「えー。これ絶対かわい…じゃないっ、あったかいって!」

「そんなの着られるか!」

遥の一喝も何のその、グレーのパーカーを握りしめた湊は尚もめげずに迫ってくる。しかしあまりのしつこさにとうとう遥から蹴り飛ばされ、床にうずくまって呻く羽目になった。

「う…なんか今…ギリギリ近くなかった? 急所はやめろよ、お互いのためにも…げふっ」

「黙れ」

何がお互いのためだ。それに関しては全く以て聞きたくなどないので今はスルーすることにした。ぐりぐりと足で背中を踏みつけ、湊が掴んでいたパーカーを引っ張り上げる。

「こんなの……ふざけてるだろ」

「ひどい、割と本気で選んできたのに。イオンで」

どこで購入したかなんてどうでもいい。とにかく、と遥はパーカーを床に放った。

「着ない。かりんにやれ」

「かりんくんじゃちょっとサイズがな。ね、せっかく遥のために買ってきたんだから少しくらい着てくれても……」

ようやく起き上がった湊はパーカーをつまんで広げ、にっこり笑ってデザインを見せてくる。それを冷ややかな目で見下ろし、遥はため息をついた。

興味を示すものといえば数学。プラス、人間らしく食と睡眠。それ以外のものとなると全く頓着のない遥はファッションについても同様である。
服を自分で買ったことなど人生では皆無、見かねた祖母か湊が買い足すことがほとんど。着こなしに至ってはセンスがあまりにひどいので、平日は毎朝湊が確認しているほどだ。つまり遥にとっての服とは、ほどほどに周囲から浮かなければだいたいどんなものでも構わない。そのくらいの存在だ。
しかしながら、そんな遥だって時には拒否することもある。主に、湊の趣味だけで選ばれた服を、だが。

「かわいいと思ったんだ…」

すっかり気を落とした様子の湊は、未練がましくパーカーを握って悲しそうに見つめている。

「最近寒いから、あったかくてすぽっと着れるようなのがほしいって言ってたじゃん。だから…」

「おかしいだろ」

あったかくてすぽっと、ならば無難にトレーナーなんかを選んで──いや、大事なのは服の種類ではなかった。目の前にあるのが普通のパーカーなら、遥もおとなしく受け取ったのだから。

「これはなんだ…」

「え、わかんない? 肉球!」

グレーの生地に大きくプリントされているのは、キュートでぷにぷにとした猫の足の裏を模したもので、女の子が見ればまず虜になりそうだ。
まぁ、これだけならなんとか見逃してやれたのに。遥は顔をしかめ、フードを指差して忌々しそうに尋ねる。

「それは……なんだ」

「何って、フードだよ。かわいい猫耳付きの」

パーカーを着てフードをすっぽり被ると、ちょうど頭の天辺を挟んだ両脇に猫の耳がくるよう縫いつけられている。耳といっても薄い布だが、目立たないわけではない。
そして何よりも気に入らないのが、

「サイズの割に……小さいだろ」

「あはは、わかった? これ女の子の服だから」

タグを見てみたところ、どう考えても表示よりは小さいように思えたのだ。それは同じサイズでも男性ではなく女性が着る服だからだった。ふつふつと込み上げる怒りを察したのか、まぁまぁ!と湊が慌ててなだめてくる。

「ね、よっぽど嫌なら無理にとは言わないからさ。ほんっと気が向いた時に部屋着にするだけでもいいし、タンスにしまっといて?」

本当はすぐにでも処分してしまいたかったが、それはあまりにももったいない。デザインはどうあれ、湊がわざわざ買ってきてくれたのだから。しぶしぶ遥は頷き、自分にはかわいすぎるパーカーを奥のほうへしまい込むことにした。



一週間後。

「寒波到来とかマジでないだろ…」

夜の九時を過ぎたあたり。バイト先から帰宅する途中の湊は、吹きつける風に体を震わせながら暗い道を歩いていた。現在、列島は猛烈な寒波に襲われているらしく、この地方で雪が降ってもおかしくないのだと天気予報は告げていた。

「あー…寒かった…」

ようやくアパートにたどり着くとほっと一息つき、解錠して玄関のドアを開く。案の定、リビングには明かりがついていた。風呂に入る時間までは、たいがい遥はこたつから離れないのだ。

「ただい……っと…」

言葉を途中で止め、湊はくすりと笑ってこたつのそばにしゃがみ込む。寝転んだ遥は首から下をとっぷりとこたつに埋め、顔だけを出して眠っていた。テーブルには眼鏡と勉強道具が散乱しており、いつもの如く数学に励んでいたのだとわかる。

「もー……こたつでは寝るなって言ってるのに」

苦笑しつつ柔らかい髪を撫で、かわいらしい寝顔に頬を緩ませる。さっきの寒さでかじかんだ手どころか、心まで温かくなっていくようだ。

「ん……?」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

うっすらと目を開けた遥は、眩しさに何度も瞬きをしてゆっくり首を振る。こたつから這い出ようとごそごそ手足を動かせば、不意に湊の瞳が見開かれた。

「遥、それ…」

「……? ……っ!」

おずおずと湊が指を差したのは遥の服だ。眠っている時はこたつで隠れていたから気づかなかったが、遥が身につけていたのは紛れもなくあの猫パーカーだった。遥は慌ててこたつ布団で肉球を隠し、湊が何か言う前にぶんぶんとかぶりを振って否定する。

「ち、がう……っ。たまたま……一番上にあったから…」

「あれ? タンスの奥の奥に詰め込んだんじゃなかったっけ?」

「っ………」

言葉に詰まった遥を抱き寄せると、遥は驚いた顔で湊の頬に手をあてる。

「つめた……っ」

「今帰ってきたばっかりだから。遥はホッカイロみたい」

ずっとこたつに入っていたおかげで、どこに触れても遥はほかほかと温かい。ぺたりと頬と頬をくっつけてみて、湊はわざとらしく笑った。

「あれー? 顔はこたつから出てたのに、なんかほっぺも熱いね。なんで?」

「し…知るか……」

恥ずかしいのか、遥は目を逸らしてぼそぼそと呟いている。湊はにんまりとしたり顔で笑みを浮かべ、ぎゅっと腕の中の遥を抱きしめた。

「ありがと。それ着てくれてよかった」

「別に……う、薄い服しか、なかっただけ…だ」

「うんうん。でもありがと……ぐふっ」

何故か鳩尾を抉られ、湊は訳もわからず混乱する。小突いた湊の腹を申し訳程度に撫で、遥は小さく声を放った。

「買ってきた奴が……礼なんか言うな…」

「……ふふ。じゃ、遥がお礼言ってくれるの?」

おそらく言わないだろうと確信を持っての言葉だったが、遥は困ったようにきゅっと眉を寄せる。やがて湊の肩に顎を乗せ、両手を背中にまわして抱きついてきた。

「…勘違いするな」

多分に恥じらいを含んだ、それこそ勘違いしたくなるような声が耳に届く。

「ただの……ね…熱伝導だ」

湊は思わず吹き出してしまいそうになるのをこらえ、そっか、と頷いてフードを手で掴む。すぽりと茶髪を覆ってやり、愛おしそうに華奢な体を抱いた。

「それじゃあ、はるにゃんにあっためてもらわなきゃ」

触れ合ったところから、愛しい人の温もりが伝わってくるのがわかる。何よりも幸せな気持ちと共に。

なんだか、今年の冬も寒くなさそうだ。こうしていれば、きっと、ずっと。



***
久々に甘いの書きたかったので。冬はやっぱりこうなるのですね(´ω`)

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