「かっわいーなぁ。ね、こっち向いて」

だらしなく緩ませた顔に、すかさず和柄の巾着が直撃する。巾着の紐を握り直した遥はふいっとそっぽを向いた。

「ふざけるな。こんな格好……」

発端は、以前のネタ会議というもの。六人で集まって夏の予定をあれこれ言い合っていた際、湊が提案したのがこれである。遥の浴衣姿が見たい、というひどく個人的な願望。
しかしこれには佳奈子もやたらと乗り気で、自分の浴衣を貸すとまで言い出した。浴衣は裾が長めにできており、服と違って身長差があっても着られるのだという。袖はまぁ、この際仕方ない。

『はいはい、ってことで脱いで!』

嬉々とした佳奈子に服を剥ぎ取られそうになり、自分で脱ぐから、と遥は必死で抵抗した。湊相手なら殴れば済むが、仮にも女の子に乱暴するわけにはいかない。
しぶしぶ袖を通し、余る裾の処理に悩んでいると、佳奈子より先に凌也がてきぱきと二本の紐で裾を合わせてくれた。だが紐はきつめに結ばなければいけないらしく、かなりウエストが締めつけられる。

『苦しい……』

『すまないが耐えてくれ。こうしないと裾がずれるからな』

浴衣(女子用ではあるが)を着るのがこんなに苦労のいることだとは、湊も遥も予想外であった。絶対腹の周りに紐の跡が残る、と愚痴った遥に、湊がちょっと申し訳なさそうな顔をした。

『ごめんな、わがまま言って。ほんの少しでいいから、我慢して?』

この、しょぼんとした湊の顔を見るとどうも嫌とは言いにくい。湊のせいでこんな目に遭っているのに、なんだかこちらのほうが自分勝手に思えてくるから不思議だ。

凌也に帯を結ばれている間、かりんはじっとその様子を眺めていた。

『先輩すごいです。女の人の着つけもできるんですね』

『ああ。昔、妹によくやっていたからな』

浴衣の持ち主である佳奈子はというと、着つけはそっちのけで小物選びに夢中になっていた。今から祭りに出向くわけでもないのに凝っている。

『うーん、髪飾りはこっちの花かな?』

『いや、待ちたまえ。桜井にはこっちの水色がだな…』

『えー、俺は赤のほうが似合うと思う』

いつの間にか翼や湊も加わり、あれやこれやと論議する始末。遥はふぅとため息をついた。男の自分に浴衣を着せて何が楽しいのだろう、と。



「ほら…やっぱり、遥は赤が似合う」

夜になり、佳奈子たちが帰ってからも何故か浴衣を脱ぐことは許されず、遥は不満げに足をばたつかせる。足はソファにぼすんと吸いこまれた。
湊がうっとりして花の髪飾りを撫でるが、遥は顔をしかめたままだ。浴衣を汚さないよう配慮したり、帯や紐に締められたりしたせいで、夕食も食べた気がしなかった。

「あ、そろそろかな」

「?」

湊は壁の時計を見やり、ベランダへのガラス戸を開ける。

「閉めろ。虫が…」

「まぁまぁ。遥もおいで」

言い終わる前に促され、遥はしぶしぶベランダに向かう。時刻は午後八時に近く、日の長い夏の外も既に暗い。

「はい、座って」

部屋から持ってきた椅子をベランダに置き、湊は遥の肩に手をやってすとんと座らせる。次いで自分も隣の椅子に腰掛けた。しかしながら湊が何をしたいのか、遥にはさっぱりわからない。

「別に……涼しくもないぞ」

夜風に当たって涼むのは風流だが、あいにく今は無風で、エアコンの効いたリビングのほうがよほど快適だ。違うよ、と湊は首を振って笑った。

「もっといいものだって。あっち見てて」

そう言って湊は南の空を指差す。こっそりため息をつきながら言われるままに空を見つめていると、地上から光の筋が上がってくるのがわかった。

「え……」

それは空まで上り、轟音と共に大輪の花を咲かせる。暗闇が一瞬で光に変わった。

「これ……」

花火か。
そう言ったものの、次々と空へ上がってくるおかげで音が鳴り響き、遥の声はかき消される。

「大学で、打ち上げ花火のイベントがあったらしくてさ。だから今日、浴衣着せてほしいってルシたちにお願いしたわけ」

音に負けないよう、湊は耳元で囁いてくる。横目で顔を見てみるとやはり嬉しそうで、なんだかこっちこそ照れてしまう。その視線に気づいたのか、湊がにこりと微笑んだ。

「遥と一緒に見たかったんだ」

(こいつ…馬鹿だろ……)

頬が赤くなるのは花火に照らされたからだと思いたい。遥が何も言えずに膝の上で手を握りしめていると、あ、と湊がガラス戸に手をかける。

「飲み物とか持ってくるな。ちょっと待ってて」

「あ……」

待て、と言う前に反射的に遥の手が動いた。ぎゅっとシャツの裾を掴まれた湊は、きょとんとして首を捻る。

「どうかした?」

「み……見たかったなら…ちゃんと見ればいい…だろ」

隣、で。
花火の音にかき消されるつもりで告げたのに、この時ばかりは少々の間が空いてしまい、遥はかぁっと耳まで赤らめた。湊と同じくらい、花火は意地悪だ。

「もう……かわいいこと言っちゃって」

「ちょ……っ」

椅子へ座り直した湊に肩を抱かれ、遥はもがいて抵抗を試みるが、それも封じ込めるように抱きしめられてしまった。

「おい! 花火っ……」

遥に抱きついた格好なら当然、花火には背を向けることになる。色とりどりの光が弾けていくのを湊の肩越しに見つつ、遥はぐいっと湊の胸を押した。花火が見たいと言っていたのは湊のほうではないか。

「離れたくないんだもん」

「だもんって…」

お前は子供か。
しかし依然離れない湊に、遥はやむを得ず抵抗の手を緩める。

「ね、今度のお祭りはこの格好で行って?」

「顔見知りに会ったら……」

「親戚、とかってまたごまかしちゃえばいい」

「……はぁ」

その辺りは相変わらず楽天的というかなんというか。だが、否定しないところを見ると遥も了承してくれたようだ。

「あっ、その時は二人で行くんだからな?」

「……ふん」

念を押してくる湊から顔を背け、照れた表情を少しでも隠そうとする。しかしすぐに、湊の声によって戻される羽目になった。

「見て見て! ほらっ」

「ちょ……っ」

桃色の光が夜空に浮かぶ。その形を目にするなり、遥は絶句した。

「これ一緒に見ると、相思相愛になれるっていうジンクスがあるんだってさ」

かわいらしいハートを象った花火を指差し、湊が満足げに笑う。思わず遥は立ち上がった。

「そ、そんな……信じるほうがおかしい……」

相思相愛、なんて単語を聞いただけでも恥ずかしい。浴衣をきつく握りしめていると、ふと湊も腰を上げた。

「いいじゃん。遥とそうなれるなら、俺は何にでも祈るよ」

「ばっ……」

反論しようと口を開いた矢先、ぽんと両肩に手を置かれる。湊は満面の笑みを浮かべた。

「ついでに愛でも誓っとこうか」

「ん……」

そのまま近づいてきた唇が重なり、遥はぎゅっと目をつむる。花火はハートがラストだったのか、辺りはもう静まり返っていた。

(くそ……こいつ…)

頭がくらくらしてくるのは酸欠のせいだけではないだろう。少しずつずらしながら尚も触れてくる感触に、ここが屋外だということも忘れてつい酔いしれてしまう。
唇が離された頃にはくたりと湊にもたれており、遥は肩で息をしていた。

「わっ……」

だがいきなりの浮遊感に目を見開けば、ねぇ、と湊がおずおず尋ねてくる。横抱きにされたのだとすぐに認識し、遥は続きを促した。

「きっちりやってくれた守山には悪いけどさ、……そろそろ帯、ほどかせてもらってもいいかな?」

俺の部屋でね?と囁くように付け足され、先程の余韻がずくりと呼び起こされる。離れがたいのは遥だって同じだ。

「好きに……しろ」

そう答える以外に何が言えよう。相変わらずかわいげのない返事だと我ながら思うが、それでも湊は嬉しそうに頷くと、遥を抱いたまま自室へと向かった。

「じゃ、好きにさせてもらおっと」

鼻歌でも歌い出しかねないくらい上機嫌な湊を見て、不思議と温かい気持ちになるのはきっと──恋に落ちる日はそう遠くないと、告げているのかもしれない。

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