「温泉の水を使って作ったり、湯気で蒸したりするんだって。まぁ、単純に温泉街で売られてるから温泉饅頭って言われてるのもあるけど」

先程まで木枠で蒸されていた饅頭を味わいつつ、湊はそんなふうに講釈する。茶褐色のそれを同じく食して、ふうんと遥も頷く。甘いものは滅多に食べないが、ここまでお膳立てされれば口にするしかない。思いのほか甘味が抑えられており、餡が多目でも食べやすい。

「あと、ここの温泉行ってきましたっていうお土産に買っていった説もあったかな。温泉はこの色でしたよ、って説明しやすいから」

文字通り土産話というわけである。最後のひと口まで味わってから、二人は暖簾をくぐって外へ出た。
冬の夜は早く、そろそろ周囲も紫暗になりつつあるが、随所に灯された明かりのおかげで祭のような雰囲気に感じられる。石畳を並んで歩き、宿の合間にある店の軒先を覗いていく。ふと、遥が前方左手の店を指差した。

「あれ…何屋だ」

三角巾をつけた中年の女性が、金属製の大きなシンクに手を突っ込んでいた。白いものがゆらゆらと漂っているのが見えた気がする。しかしこの寒い中、水仕事とは頭が下がる。

「書いてあるよ。ほら」

ショーケースの金属部分を覆い隠すように、『手造り豆腐』の渋いフォントが布に印字してあった。なるほど、確かにケースの中には定番の寄せ豆腐や油揚げ、生揚げの他、豆腐ドーナツまで鎮座している。
甘党な湊は饅頭を食べた後でも入るのだろうと思いきや、彼は既にショーケースへ吸い寄せられていた。ややあって、紙で包んだドーナツをおいしそうにぱくつきながらこちらへ帰ってくる。よくもまぁ、そんなに次から次へと食べられるものだと呆れを通り越して感心してしまう。こういうところを見ると、普段いかに湊が食欲をセーブしているのかが窺える。間食程度なら、食べ盛りの高校時代はしょっちゅうだったが。

「お前……さっきもパン食べただろ」

「ん? これはドーナツだよ?」

そういう問題じゃない。

「いやー、揚げたてもらっちゃってさ、ほかほかなんだよねー」

水仕事へ戻っていった女性に手を振り、湊は再び歩き出す。マナーとしてはあまり褒められたものではないが、こういう場所なら食べ歩きも許されるだろう。
右手に見えるのはライトアップされた演舞場と、屋根付きの観覧所。と思いきや、少し違ったようだ。

「あ、足湯だ。やっぱ俺たちが泊まってるとこの温泉と同じ成分なのかな」

浅く長い浴槽に、透明な湯がたっぷりと湛えられている。何人かが両脚を伸ばし、ベンチに座って寛いでいた。効能を見ると、部屋に置いてあったパンフレットをだいたいなぞっている。打ち身はあるが馬鹿はない。そうだ、と湊が手を叩いた。

「旅館の人に聞いたんだけどさ、大浴場の他に貸切風呂があるんだって。後で入ろっか」

「貸切……?」

「うん。もちろん大浴場ほど広くはないけど、二人ならいいよな」

二人なら、をしっかり強調した言い方に、寒さで紅潮した遥の頬がさらに赤らむ。照れ隠しに脇腹を小突いてやったが、ちっとも効いてはいない。

「予約とかはいらないみたいだから、空いてる隙を見て入りに行こ。ふふん、楽しみだなー…あっ、待ってっ」

てくてくと先に足を進め、駄菓子屋を通り過ぎたところで湊が追い付いてくる。連れ立って歩きながら、こういう外出なら悪くないな、とほだされてしまう自分はやっぱり、後でしっかり貸切風呂を堪能することになるのだろう。
時計屋と喫茶店の向こうに、がやがやと人の多く集まっている軒がある。いったい何屋かと思って店内を覗くと、緑色、水色、桃色の大小様々な瓶が壁の棚に陳列されていた。客たちはみな、ほんのり赤い顔で猪口を手にして笑い合っている。

「酒か」

「日本酒だな。ほら、みんな試飲してるんだよ」

金と引き換えに猪口をもらい、飲みたい酒を壁際から選ぶと、受付にいる和服の女性がそれを注いでくれるシステムらしい。いくらか払えば三種類ほどは飲めるそうだ。テーブルにあるのは口直し用の水差しか。確かに、つまみなんて置いたら酒飲みの溜まり場と化してしまうだろう。今でさえ、店内は人で溢れている。

「わー、いいお値段」

旨いからには高い酒なのだろうと値札を覗いてみると、やはり。湊が苦笑をこぼした。もちろん手が出ないほどではないものの、何か特別な日でもないと開けるのはもったいない。四合瓶はそこそこだが、女性向けのフルーティーな甘口はお手頃サイズで売られている。瓶のラベルには林檎が描かれていて――やっぱり林檎味なのか?

「こういう飲みやすいやつもあるんだな。でも一応日本酒だし、遥にはきついかも」

ふふっとからかうように笑われ、遥がむっと唇を尖らせる。

「別に飲めないわけじゃない」

単にすぐ酔ってしまうだけで、凌也のような下戸ではない。まぁまぁ、と湊は髪を撫でてなだめる。

「これだったら飲めるんじゃない?」

ほら、と湊が示した棚は果実酒のコーナー。果物を氷砂糖と焼酎に漬けて作る酒だ。女性に人気、のポップが少しばかり悔しい。

「藍苺…ブルーベリーか。茘枝…?」

「ライチだね。山査子はサンザシっていう姫林檎みたいなやつ。果実酒はそのままでもいいけど、ソーダ割りにすると飲みやすいよ」

果実酒というのは梅くらいかと思いきや、いろいろな酒があるものだ。焼酎と聞くときついイメージしかないが、果物がメインなら確かに飲めそうな気がする。湊お勧めの杏の果実酒を三百ミリと、二合サイズの日本酒――銘柄はわからないがどこかで聞いたもの――と、割り用の炭酸水を買って店を出ることにした。特別な日にしか飲めないだろうと言っておきながら、今日がその日であることに気づいたのは歩き出してからだった。
蕎麦屋を過ぎると、川沿いの縁日に群がる子供たちが見える。生まれた時からスマホやゲームが身近にあった世代なら、独楽も射的もひどく新鮮なものに思えるだろう。子供そっちのけで夢中になっている父親らしい人の姿もある。
以前に湊と二人で行った地元の祭を思い出した。人混みで具合が悪くなってしまったのは残念だったが、それなりに露店も回れて楽しめたと思う。とある不埒な出来事のおかげで湊に背負われて帰る羽目になったのは不覚としか言いようがないものの、それもこれも元を糺せば目の前の相手のせいである。
出てきた頃よりも増した暗闇の中、湊が袖を捲って腕時計を確認した。

「んー…ご飯までまだ時間あるけど、とりあえず戻ろうか。大浴場も行きたいだろ?」

風呂にこだわりのない湊は貸切にさえ入れればそれで満足なのだが、遥はそうもいかない。普段からのんびり湯につかることを楽しんでいる彼にとって、温泉はどれも貴重だ。一も二もなく頷き、今度は別の小路を通って帰る。たまたま人通りのなかった場所で乞われるがままに手を繋いでしまったのは、いつもとは違う雰囲気に流されただけ。


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