「…? えと…僕の顔に何かついてますか?」

「いや…」

凌也はそっと目を伏せ、箸を持ったままの手を再び動かし始める。かりんは僅かに首を傾いだ。しばらくの沈黙の後、凌也はふと口を開く。

「俺は…お前にとって、信用に値する人物か」

「え?」

突然の問いかけに、かりんは口の中のものを飲み込んでからこくこくと頷く。

「も、もちろんですよっ? あの、それが何か…」

「悪い。変なことを訊いたな」

凌也の長い腕が伸ばされ、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。その後はいつも通りの雰囲気に戻ったため追及することはなかったが、食事と片付けを終えた帰り道、そう尋ねた凌也をかりんは思い出していた。

(どうして、あんなに悲しそうな顔をしてたのかな…)

自分が凌也を信用していないと思わせたとは考えにくい。それなら、凌也は真正面から信用していないのかと訊いてくるだろう。あんなふうに、ためらいがちな様子で尋ねるのではなく。

(明日、お昼くらいに行ってみよう)

アニマルフェアも凌也とでなければ意味がない。
朝、凌也が出るのを待ってから桔梗荘へ向かうことにした。そうすれば、胸にほんの少し残った寂しさも紛れるだろう。
一抹の不安を抱えつつ、かりんは家路を急いだ。



「お邪魔しまーす」

翌日。
昼近くなってから、かりんは桔梗荘に到着した。合い鍵で入ると、予想通りがらんとしている。靴もないので、凌也はもう出た後だろう。

「お昼は、昨日買ってきた食材の余りがあるから…うーん、レポートでもやろうかなぁ…」

とはいえ、今回の週末に向けてあらかた課題は終わらせたため、かなり先の期限のものしかない。それでも何もしないよりはましかと思い、ちゃぶ台の隣にリュックを下ろす。

「あっ…」

カサリと音がした床を見ると、落ちていたのは昨日の茶封筒だった。封が切られ、薄紅色の紙が覗いている。

(そういえば先輩、これ見てから元気なかったような…)

手紙を見つめていた瞳は何とも言えない色を放っており、内容の重々しさを感じさせた。それがいったい何であったのか、かりんは確かめたい衝動に駆られた。
封筒をそっと手に取る。厚紙の感触が外側からも窺えるが、もう片方の手を伸ばしたところでかりんは我に返った。

(だめだ、これは先輩のプライバシーなんだから…)

自分に詳細を語らなかったということは、知らせる必要がないか、あるいは知られたくなったかのどちらかだ。いずれにしても、ここで明らかにしてよいものではない。ぶんぶんとかぶりを振ると、突然玄関のドアを乱暴に叩く音がした。

『もーりーやーま! スズランテープかーしてっ』

いつもの彼女の声に、かりんは苦笑しつつ玄関へ駆け寄る。ドアを開ければ、姿を現した佳奈子がにぱっと笑った。

「かりんちゃん!ちょうどよかったぁ、スズランテープ貸してくれない? ほら、新聞とか束ねるやつ 」

「はい。それならこの辺りに…あ、あった。どうぞ」

玄関すぐ横の作り付けの棚から、半透明の紐を円状に巻いた束を取り出す。ありがとー、と佳奈子は嬉しそうに受け取ったが、かりんの手に視線を移すなり首を傾げた。

「ん? その封筒は?」

「えっ? あ、いえっ…」

かりんが反射的にさっと背中へ隠すと、佳奈子はその肩越しに部屋の中を見回す。

「そういや守山はいないの? 静かね」

「今朝、用事でご実家の方に戻られたんです」

「ふーん。用事って?」

さぁ、とかりんは困ったように笑う。ついさっき、その内容を無理に知ろうとした罪悪感がちくりと胸を刺した。

「詳しいことはわかりません。お母様からお手紙が来ていて…」

「もしかしてその手紙ってそれ? なら読んじゃえばわかるんじゃない?」

きょとんとした顔で佳奈子は言うが、かりんはしどろもどろになりながら首を振る。

「そ、そんなっ。できないです、お手紙を勝手に読むなんて…ってあああ! 成島さぁんっ」

ていっ、と慌てるかりんから封筒を奪い取り、佳奈子は便箋と厚紙をさっさと取り出してしまう。かりんはパニックに陥った。

「だっだめです、返して下さっ──」

「何これ…」

便箋をぐしゃりと握りしめた佳奈子は、不快そうに眉間にしわを寄せる。そして、かりんをしっかりと見据えて口を開いた。

「かりんちゃん。大変なことが起きてるわよ」


──所変わって、湊と遥が同居するアパートの一室。白いテーブルに並べられた動かぬ証拠の数々に、佳奈子は犬歯を剥き出して物騒な声を放った。

「あいつぶっ殺す」

「そう言うなよ、即銃殺されるほどじゃない。とりあえず現行犯だな」

「というか、逮捕前に家宅捜索されているではないか」

などと湊と翼が話に乗る中、遥はぽかんと机の物証を見つめている。便箋はともかく、もう一つの厚紙を実際目にするのは初めてだった。

「こういうのって、釣書って言うんですよね」

何となく萎んだ声でかりんが言うと、全員の目が再度そちらに向けられる。
封筒に入っていたのは便箋と釣書だった。手紙の内容としては、凌也の父の同級生がIT関連の社長をしており、その娘が年頃であることから、家族ぐるみで食事をする運びになった、ということが書いてあった。そして、社長令嬢であろう清楚な女性の写真がいくつか添えられている。食事を、とは言うが、これが事実上の見合いであることは誰の目にも明らかだ。

「むっかつくぅぅ! あいつはなんでこうなのよ! 大事なことはなんにも言わないで、プライバシーだの束縛だのって意味わかんない! ねぇかりんちゃん!」

怒りを露にした佳奈子に同意を求められたかりんは、ぎこちない笑みを浮かべて見せた。

「でも、先輩が何も言わなかったならきっと…大丈夫ですよ。心配するなってことだと思います」

事実、自分は何も知らされなかった。昨夜のためらいがちな問いかけは、この事を黙っているべきかと凌也が考えあぐねた結果なのだろう。なにぶん急いでいたし、説明や釈明はこちらに帰ってきてからするつもりなのだと思う。
──でも。ちらり、とかりんは写真に目をやった。仕立てのいい振袖を纏った女性は、品のいい笑みを浮かべてこちらを見つめ返してくる。白い肌、小さな顔、長い睫、艶のある髪。振袖なので体つきはわからないが、彼女、八神櫻子は贔屓目に見ずとも十分美人であった。写真を覗き込んでいた面々が一斉に目をみはった程だ。化粧のおかげで大人びて見えるが、手紙によるとかりんと同い年らしい。

(こんな人なら、きっとお似合いだろうなぁ)

容姿の整った凌也の隣に並んでも、決して見劣りしない輝きを彼女は持ち合わせている。それに、オーラとでも言うのか、外見に相応しい教養を兼ね備えているのが写真からでも感じられる。世の男性の理想と言っても過言ではなさそうだ。
お嬢様なだけあって、翼は彼女に会ったことがあるという。聞けばやはり、前述の見解とおおよそ一致しているらしい。

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