◆◇◆

ごくり、と何度目かの嚥下。
心許ない――なさすぎる布地を両の指で摘み上げ、遥ははーっと深くため息をついた。

(こんなの着ろっていうのか…)

グレーのセーターはホルターネックになっており、首の後ろで紐を結べるようだ。しかし背中から腰、むしろ尻がほんの少し見える程度までがらりと空き、結んだ紐が腰の手前まで垂れ下がる。前面から見ればニットのミニスカートと思えなくもないが、丈が短すぎる上に肩も両腕も丸出しだ。腰回りも緩く、実質体の前しか覆われていないため、屈めば横からいろんな箇所が見えてしまう。もう『着る』の範疇に入るかさえ怪しい。
――と、着てもいないのに何故わかるかというと、ご丁寧に着方の説明書が添付されていたからである。確かにこの布地だけでは遥もぽかんとしてしまうだろう。抜かりのない米屋だ。

「うぅ……」

ご機嫌な鼻唄が浴室から漏れている。近所迷惑になるからやめろと言っているのに、無駄に正確な音程で旦那は歌う。CMか何かで聞いたような曲だった。この歌が終わるまでに、さっさと決心しなくては。

ニット素材はよく伸びるし、首で結ぶだけならサイズは問題ないだろう。着れるか着れないかで考えれば着れる。が、着たくはない。
結婚して三年。交際を含めるとかなり長い付き合いになる。もちろん当時からそれなりのことはしてきたが、未だに恥じらいが拭えないのも事実だ。いつまでも初々しくてかわいい、と旦那は言う。そんな初々しい嫁が、いきなりこんな衣装で登場しては泡を吹きかねない。卒倒するくらいで済めばいいが、思い切り引かれてしまったらどうしようもないのだ。

(……やめるか)

布地を畳んで、元通りに包みへ仕舞い込む。それを厳重に紐で括り、遥はクローゼットの奥へぎゅっと押し込もうとした。

(…でも、)

年度末ということもあり、湊は毎日忙しくしている。今日は程々の時間に帰宅したものの、昨日までは遥が入浴する辺りでようやく顔を見せていた。米屋には黙っていたが、所謂『夜の方』はなかなかご無沙汰なのだ。寝室のダブルベッドに二人で寝転んでも、最近の疲労で湊はいくらもしないうちに眠りについていた。
明日は久しぶりの休みだ。昼から車で出掛ける約束をしている。夕食も外で摂ることになりそうだ。

(午後から、なら…)

むくりと頭をもたげる確かな期待。遥は慌ててかぶりを振った。そんな、やましいことなど。いや、でも。

(っ!)

いつの間にか鼻唄は止んでいる。いくらもしないうちに、旦那はペタペタとスリッパを鳴らして寝室へ来てしまう。足音はすぐそこだ。がばっと包みを抱き締め、遥はドアから勢いよく飛び出した。寝間着姿でぽかんと口を開けた旦那の横をすり抜け、遥は一目散にトイレへ駆けていった。


――きぃ、と。
静かな音を立てて、寝室のドアをちょいと開ける。片目で様子を窺うと、旦那はベッドに寝そべって文庫本を読んでいた。短すぎる丈をぐっと掴んで引き伸ばし、ドアの隙間を大きくする。仰向けに寝転んでいた湊が、枕から頭を上げてこちらを見た。

「?どしたの?」

顔だけをひょこっと覗かせているから、服装までは見えていないらしい。首を傾げた旦那は本をシーツに放り、てくてくと近づいてくる。本気で逃げたいのを堪え、遥は唇を噛んで全身を現した。瞬間、思わず後ずさった湊が息を呑むと、遥は再びドアの陰に体を隠してしまう。そうか、やっぱりこんなのは嫌か。

「も、もう着替える、……っ!?」

ドアに指を掛けていた右手をぐいと引かれ、前のめりになった体をしっかり受け止められる。離さない、と言わんばかりに剥き出しの背を抱かれて胸が高鳴った。

「うわぁぁあこれ童貞殺すやつだろ知ってる!むっちゃくちゃエロいじゃんこんなの!誰だよ誰に教えてもらったんだよぉ!」

エロい!でも悔しい!でもエロい!と旦那は泣きながら興奮している。ぐっと押し付けられた腰に、彼の昂った熱を感じて頬が赤らんだ。

「米屋が…」

「え、あの米屋っ?…ま、まぁ…あいつならいっか。後で死ぬほど五穀米買ってやろ」

女性、それも湊にとっては友人に近い存在だ。応援グッズとわかって安堵したようだ。引くどころかたいそう喜んでいる旦那に遥も一安心だったが、ひょいと抱えられた体をベッドへ落とされて小さく声を上げる。ぱちんと湊がシーリングライトを消すと、レースカーテン越しの仄かな月明かりと、ベッドサイドのランプがシーツを怪しく照らしていた。膝を曲げてぺたんと座り込む嫁を抱き、ちゅ、と湊が優しく額に口づける。

「俺は童貞じゃないけど、これは心臓射抜かれちゃうなぁ、確かに。…いっぱいかわいがってあげる」

馬鹿みたいにふにゃりと笑うくせに。ちゅーしたい、と子供のように甘えてくるくせに。鼓膜に吹き込まれた声は、ぞくりとするほど淫靡な大人のそれだった。

◆◇◆

「似合ってるよ。すっごくかわいい」

「っ……」

背を抱かれる形でベッドに座ったまま、短い裾から突き出た太腿をいやらしい手つきで撫でられる。さわさわと這い回る手は腰に伸び、晒け出された背中を辿っていく。肩甲骨の緩い盛り上がりに唇が落ち、蝶々結びで隠されたうなじを舌で舐め上げられた。くすぐったさに身を捩れば、ウエストに回った手でそっと体を囚われる。

「ぁ、やめっ……」

つつ、と腰を滑り降りた指先が、布地で隠し切れなかった尻の丸みをなぞる。遥の反応に小さく笑うと、湊は抱き寄せた体を胸に預けさせ、両手を脇の下から服の中へ差し込んだ。

「えっちだよなー。こうやってどこからでも手ぇ入れられるんだから」

「ん、ん…っ」

ありもしない胸を柔らかく揉まれ、しかしそんな愛撫にさえねだるような声が漏れてしまいそうで、遥は自らの唇に手の甲を押し付ける。

「っん!ん、ふ……っ」

胸の先をつんとつつかれ、遥は思わず背を仰け反らせてしまう。が、既に体重をかけて旦那へ寄りかかっていることもあり、かつその旦那の手が胸に回っているとなれば逃れることもできない。両の指先でくりくりと突起を捏ねられ、遥は小刻みに体を震わせた。

「声、我慢しなくていいのに。一生懸命抑え込んでるのもかわいいけどさ」

「やっ、んん…っ」

耳元でそんな熱い声をかけられては抑えられるものも抑えられなくなってしまう。きゅう、とややきつめに乳首を摘み上げられると、僅かな痛みと甘い痺れが背筋を駆け抜けていく。

「ここ、遥好きだよな。ぷっくりしてるのわかる?」

「し、らなっ…ぁ、あ…!」

「かわいー。いっぱい弄ってほしいって顔に書いてあるよ」

摘まれた先端を爪の先でかりかりと優しく引っ掻かれる。かと思えばなだめるように全体を撫でられ、もどかしさを感じると尖りをぐりっと押し潰された。じんじんと痺れるほどにそこが熟れてしまった頃、湊の片手が下肢を指した。


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