「やれやれ…」

桜井家唯一のエアコンのもとで横になっている恋人を窺って、俺はようやくひと息ついた。

あれから。
遥の体以上にぐちゃぐちゃになったシーツやシャツをそのままにしておくわけにもいかず、本人を隅々までシャワーで流してから俺ひとりで揉み洗いをした。洗濯機へぶちこむ前に手洗いしておかないととんでもないことになる。勢いに任せた俺が悪いんだから、面倒でも甘んじてやるしかない。
汚れが落ちたところで洗濯機に放り込み、遥の体を拭いたり髪を乾かしたり。シャワーもかなり温くしたのにとにかく『あつい』と舌足らずに言うから、俺はいろいろ我慢しなきゃならなかった。 着替えさせてから冷えた水を飲ませ、エアコンの効いた居間に転がすと、遥は瞬く間に眠りに落ちていった。――この間、綾さんが帰ってくるんじゃないかと俺が死ぬほど焦っていたことは想像に難くないだろう。いや、晶さんもまずいっちゃまずいけど何せ仕事中だし、一応理解はあるから見られたとしてもまだマシだ。綾さんはそれこそ心臓を止めかねない。
シーツ類を洗濯し終えたところで外に干して、やるべきことは完了した。遥の部屋の窓も開けたし、布団も整えたし、証拠はある程度隠滅できたはず。

「無理させたよな…」

いくら痺れを切らしたのが遥のほうだったとはいえ、接触を絶って久しい体にはかなりの負担だったと思う。さらさらと洗い立ての髪を梳いてやると、疲労の色が浮かんだ表情も少しだけ柔らかくなった気がした。寝ている体はそろそろ涼風でも冷えてくるだろうと、部屋から持ってきた遥の薄掛けを纏わせてやる。剥き出しの腕に触れる感触に気づいたのか、ふ、と瞼が僅かに持ち上がった。

「まだ寝てていいよ。疲れたろ」

髪を撫でて俺が隣にいることをわからせると、薄布の下から腕が這い出てきた。その指は迷わず俺のシャツを摘む。ああもう、なんでそんなかわいいことするかな。
同じように寝そべって腕を伸ばしたら、何も言わなくても遥は頭を浮かせた。その隙間に腕を滑り込ませると、当然のようにまた頭を置く。自然と近づいた額に唇を落として、背中から腰にかけてを労るようにゆっくりと撫でた。遥はもう目を閉じている。

「…体、痛い?」

静かに、しかしすぐに頷かれる。だよなぁ、と俺は深くため息をついた。

「ごめ――」

「謝ったら…おこる」

的確に釘を刺されて黙り込む。
セックスの時も遥は『まだ許してない』と言っていたから、謝罪以外の償いが足りないんだろう。俺は考える。どうしたら、遥はちゃんと認めてくれるのかと。
あ、と思い立った。本当に簡単なことだ。なんで今まで口にしなかったのか。ごほん、と俺は軽く咳払い。

「――映画、なんだけどさ」

ぴく、と密着した体が身動いだ。まだ瞳は隠されたまま。

「さすがに明日は体がきついだろうし、明後日とかどう?昨日調べたんだけど、海側のショッピングモールのシネコンでもやってるんだって」

「…バスなんか、乗りたくない…」

「母さんに車借りるよ」

「昼飯…」

「奢る。何がいい?」

「……参考書」

「おっきい書店あるから!それも奢るし!」

不満を必死に潰していくと、ふん、と遥は唇を尖らせてようやく俺を見てくれた。

「…ついて行ってやる」

「ありがとう。嬉しい」

挽回のチャンスが到来した。すかさず抱き締めると、やっと許しを得られたようで俺のこともぎゅってしてくれた。事後で甘えたいっていうのもあるんだろうけど。
このやり取りだけを端から見たら、なんて高飛車な恋人だと思われるだろう。そんなことは決してないし、むしろ甘えてるのは俺のほうだ。
そう。俺もだけど、遥は『とにかく謝れ』ってタイプじゃない。何かしでかしたら、それなりの行動で反省を示せって言うほう。奢るってさっき言い出したのは俺だから、別に金銭的なことにこだわってるわけじゃない。ミスを上書きできるような、相応の愛情表現を望んでるだけだ。

「遥、愛してる」

まだ伝えてなかった台詞を久々に囁いたら、俺の胸に押し付けるようにして顔を隠してしまう。髪の間から覗いた耳は仄かに赤い。

「いっぱい甘えてな。俺も、ちゃんと頼るようにするから」

俺がいなくちゃダメだって、庇護欲を掻き立てられることは未だにあるけど。俺が思っているより、遥はきちんと成長してたんだな。ぐらつきそうな時は、支えてほしいって俺も言うよ。たまには、恋人に守ってもらうのも悪くない。そう思えたから。

腕の中の心地よさげな寝顔を眺めながら。名誉挽回のデートプランを思い描いて、その幸せに感謝した。


***
久々に長編書ききりました。遥は遥なりに湊を心配するし甘えさせたいと思ってることを湊に思い知ってほしかった(´・ω・)
以下、凪との後日談。


[後日談]

「……信じらんない」

遥の上から下までを眺めて絶句した凪に、俺は苦笑いを浮かべた。数学好きの優しいお姉さんを想像していただろう少年は、うち――小宮家で待っていた男が例のハルカと知るなり胡乱な目を向けた。対する遥も何となく事情を察したのか、似たような瞳で俺を睨んでくる。うん、そういうとこそっくりだよ君たち。
ぴょん、と優太が遥に背後から抱きつく。

「はるちゃん久しぶり!あれ。背、伸びた?」

「……かもしれない」

おいおい、嘘はよくないぞ。結構前に止まっただろ、身長。…なんて言うと機嫌を損ねるのは目に見えてるから俺は黙っておく。代わりに、まだ納得してないような顔の凪に謝っておいた。

「騙したみたいでごめんな。…でも、大事な人っていうのに変わりはないんだ」

「!な、に言って……」

一瞬照れかけたけど、さすがに子供たちの前では態度を崩すわけにはいかない、とばかりにむっとする遥。凪は俺を睨んだまま口を開いた。

「別に…そういうのがあるっていうくらいは知ってるし。僕だって、差別とかはしないけどさ」

おお、えらく大人な対応だ。優太は逆に子供すぎてわかってない――というか、あれか。昔からこういうところを見せられてるから、俺と遥の距離はこれが自然だと思ってるのか。

「でも、この人は嫌い」

ずばっと凪は言った。昔なら間違いなく怒っただろう遥は、ふいとそっぽを向いただけ。やっぱり大人になったなぁ。って。俺は凪の前にしゃがんで言う。

「何でだよ?会ったばっかりだし、性格とか知らないだろ。俺のことだって、初めて見た時は敬遠してたのに」

凪はつまんなそうにしてたけど、俺との約束――凪のほうから遥に声をかけるってやつ。それを思い出したのか、遥にずんずんと寄っていった。

「……ねぇ」

「ん」

「湊のこと、すき?」

「!?」

俺も遥もぎょっとした。しかし、尋ねている凪は不満そうにしつつも揶揄しているわけではなさそうだ。優太だけがのんびりと微笑んでいる。

「どうなの?」

「そ、そんな……」

「…ふーん」

言い淀む遥にくるりと背を向け、凪は俺を見上げて唇を尖らせる。

「やっぱりこの人嫌い」

「もー、何でだよ。そういうこといきなり訊かれたら誰だって困るだろ?」

遥をフォローするべくなだめてみたけど、凪はかぶりを振るばかり。何がいけないのか、俺も遥もさっぱりわからない。

「もういいよ。優太、ゲームしよ」

「うん!何やる?俺、バーチャルファイターズがいいな」

「またそれ?…いいけど」

子供二人は言い合いながらテレビの前に座り込む。はぁ、と遥のため息が聞こえた。

「ごめんな。気を悪くしただろ」

「……お前が悪い」

はい…?

「え、待って、なんで」

「うるさい」

ソファに沈み込み、遥は机に置きっぱなしだった優太の夏休みの友を捲り始める。仲間に入れてもらえなかった俺は何が何だかわからず、ひとりキッチンでおやつの用意をするしかなかった。


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