「なぎちゃんチーズ好きでしょ?俺ね、んと…はい、チーズ」

「チーズ…」

賑やかな後部座席を背中で感じながら、車はバイパスを疾走する。チーズのふわんとした匂いがこっちにまできた。じゃがりこか、はたまたポテチか。兄ちゃんも食べる?と差し出されたじゃがりこをありがたく口に運ぶ。

「ねー、あと何分で着くの?」

「道はそんなに混んでなさそうだしな。二十分くらいかな」

プールなら家の近くにも市民プールがあるし、普段なら遠くまでは来ないんだけど。隣町の施設がちょうどリニューアルしたってことで、今回は泳ぐより遊ぶことに比重を置いてみた。ウォータースライダーなんて、俺は何歳になってもわくわくする。一度遥と乗ったら、もう二度とやらないって言われちゃったけど。
窓越しの真夏の空は染みるほど青い。絶好のプール日和じゃないか。そういえば、優太はなんでプールにしたんだろう。スポーツやるようには見えないけど、案外凪の好みなのか。
シートに揺られること二十分、車は無事に駐車場へと到着した。開園直後だからか、まだ混んでいなくてよかった。さっそく三人ぶんのチケットを買おう、としたら。

「いい。自分で買うから」

凪がぐいと袖を掴んできた。反対の手には千円札が握られている。

「それ、小遣いだろ?いいよ、使わないでとっとけ」

「…友達なら、おごったりしないじゃん」

おおう。なんてことだ、小学生に言い返されてしまった。でも友達って認めてくれたのは嬉しい。
優太もきゃははと笑っている。凪はむっとしながら受付に札を置いた。

「別に、大丈夫だよ。お父さんから、今日のためにもらったんだし」

親の話が出た途端、ぴた、と優太の表情が固まる。そっとどついてやると、はっとしたようにまた笑みを浮かべた。ちょっとぎこちないけど、まぁ十分だ。相槌は俺が打とう。

「そっか。いいお父さんだな」

「……そうでもないけど」

つまらなさそうにチケットを受け取った凪の背中を押して、三人でゲートをくぐる。入り口のそばの売店では水着はもちろん、ゴーグルや浮き輪、使いきりカメラなんかも売っている。このスマホ時代に売れるのかと思ったけど、いくら防水といっても水場にスマホ持ち込むには勇気がいるか。俺たちは男子更衣室を目指す。

水着は身につけてきたから、ロッカーに不要な服を投げ込めばすぐにでも遊べる。本当は弁当とか作ってやりたかったんだけど、優太の話だと凪は人の家の料理が食べられないらしい。俺には感覚的にわからないけど、今はそれほど珍しくもないな。フードコートで何か食べさせよう。

「わーいっ!」

洗浄用シャワーを出てすぐの浅いプールに、優太はじゃばじゃばと突っ込んでいく。車を停めた時はそうでもなかったけど、いよいよ混んできた。子供たちーーいや、俺もそうだった。夏休みだもんな。
凪も水の抵抗に反発しながら優太を追いかけていく。小さな背中を眺めて、俺はほっとしていた。親御さんを疑うつもりはないけど、華奢な体には傷ひとつない。プールに行くって言うから一応安心はしてたんだけどな。
優太は早くも浮き輪でぷかぷかやり始めてる。おや、凪は?と思いきや、水深の増した先のほうでクロールをしていた。泳げるのか、意外だ。

「スイミングやってるのか?」

ゴーグルを額へずらした凪に尋ねると、少しびっくりしたようだった。

「…わかるの?」

「泳ぎ方見てればだいたいわかるぞ。フォームがきれいだからな」

やっぱり、自己流で身につけた人ときちんと習ってた人は違うんだよな。俺は自分でどうにかしたから、息継ぎとか適当だし。
凪はこくりと頷いた。

「…もうやめちゃったけど、前は通ってた」

「なんだ、もったいないな」

「先生が…ちょっと、嫌いだったの」

懐かしい。昔、中学で数学の特別講座をやってた時も、遥は「あいつが嫌い」と苦手な教師を避けて結局参加しなかった。人を選ぶところはそっくりだ。
くすくすと俺が笑っているのを見て、仕方ないじゃんと凪はふて腐れた。慌てて誤解を解いてやる。

「そういうところが似てたんだよ。よく知ってる奴に」

ふうん、とやや興味を引いた様子だったが、そこへ優太が浮き輪に身を委ねてふらふらとやってきた。

「兄ちゃん、あれ乗りたい、あれ!」

「ん?あぁ…」

スプラッシュなんとか、だったか。ぐるぐるととぐろを巻いたスライダーを指差して優太がはしゃぐ。乗り場は既に行列ができていた。あれって別にチケット買うんだっけ。

「じゃ、先に並んでていいぞ。その間、兄ちゃんチケット買ってくるから」

乗り場は奥の階段だけど、券売機はロッカーのほうにあるし、どうせ金を取りに戻らなきゃならない。なら、並んでる優太と凪に、後から俺がチケットを届けたほうが効率がいい。えっ、と凪が驚いた様子で優太を見やった。

「い、いいよ…僕、乗らなくても…」

今更ながら一人称が僕だったと知る。怖いのかなと思って顔を窺ったけど、どうやら遠慮のようだ。もっとはしゃいでいいのに。

「せっかく来たんだし、いいだろ?優太も凪と乗りたいよな?」

「なぎちゃん、乗ろうよ!ね!」

優太は浮き輪を俺に放り投げて、ほらほらと凪の手を取って引きずっていく。振り返った困り顔に笑いかけて、俺は浮き輪を抱えてロッカーへ向かった。



「ったくもー…何回乗ってんだよ…」

「へへ、楽しかったでしょ?」

円い階段状に広がる座席のひとつに腰を下ろして、凪がぶつぶつと文句を垂れた。話題はもちろんウォータースライダーのことだ。あれから何度となく乗り倒した二人。ついでに俺も一回やってきたけど、流れる水の色とか量がちょくちょく変わったり、パイプ内の光が散ったような演出だったり、アトラクションとしては結構楽しめた。凪も嫌と言いつつ幾度も挑戦したし、優太なんて大はしゃぎだ。
これから中央のプールでステージイベントがあるらしい。まさかイルカとか召喚するわけにはいかないから、水を盛大にひっ被るようなショーとかやるのかな。
ーーそろそろ本題に入ろうかな、と思う。凪も泳いではしゃいで腹が減ったのか、昼飯は思ったよりずっと食べた。俺が一口あげたクレープもおいしいと満足げだったから、弁当を作ったらそのうち食べてくれるかもしれない。

「凪」

「ん?」

無人島で暮らしてる原住民ーーいや矛盾してる。密林の原住民みたいな奴らが松明を持ってステージに現れた。ダンスでもするのかな。

「今度、凪の家に遊びに行ってもいいか?」

「!…………」

だめ、と。小さな拒絶が歓声の中で聞こえた。
ぽんぽんとなだめるように髪を撫でながら、俺は何でもないことみたいに話していく。

「実はな。…俺、今喧嘩してるんだ。大事な人と」

「え……」

凪もふっと顔を上げたけど、それ以上に食い付いたのはやっぱり優太だった。

「えー!兄ちゃん…はるちゃんと喧嘩してたの?」

そうなんだよ、とため息をついて落ち込んでみせる。実際ほんとに落ち込んでるし。ただ、優太や凪が責任を感じるといけないから、喧嘩に至った原因は話さないでおく。

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