「たっだいまー!」

勢いよくドアを開けて飛び込んできた湊は、荷物を放り出すなり抱きついてきた。ぎゅうぎゅうと絡む腕を、遥は振り解こうともがく。

「寂しかったよぉー」

「……たかが三日だろ」

すりすりと頬摺りしてくる駄犬をぺちっと叩くが、力が緩む気配はない。わざとらしくため息をついて、遥は抵抗をやめた。

ここ三日ほど、湊は研修で県外に赴いていた。詳細はよくわからないが、授業の一環で他大学の図書館へ行っていたらしい。なんでも、遥たちが通うK大学とは比べものにならないほどの蔵書量なのだとか。そんなわけで湊はやっと、約三日ぶりに恋人の待つ家へ帰ってきたのである。

「ね、遥は寂しかったー? ねぇねぇ」

「…うるさい。そんなわけあるか」

ソファに場所を移しても尚、湊は執拗に遥へ絡んでくる。研修中は自由時間のメールだけが唯一の接触であったため、触れたくて仕方ないらしい。遥がそっけなく振る舞っても、お構いなしとばかりにすんすんと髪の匂いを堪能していた。
しかし一方の遥も、決して口には出さないが、湊に会えない日々を虚しい気持ちで過ごしていたのだ。しんと静まり返った広い部屋に、自分だけがぽつんと存在している。ついさっきまではそんな埋めきれない寂しさを抱えながら、湊の帰宅を待ち望んでいた。

「あ、そうだ。……ただいま」

耳元でそっと囁かれた湊の言葉に、どきっと心臓が音を立てる。ぎゅっと胸を鷲掴まれたようだった。

「……えり」

「え、聞こえない。ちゃんと言ってよー」

なんとなく気恥ずかしくて、返事はもごもごと口の中だけで終わる。湊が口を尖らせて揺さぶってきたが、そんなのは関係ない。ふん、と遥はそっぽを向いた。



「……はぁ」

ため息がひとつ、シーツにこぼれ落ちる。それがもし可視化できるものなら、既に自分の周りが覆われてしまっているだろう。そんなことを考えて、遥は再びシーツを埋めた。
時刻は午前をまわったあたり。普段ならそろそろ寝支度をしようものだが、明日は休日なのでもう少し余暇を引き伸ばすことにした。理由はそれだけではないが。

(くそ……何なんだ)

うまくは言えないものの、体がどこかおかしい。具合が悪いというわけではなく、妙に落ち着かないのだ。シーツと自分の境目が曖昧になっているような、ふわふわとした感覚。残念ながら──と言うのも何だが、考えるまでもなく遥にはその見当がついていた。

(あいつが、さっさと寝るから…)

あれからしばらくはべったりと遥に甘えてきたのだが、やはり体のほうは疲れていたらしい。珍しく遥より先に入浴し、湊は早めにベッドに入ってしまった。先程、部屋をこっそりと覗き込んでみたところ、湊は寝息を立ててぐっすりと眠っていた。
それが仕方のないことだとわかっていても、遥は気に入らない。本当はもっともっと、寂しさを埋めるように触れてほしかった。甘い言葉を聞きながら、温もりに酔いしれていたかった。まぁ総括するとつまりは、湊とベッドで抱き合いたかったのだ。
いや、本当は理解している。湊だってきっと同じ気持ちだった。けれどそれを凌駕した疲労のおかげで、眠りを優先しただけだ。疲れが取れたら次の晩にでも、遥を誘ってくるに違いない。でも。

(今じゃないと…意味がない)

この、ぽっかりと抜けた恋しさを埋めてほしいのは今なのだ。今すぐにでも、湊が、湊の温もりが、ほしくてたまらない。肌を合わせ、唇を重ね、何も考えられないくらいめちゃくちゃに愛してほしくて。

「っ、馬鹿か……」

髪をぐしゃぐしゃとかき回し、遥は自虐的に呟く。自分がこんなにも、欲に忠実になる日が来るとは思ってもみなかった。湊に乱されていくうちに多少は気持ちが性的に上向くことはあっても、触れられる前からそんなことばかり妄想してしまうなんて。キスやセックスを覚えたての子供のようだ。

「……」

むくりと遥はベッドから身を起こす。気のせいかもしれないが、体が重い。そして熱い。じわじわと火照る全身はやがて脳の中まで麻痺していくようで、振り切ろうと髪を揺すっても消えてはくれない。半ば諦めに近い表情で、遥はゆっくりと腰を上げた。

(す、少し……くらいなら…)

僅かに開いたドアの隙間に滑り込み、膨らんだベッドへそっと近づいていく。目をつむり、すうすうと眠る湊の顔を覗き込んだ遥は、小さな声で呼びかけた。

「…みな、と」

湊はもちろん微動だにしない。熟睡具合を確認し、遥はほっと息をついた。

「ん……」

「っ!」

寝返りと共に放たれた声に、思わずびくりと肩が跳ねる。別に疚しいことをしているわけでもないのに、気が高ぶっているせいか周囲に過敏になってしまう。遥はベッドの横にしゃがみ込むと、睫毛に引っかかっている湊の前髪をさらりと横へ流してやる。穏やかな寝顔はいつもよりずっと幼く見えて、不思議と胸がときめいた。

(起きるな……)

心の中で念じてから、吐息が触れ合うくらいの距離まで顔を近づける。睫毛の本数まで数えられそうだ。ぐっと羞恥を呑み込んで、遥は唇を押しつけるようにして重ねた。すぐにぱっと離し、湊の様子を窺う。キスの前後で変わったところは見られない。よほど眠りが深いらしい。

(ま、まだ……あと少し…)

キスをすればおさまるだろうと思ったのに、欲求は鎮まるどころかどんどん膨れ上がっていく。湊に触れたい気持ちばかりが先走って、手を握ったり頬を撫でたりと、行為は徐々にエスカレートしていった。

(こんな……最低だ…)

相手が無抵抗なのをいいことに、自分の欲をぶつけてしまうなんて。自己嫌悪に陥りながらも、遥の手は留まることなく布団を剥いでいく。肌寒さを感じたのか、湊がふるりと小さく体を揺らした。

「あ……」

体の熱が中心に集まっていくのがわかり、遥は恐る恐るズボンのゴム部分を引っ張る。そこは緊張と高揚のせいで反応しかけており、僅かに下着を持ち上げていた。

(なんで…俺、ばかり…っ)

こんなことになったのは湊のせいだ。そうとでも仮定しなければやっていられない。責任転嫁もなんのそのだ。
残りの布団をめくり、遥は震える手を湊の下肢へ伸ばす。下着の中に手を滑り込ませ、まだ柔らかいそれを握ってゆっくりと外気へ晒した。

「ん……」

鼻に抜ける声が耳へ届き、驚いた遥は反射的にそれを強く握り込んでしまう。けれども湊は眉をやや寄せた程度しか反応を見せず、相変わらず起きる気配はない。
上下に扱くようにして手を動かし、遥は反対側の手でそっと自分のものを包む。ぴんと張りつめた空気の中でも、勢いを失うことなく興奮を露わにしている。罪悪感を覚えながらも、我慢の糸がぷつりと途切れた今は本能に従うしかない。はぁ、と遥は吐息をこぼし、徐々に兆しを見せる湊のものと、自らに与える快楽に身を震わせた。
やがて、ただ湊に触れているだけでは満足できなくなり、こくりと喉を鳴らす。その視線の先はもちろん、手の中で熱を増していく湊自身に向いていた。


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