「夕飯、食べたいものある?うちで作れるものの準備はしてきたけど、なんか買って帰ろうか?」

木々に張り巡らされた電球が灯るまで、あとちょっと。周りのざわめきにかき消されないよう、少しだけ唇を近づけて尋ねる。遥は反射的にぱっと後ろに飛び退いて、恥ずかしそうにまた寄ってきた。やだな、さすがに俺もこんなところでキスなんかしないよ。ふふ、と小さく笑う。

「後で惣菜でも見てみようか」

人混みに紛れて、遥の冷たい手をこっそりと掴む。そのままコートのポケットへ連れ込んでも、遥は振り払ったりしなかった。ぐり、と靴は踏まれたけど。手袋してくればよかったのに、と言いかけて、数日前に大学でなくしたことを思い出す。学生課へ問い合わせても落とし物は届いていないみたいだった。どこいっちゃったんだろうね、あれ。

『テラス席の皆様に申し上げます。当イルミネーションは、間もなく点灯致します』

機械的なアナウンスが流れると、みんな一斉に窓の外へ目を向ける。スマホを構えている人がほとんどだ。俺はいいや。写真はともかく、動画のためだけに画面越しに遥を見るのはちょっともったいない。
ふわっ、と光の粒が降りたようだった。煌めく球体のひとつひとつが、ドット絵みたいに木々を浮き上がらせていく。人々の歓声が後を追って響く。寒いに違いないけど、地上にいる人には星に見えるんだろうな。その辺りは帰り際に通るから、零れそうな星を見上げながら、後でゆっくり歩きたい。

「きれいだね」

「電気代…」

「もー、またそういうこと言う」

ガラス越しに光の波を覗いては臆せずムードをぶち壊してくる恋人に苦笑しつつ、ポケットの中で温めた手をそっと握る。しばらく気が逸れていたからそのままになってたけど、そろそろ周りの人たちに気づかれるかな。遥もそう思ったのか、手を抜こうとぐいぐい力を込めてくる。俺は帰るまでこのままでも全然構わないんだけどな。

「はいはい、離すよ」

そういえばさっきもしたっけ、こんなやり取り。俺はどうも遥に触れたくて仕方がないらしい。当たり前だよ、どれだけ耐えてきたと思ってるんだ。
そんな心境はおくびにも出さず、記念に一枚、とイルミネーションを背景に恋人の背中を撮る。今日はデートするから絶対来んなよ、ってルシ(と夏風)に口を酸っぱくして言ったら、何でもいいからと写真を欲しがられた。漫研の飲み会は深夜まで続くんだろうけど、帰ったらとりあえず送ってやろう。

「!勝手に撮るな……おい」

眉をきゅっと寄せて振り返ってきたところをもう一枚。うん、満足満足。

「一階でなんか買ってあげるから怒んないの。…そろそろ、帰ろっか?」

「ん…」

人も半数ほど捌けてきたし、これからみんな食品街やレストランになだれ込むんだろうから、さっと買って帰るに限る。俺たちは連れ立ってテラスを後にした。

「……あ」

「ん?」

サンタ帽子を被った店員が、あちこち駆け回っては盛んに客寄せをしている。今日は稼ぎ時だもんな。量り売りの惣菜を眺めていたら、明後日の方向を見ていた遥が不意に声を上げた。

「どうかした?」

「……トイレ」

いくらか間を置いてそう言うと、たっとどこかへ駆けていってしまう。おいおい、大丈夫か。合流できないと困るし、俺は進まずにここらで待っていたほうが良さそうだ。ん、何でトイレの前で待たないのかって。あの間が俺に語ってる。あれはたぶん、トイレじゃない。
その証拠に、五分ほどしてから戻ってきた遥は小さな袋を提げていた。なになにー?とにやにやしながら訊いたら無言でどつかれた。後のお楽しみらしい。
エビ入りのお洒落なサラダと、具沢山のピザを少量。あと、遥が食べたそうにしてたパイ包みのシチューを買って店を出た。道に沿った街路樹は、上から見るのとはまた違ってきらきらと星を降らせている。
バス停までの、たった数十歩の距離だけど。 こうして隣を歩けばほら、恋人なんだって堂々と振る舞える。近くに人がいないのを確認してから、満面の笑顔を向けた。

「好きだよ」

この近さじゃ聞き漏らすわけがない。絶対気づいてるはずなのに、遥はちっとも反応しない。まぁ、ね。浮かれてるの丸分かりだろうし、告白くらいは読んでたか。それもまた嬉しい。
バスの段差に足を置いて、整理券を引き抜いた瞬間。後ろから、むず痒い一言が聞こえた。

「外出…。思ったより、悪くなかった…」

振り向こうとしたら、早く進めとばかりに背中へパンチされて軽くつんのめる。大丈夫ですか、とすかさず運転手さんに心配された。大丈夫です、ちょっと幸せで目が霞んじゃって。
外出、だってさ。デートって言えないんだね、未だに。二人掛けの窓際を陣取って、曇りガラスとにらめっこしてる恋人のなんと愛おしいことか。場所柄もわきまえずに抱き締めたくなる。でもSNSの晒し者になりそうだから絶対やらない。傾いた好感度を失うのも嫌だ。

「俺も。凄く楽しかったよ。付き合ってくれてありがと」

とりあえずは、これくらいの短い言葉で締めくくっておこう。遥は相変わらずこっちを向かないまま、ぱさりと返事がわりに髪を揺すった。



「こたつ…エアコン…よし。でも、外から来たからそんなに寒く感じないな」

帰宅後、何をするよりも先に暖房器具のスイッチを入れる。遥もコートを脱いでいるから寒くはないんだろうけど、室温はそんなに高くない。慣れたら寒気も戻るだろうし、今のうちから暖めておいたほうがいい。はい、と俺はソファからふかふかブランケットをすくい取ってパスした。

「夕飯作るから、それまで少し休んでたら?そこそこ歩いたし、疲れただろ?」

移動はほぼバスだったけど、モール内をあちこち見て回ったんだから、遥にしてみれば結構な運動だ。帰りのバスでも揺れに任せてうとうとしてたし。――それにほら、今夜はもしかすると寝かせてあげられないかもしれないから。焦らしに焦らされた、我慢に我慢を重ねたこの約三週間。めくるめく熱い夜を期待しちゃっても、罰は当たらないだろう。聖なる夜なんて糞食らえだ。

「ん……」

素直にブランケットを受け取ると、遥はニットの上からきゅっと巻きつけて、脚からこたつに滑り込む。枕代わりに頭の下へクッションを当ててやり、俺は腕まくりをしてキッチンへ。さてさて、気合い入れて準備するぞ。

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