「お…?電話か?」

ぞろぞろと後続の車を引き連れてバイパスを下っていると、不意にスマホがぽこぽこと鳴った。誰かからの着信だ。もしや、と淡い期待を抱いてバッグに伸ばした手は叩かれた。

「運転中でしょ」

たしなめた凪はさっとスマホを奪い取ってしまう。正論だけどせめて発信元が知りたい。ようやく萎ませた浮き輪をしまいながら、優太がスマホを覗き込んで言った。

「はるちゃん…かな?はるちゃんのおうちだよ」

「桜井家か?」

「うん」

「じゃあ綾さんだな。遥なら携帯からかけるだろうし、そもそもまだこっちに来てないから」

しかし綾さんが俺に掛けてくるのも珍しい。一般道に出たところでコンビニに入り、スマホを受け取って掛け直す。何コールも鳴らないうちに、桜井でございます、と落ち着いた声がした。

「小宮です。さっきは取れなくてすみません。運転中だったので」

『ああ、小宮くん?いいえ、こちらこそ急にごめんなさいね』

やっぱり電話の主は綾さんだったらしい。はるちゃんのおばあちゃんだよ、と背後で優太が凪に説明している。

「大丈夫です、もうコンビニですから。それで、何か…」

『ええと…小宮くんは、ご実家のほうに戻って来ているの?』

え?

「え、ええ。用事があったので今年は早めに帰省したんですが…」

『ああ、そうなの。それならよかった』

え?

「あの…何か…?」

『今朝、遥が突然帰ってきたの。あの子、いつもはお盆の直前まで戻ってこないから、変だと思って。私が訊いても何も言わないし…。小宮くんと一緒に来たのね、ようやくわかったわ』

ちょっと待て。

「こ、こっちにいるんですかっ?遥が!?」

俺がすっとんきょうな声を張り上げると、後部座席の凪がバックミラー越しに顔をしかめた。綾さんもびっくりだ。

『あ、あら、私はてっきり一緒に帰ってきたものだと思っていたけれど…じゃあ、どうしたのかしら』

「さぁ……」

もしかして、寂しくなって戻ってきちゃった…とか。いや、さすがに都合が良すぎるか。自分で家事をしないといけないのが面倒だっただけだ、絶対そう。でなきゃさっきの電話にだって出てくれるだろうし。

『夏バテしてるんでしょうけど、何だか元気がないみたいなの。小宮くんもお忙しいと思うけど、いつでも遊びにいらしてね』

「はい、ありがとうございます」

挨拶を交わして電話を切る。やれやれ、とシートの背もたれに体重をかけてため息をついた。

「帰ってんなら言ってくれよ…」

「でも、よかったんじゃない」

行きの残りの菓子をぽりぽりしながら、凪がすっかり大人びた表情を向けてくる。

「早く仲直りしてきなよ」

「…はは」

全くもってその通りだけど、精神年齢を抜かされた気分だ。でもな、今日はまだやることがある。凪と両親の行く末を見届けないと、わざわざ今日を捧げた意味がなくなる。遥に胸張ってーー殴られるだろうけど、事の顛末を全部話せるようにしないと。
コンビニを抜けた車は、夏の明るい夜の中を走り去っていく。



はしゃいで遊び疲れたのか、はたまた友人の悩みを抱え込んでいたためか。優太はいつもより早く床に入った。幸せそうな寝顔を垣間見て、すみません、と固定電話越しに謝ったらひどく恐縮された。

『とんでもない、こちらこそご迷惑をお掛けしました。子供に仲裁されるまで喧嘩し続けるなんて、お恥ずかしい限りです』

謝罪ながらも、女性の喋り方ははきはきとしている。並の男なら口では勝てないだろうな、なんて旦那さんの心配をしてみたりする。

『ぜひ遊びに来て下さいと、優太くんに伝えて頂けますか。いつでも歓迎します。…え?あぁ、ストラップでしたよ、お揃いの。主人も喜んで、車のキーに付けていました』

それならよかった。
凪は、と訊いたら、珍しくお父さんと遊んでいるという。代わりましょうかと訊かれて丁重に断ったのに、お母さんは気を遣ってくれた。なに?と、変わらず生意気な声がする。

「いや、何でもないよ。お疲れ」

今更俺が何も言わなくても、凪自身で感じ取っているものは多いはず。労いの言葉だけをかけると、凪はもごもごと口ごもった。

『……ありがと』

たった四文字だけど、そこには凪の思いの全てが込められている。
素直じゃないか、俺の恋人より何倍も。これなら心配はいらない。

「どう致しまして。こっちも頑張るからな」

『早くしないと逃げられるんじゃない』

ぐっ。

『あ。優太に言っておいて。遊びに来てもいいって』

「うん、お母さんからも招待された。もう寝てるからな、明日伝えとく」

『………湊も来たら』

「あれ!俺の名前覚えててくれたんだ?」

『当たり前だよ。名前も覚えられないってどんな馬鹿なの』

茶化したら怒られた。お誘いはありがたく受けておくけど。
ごほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。

『…今度、ハルカに会わせてよ。気になるから』

「うん、いいぞ。…でも、ちょっと人と話すのが苦手なタイプだから、凪から声かけてやってくれよ」

『…ふうん。いいよ』

それじゃ、と。
未練を感じさせない様子で凪は電話を切った。この辺は遥と同じだ。心を許している人ほど、ぞんざいに扱っても大丈夫かな、と思えるんだろう。
受話器を置いて、ひんやりした廊下をぺたぺた歩いて。自室のベッドにころんと転がった。暗い天井を見上げて思う。

「……会いたいな」

もう何日もまともに話していない。触れてもいない。喧嘩する前はテスト期間だったんだから、キスだってセックスだってずっとしてない。俺が悪いんだってわかっていても、ぐずぐずと胸に残る不快感は消えない。
明日、ちゃんと謝ろう。全部話して、ごめんなさいって抱き締めて、大好きだって言わなきゃ。きっと遥は今頃、俺が約束を放り出したのは遥より優太を選んだんだって思ってるに違いない。優太を恨むこともできずに、ぐるぐるひとりで悩んでるんだ。

大丈夫。
もうすぐ、会いに行くからな。

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