「…そうか」 (あれ…?) おじいさんは微動だにしません。いつもなら"なんだと! 狼は危険だから近づくなとあれほど言(ry"と半狂乱になりますが、どうしたのでしょう。病気で弱っているという理由だけではなさそうです。 (それに、この声…) ついさっき耳にした声──と思ってしまうのは、赤ずきんがずっと彼のことを考えていたからでしょうか。赤ずきんは恐る恐る、ベッドのほうへ近づきました。 「おじいさん」 「なんだ」 「あなたは本当におじいさんですか?」 ぴくりと布団の中の膨らみが揺れ、赤ずきんは僅かに後ずさります。けれど足を一歩後ろに踏み出した途端、にゅっとベッドから伸びてきた手に腕を掴まれ、赤ずきんの体が前のめりになりました。気づけばどさりとベッドへ仰向けに沈み、狼が覆い被さるようにして両手を押さえつけていました。床に落ちた葡萄酒の瓶は割れ、せっかくの花束もいくつか花びらが散ってしまいました。 「狼……さん…?」 このまま食べられてしまうかもしれないと危惧しているのに、何故か恐怖は感じられません。それはきっと、赤ずきんを見下ろす狼の瞳があまりに寂しそうだったからでしょう。 「俺たちにとって…人間の子供がいかに旨いか、お前は知らないだろう」 「え……?」 「大人の比ではない。あまりの旨さに、母の手から生まれたての赤ん坊を奪ってしまう奴までいる。近隣の住民が警戒するのも当然だ。だが…」 ぐっ、と手首を押さえる力が強くなると、その痛みに赤ずきんは驚きます。しかしもっと驚いたのは、狼の長い舌がぺろりと自分の頬を舐め上げたことです。 「人間にも好き嫌いがあるように、俺たちも個体差によって食べたい人間は違う。お前は他の狼からはあまり好まれなかった。つまり狙われなかった。俺を除いては、な」 「……僕を、食べるんですか?」 赤ずきんがそっと口を開けば、狼は若干の逡巡の後、こくりと頷きました。けれど次の言葉は、赤ずきんの予想とは少し違ったものでした。 「そうだな。……食べられれば、よかったんだが」 「あ……」 剥かれた牙は鋭く、皮膚を簡単に切り裂いてしまえそうです。赤ずきんは狼をじっと見つめ、やがてふっと体の力を抜いて目を閉じました。 「…何の真似だ」 訝しむ狼に、赤ずきんは小さく微笑みました。 「僕を食べて下さい。…あなたになら、食べられてもいいです」 赤ずきんは思いました。彼はきっと、ずっとお腹を空かせていたのです。自分がここまで大きくなるのを待っていたのでしょう。けれど彼は、突然襲いかかってくるような乱暴な狼ではありません。その性故に人間を食べることを、どこかで躊躇している。そんな優しさを持つ狼です。口にはしませんが、この様子だとおそらくおじいさんは無事でしょう。 「食べたら、ちゃんとお墓を作って…お花を摘んで、飾って下さいね」 死ぬことが怖くないとは言いません。噛み千切られる痛みは想像を絶するものでしょう。家族にだって申し訳ないと思います。 (でも、それで狼さんのお腹がいっぱいになるのなら…) 赤ずきんは眠るようにして、狼に身を委ねます。震える手をそっと赤ずきんの頬に当て──狼は、しっかりとその体を抱きしめました。 「──食べられるわけ…ないだろう」 「えっ……?」 「たとえ食料の全てが尽きても、俺はお前だけは食べない。そう…誓った」 唐突な台詞に、頭がついていきません。赤ずきんが何かを言いかけて開いた唇を、狼はゆっくりと塞いできました。 「ん……」 強引なはずなのに、しっとりと重なった唇は優しく、それでいて甘いのです。戸惑いながらも、赤ずきんは口づけに応じました。 (あれ……ドキドキする…) 角度を変えて何度も唇が触れると、心臓がとくとくと不思議な音を立てていきます。布越しに頭を撫でられ、頬がほんのりとずきんの色に染まりました。 「最初は…ただ、餌が育つのを監視していただけだった」 ぎゅっと狼の腕に抱かれれば、赤ずきんも恐る恐るその背に手をまわします。そうするのが自然であるかのように感じたのです。 「だが、次第に食料として惹かれているだけではないことに気づいた。お前の優しさや無垢な笑顔、何の穢れもない素直な心に、俺は確かに癒されていた」 だが、と狼は長い睫を伏せて言います。 「食事をしなければ当然体は弱る。何とか他の食べ物で凌いできたが、やはり人間の栄養価は高い。お前をここに誘い込み、食べなければならないと思った。…いや、違うか。結局のところ、俺はお前に判断を託す気でいた。身勝手なものだ」 「そんな…! だめですっ、僕を食べて下さい! じゃないと、狼さんが……っ」 慌てて起き上がった赤ずきんの唇にぴたりと指を当て、狼はゆっくりと首を振りました。 「いいんだ。俺は…狼の身でありながら、お前を愛していた。手にかけるような真似は今更できない。それでこの身が朽ちても、後悔しないだろう」 「狼…さん……」 赤ずきんの瞳に涙が溢れ、そっと頬を伝います。その小さな体を、狼は愛おしげに抱きしめました。 「心配するな。何も、今すぐ死ぬわけじゃない。体を酷使しなければしばらくは保つ。…だから、泣くな」 「ふぇ……」 狼の背にしっかりと手を回し、赤ずきんは言います。 「僕…あなたと一緒にいたいです。ずっと…」 ぽんぽんと優しくずきんを撫で、狼は穏やかな微笑みを浮かべました。 「いいのか? 今までの話は嘘で…今度こそ、食べられるかもしれないぞ」 「いいえ。きっと本当ですよ。だって、嘘なら──僕を食べて下さいって言った時に、思いとどまったりしないでしょう…?」 にっこりと笑いかける赤ずきんは、狼が昔から見つめ続けていた赤ずきんそのものでした。 「…そう、だな」 ちゅっと悪戯のように唇が触れ、その後何度となく繰り返されるキスに、赤ずきんは幸せな気持ちでそっと目を閉じました。 「た、助けてくれぇ! 狼がっ…ううっ」 そこから少し前のこと。小屋を追い出され、命からがら逃げてきたおじいさんは、赤ずきんのお母さんのもとにたどり着きました。おじいさんが事の顛末を涙声で話すと、お母さんはため息をついてペンを取ります。 「ったくヘタレが。わかったわよ、猟師に言っとくから」 狼の討伐を要請した手紙を鳩にくくりつけ、お母さんは鳥籠を開けます。飛び立っていった鳩を見送り、ひんひんと泣くおじいさんに呆れつつもお茶を煎れ始めました。 その頃。 森では、猟師があるうさぎを追いかけ回していました。狩りのため、ではないようです。 「待ってよハァハァ、かわいいうさぎちゃんっ」 「来るな! 気持ち悪い人間め……やっ!」 森に住むこのうさぎ、オスではありますが見た目にもかわいらしく、猟師は一目惚れしてしまったのです。先程から荒い息遣いで追いかけっこを続け、ついにうさぎを押さえ込みました。 「ハァハァ、かわいいなぁ、食べちゃいたいなぁ」 「た、食べ……っ」 格好が猟師だったこともあり、食用にされると思ったのでしょう。うさぎは瞳を潤ませ、ぷるぷると震え出しました。 「あれ、怖がってる? ハァハァ、その顔もかわいいよ」 「ち、違う! 怖くなんか…っ」 うさぎが腕の中でじたばたしていると、不意に猟師の脚をつんつんと鳩がつついてきました。 「ありゃ? なんだ鳩か。えーと…狼? ふーん」 猟師は興味なさげに手紙を読み、やがてぽいと草むらに放り投げてしまいました。 「却下。俺今忙しいんだよ、ほら帰って帰って」 鳩は困ったように鳴いた後、バサバサと羽を広げて飛び去っていきました。 「よし、邪魔は消えた。ハァハァ、お尻柔らかい…しっぽも触り心地いいなぁ」 「やぁっ、触るな変態! ひゃんっ」 「あれ、何そのかわいい声。しっぽ? しっぽだめなの?」 「うぅ……っ」 その後、うさぎは無事に猟師の家へお持ち帰りされたとか。 *** 凌かり書くとやはり多少は切なめになる…(´・ω・) うさぎはバニー的なの想像して下さい ↑main ×
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