「俺のこと、嫌い…?」 遥が俺を鬱陶しく思うことなんて別に珍しくもないじゃないか。そう割り切れればよかったんだけど、なにぶん今は気力がだいぶ削がれている。元気なふりをするのもそろそろ限界だな、でも女々しく尋ねるのも恥ずかしいな、と葛藤していたのは昨夜の話。翌朝の食卓でぽろりとこの言葉が出たあたり、俺も相当参っていたらしい。 「は……?」 ややズレた眼鏡の先で、訝しむような視線が投げられた。起き抜けの眠気と寒気が合間って、あまりご機嫌はよろしくない。味噌汁を小さな口で飲む様を眺めつつ、俺は腹を括って続けた。 「…最近、俺のこと避けてるじゃん。一緒に寝るのも嫌がるし」 一応朝なので、直接的な単語は出さないでおいた。が、遥にはこれでも十分伝わるはずだ。箸が置かれ、ふい、と気まずそうに目を逸らされる。拒んでる自覚はあったんだな、やっぱり。 「そりゃ、寒いのはわかるよ。でも…ここまで嫌がられるとさ、俺自体が嫌なんじゃないかって不安になる」 「ちがっ…」 初めて否定の台詞が放たれた。遥を責めるような言い方になっちゃったな、と反省した反面、確かにほっとしてしまった。こたつを出て、遥の横まで寄っていく。 「ほんとに…?」 「…別に……そんなんじゃ、ない…」 顔を背けたまま、くい、と袖を引かれて。ほっぺたが赤いのは寒いだけじゃない。きっと。 「ごめん」 そのほっぺに軽くキスを落として、半纏ごと体を抱き寄せる。つんと尖らせた形のいい唇はたまらなくかわいいいけど、伏せた睫毛が困ったように揺れていた。そうだよな。断る時はいつもこんな顔だった。ちょっぴり罪悪感を抱いてる、そんな表情。 「疑ってごめんな。いいよ、寒いの苦手なのはわかってるから」 寝癖のついた髪をそっと梳ると、触れた体からゆっくりと緊張が解けていく。遥も責任を感じてただろうに、俺ばっかり不満を言って。今さら遅いけど、彼氏らしく振る舞ってもいいかな。ずっと言おうと思ってたからちょうどいいし。 「クリスマス、デートしよ?絶対楽しめるようにするから」 「でっ……」 ぱっと耳まで赤くなった恋人は、俺の言った単語を微妙に反芻してそっぽを向く。俺をひたすら下手に出させてる分、不遜な態度は取りにくいんだろうなぁ。まぁ、それでも遥は懸命につまんなそうな反応をするんだけど。 「…寒かったら、帰る」 「うん、屋内がいいな。昼間のうちに楽しんで、夜になる前に帰ろうか。寒いし」 遠回しな了承を受け取ってから、ぽんぽんと半纏越しに背中を撫でる。ちらっと俺を窺ってくる瞳は何か言いたげだ。まだえっちのこと気にしてるのかな。 そっ、と肩を抱いて。耳元に唇を寄せて、朝に似つかわしくない声をひとつ。 「――夜は、家でゆっくりしような」 びく、と震えた恋人に満足して、俺は食卓の定位置へ戻っていく。仕切り直しとばかりにテレビをつけて食事を再開すれば、遥もこっちを見ないままおずおずと箸を手にした。クリスマスなんか待たずに、羞恥に染まる頬へ今すぐ齧り付きたいと思う。 約束だよ。きっと、身も心も蕩けちゃうような夜にしてみせるから。 12月24日、日曜日。 早朝から目が異様に冴えていた俺は、野良猫に餌をやってから料理の下拵えを始めた。今夜は家で食べるようになるんだし、下準備くらいはしておいたほうが後々楽だろう。野菜を切ったり肉に下味を付けたり、スポンジを新調したりまな板を漂白したり。普段は時間がなくてできない、細々とした掃除も兼ねてキッチンのあちこちを磨いていく。俺は決して綺麗好きじゃないけど、やり始めると所々に粗が目立って、こりゃ年末の大掃除もする必要があるな、なんて思ったりした。帰省前に、遥と――手伝ってくれるかはわからないけど、ある程度は綺麗にしておきたいな。 今は大学も冬休みだから、遥も朝遅くまで悠々と寝ていられる。今日も起こさずに、自分から起きてくるまで待つつもりだった。デートは昼からでも十分だ。 予想通り、昼近くになってから遥はのそのそと起き出してきた。よそ行きの服をずるずると引きずっている。暖めておいたリビングで着替えるつもりなんだろう。せっかくだから、昼食は外で取ろうかな。まだ眠たげな恋人を着替えさせながら、デートコースを思い描いていく。外は見事な冬晴れだった。 「金貨が靴下に入るわけないだろ…」 「まぁまぁ。そこはファンタジーってことで」 ショッピングモールのエレベーター前に飾られた、荘厳なツリーを見上げて笑う。ふかふかのコットン、リンゴを模した赤い球、やたら大きい松ぼっくり、キラキラの小物類。それら飾りの中でも特に大きい、吊り下げられた赤い靴下。遥は指差して尋ねてきた。 『靴下なんか、飾る必要あるのか』 プレゼントを入れるためだと答えたらむっとされた。そういう意味じゃない、由来の話だ、と。 だから聖ニコラウスの話をかいつまんで語ってあげたんだけど、昔話にありがちなご都合主義はお気に召さなかったみたいで。ぶつぶつ言いながら、恋人はツリーを通り過ぎていった。俺はむしろ楽しいし、嬉しかった。わからないことをすんなり俺に訊いてくれるようになったんだね、遥。 「サンタなんかいるわけない」 「えー、いるよ?子供の時は来ただろ?」 俺のサンタは周りの友達みたいに、プレステや自転車をくれる人じゃなかった。でも25日の朝、小学生の頃は目覚めるといつも隣に包みが置いてあった。中身はボールとか帽子とか、スニーカーとか。特別高価なものじゃなくても、毎年律儀に届けてくれたことには感謝してるんだ。 遥はふるりと髪を揺すった。 「来なかった」 「……そうなの?」 枕元にプレゼントが置いてある喜びは格別なものだったから、経験していないと聞くとなんだか悲しくなってくる。でも仕方ないか。遥のサンタは、遥に会いたくても会えない人だったんだ。 「別に気にしてない。羨ましくなんか…」 そう呟きかけた遥は途中で言葉を止めて、また歩き出した。俺もその背中をぽつぽつと追いかける。 日曜日、しかもクリスマスイブとあって、店内は家族連れとカップルでひしめき合っている。俺たちは周りからどう見えているのかって、遥はちょっとばかり怯えてるみたいだけど。答えは簡単、ただの風景。目の前の大切な人を見るのに精一杯で、誰も周りなんか気にしてない。俺もその中のひとりだ。太腿の中程まであるコートの裾を揺らして歩く恋人は、なんてったってかわいい。 「そうだ、服見よう服!」 ショーウィンドウがずらりと並ぶ通りへ、張り切って連れていこうとしたら殴られた。殴らなくてもいいのに。 「余計な金使うな」 「余計じゃないだろー。かわいい服とか…」 「この前も買っただろ」 じろりと睨まれ、そうだっけと笑いながらとぼける俺。遥はむっとしたままだった。あぁ、わかったよ。これ以上貢ぐなって言いたいんだな。そりゃ、こうして止められなかったら俺はそれこそいくらでも買っちゃうし。『わぁ嬉しい、もっともっと』って欲張りな女の子みたいにはしゃぐんじゃなくて、財布の紐をぎゅうぎゅうに締めてくるのは俺のことを考えてくれてるからってこともわかってる。俺も俺で、そういうしっかりしたところが好きなんだから。 ↑main ×
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