしたひと切れを皿に乗せて、優太の前へ。キャラクター柄のフォークで待ち構えていた弟は、たっぷりとすくったクリームとスポンジをあーん、と声付きで口まで送り、えも言われぬ甘さに頬を包んで喜びを体現していた。

〜〜〜

「気を付けてな。雪もちらついてきたし」

小一時間に渡った祭の後。腹を満たして眠くなった優太は、ソファで毛布にくるまって寝息を立てていた。まだ風呂も入れてないから寝かせるわけにはいかないけど、こうもすやすやと穏やかに眠られると、すぐに起こすのも忍びない。母さんたちが帰ってきたら起きてくるかもしれないし、しばらく放っておこう。
玄関先で靴を履いた遥は、磨硝子の嵌まった窓をひょいと覗き込んだ。ひらひらと白いものが降っている感じはおぼろげながら見える。
この辺りは街灯も多いし、雪のおかげで少しは明るい。家まで送れないのは残念だけど、さすがに子供をひとりで残しては行けないし、送っていく、なんて言ったら『なんで』って嫌な顔されるだろう。そういう間柄でもないから、仕方ない。ほっこりしていた気持ちがちりちりと焦げ付いていく。

「…年明けにでも、そっち行くから」

「来なくていい」

言葉尻に被せるようにして放たれた台詞は、そこまで嫌がってはいないみたいだった。ほっとする。

「なんだよ。綾さんにだって新年の挨拶くらいしたいだろ」

「そんなものいるか」

「お前はいらなくても大人はいるんだっての」

「お前だって子供のくせに」

はは。相変わらずだ、こんな応酬。喧嘩するようになってから、友達になってから、想いを自覚してから、何一つ変わってない。きっと――これからも。

「…ふん」

遥がくるりと背を向けて、ドアの取っ手を掴む。
待って。まだ、もう少しだけ。
反射的に、俺は細っこい肩を強引に引いて振り向かせた。

「…なんだ」

上がり框に俺が乗ってる分、遥はこっちを見上げるようにして問いかけてきた。濃い色のマフラーと対比するような白く透き通った頬と、誰の感触も知らなそうな唇に目を奪われる。

聞いて。
今日、俺がどれだけ嬉しかったか。何度心が弾んだか。
どうしてこの夜がずっと続けばいいと思ったのか。
肩を掴んで時間を止めている訳を、全部全部聞いてほしい。

聖なる夜なんて。誰も彼も愛しくなって、幸せを願うなんて。そんな御託はいらない。ひとりだけでいいから、その心の全てがほしかった。

気づけば俺はひとりで、玄関先に突っ立ったまま。磨硝子の向こうを呆然と見つめていた。
なんでもない。じゃあ、また。
震える声を絞り出して、そう言うのが精一杯だった。

◆◇◆

「変わんないな、食べ方」

「はぁ?」

片手に骨付き肉、片手にティッシュ。ごしごし油を拭っては、度数を限界まで低めたチューハイを呷る。とろーりチーズのラザニアをすくったり、シュリンプサラダをつついたり、この夜は食べることに忙しい。だからほら、こっそりスマホでシャッターを切っても文句は出ない。
手元のアルバムを閉じて、背後に回る。カーディガンごと後ろから抱き締めて、甘そうな色の髪先に唇で触れる。シャンプーの匂いがふわりと香って、胸いっぱいに込み上げるものをよしよしとなだめる。
長かったね。本当にね。でも、よかっただろ。お前が望んでいた夜は、誰にも邪魔されず、全てが整った状態で、もう目の前にある。

いつだって、なんだって、聞いてもらえる。

「ずっと、好きだったよ」

振り向かないまま。僅かに身を固くして、知ってる、と意地の張りまくった声がした。は、と思わず笑みが漏れる。
知らないよ、何にも。教えるつもりはないけど、これから一生かけてわからせてあげるんだ。幸せのつくり方。

だから夜はもう、止めない。


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