それから四日ほどが経った。あいつは相変わらず、朝と放課後は校門で待ち伏せている。だから二日目からはこっそり裏門から出入りしてやった。
遥も相当気が滅入ってるらしく、今朝も学校に行きたくないとごねていた。綾さんには心配かけたくないのか、俺にしか愚痴はこぼさないけど。

(さすがに潮時だな)

これ以上、遥の精神に負担をかけるのはやめてほしい。明日にでも、あの三年生のところへ俺ひとりで乗り込んでみよう。頭悪そうだから(成績云々ではなく)、ちょっとした脅しくらいはかけられるはずだ。

「お、小宮! いいところに来たな」

「ん、何ですか? 俺、みんなの分の課題出しに来たんですけど」

両手に抱えたワークブックを担任の机にドンと置いて、声の主を振り返る。バレー部顧問の福原先生だ。

「今、ちょっと手が離せなくてなぁ。代わりに、四階の特別教室の窓全部閉めてこい」

「はぁ? 何でですか」

遥を待たせていると思うと、すぐにでも迎えに行きたいのに。福原先生は快活そうに笑った。

「悪い悪い。さっきそこで掃除の監督してて、換気のためにしばらく開けといたんだが閉め忘れてな。まさか生徒に責任なすりつけるわけにいかないだろ」

「なすりつけてるじゃないですか」

他の生徒はともかく、俺はパシってもいいってことなのか。頼むよー、といい年したおっさんに甘えられ、仕方なく頷いた。

「あーもう、わかりましたよ。ったく……」

福原先生に見送られながら職員室を出て、俺は階段を上っていく。



(あ……!)

放課になってもなかなか湊が迎えに来ないことを不思議に思い、遥は湊のクラスを覗きに来た。しかし湊はおらず、やれやれと教室を出たその時。職員室から出てきた湊が、階段を上るのが見えたのだ。
遥は思わずその後を追って階段へ走っていく。だが湊のスピードには追いつけなかったようで、三階へ着いた頃には姿を見失ってしまった。

(四階か……?)

「あぁ! 遥くんだ…」

猫なで声に振り向けば、あの三年生がこちらへ近づいてくるところだった。遥は後ずさるが、すかさず手首を掴まれてしまう。

「こんなところで会えるなんて……わざわざ三年の教室に来てくれたんだね」

確かに三階は三年生の教室と特別教室が混在した階だ。すぐそばには講義室もある。

「ち、ちがっ…います、やっ、離して……っ」

必死に手を剥がそうとしてみるが、三年生は頬を染めるなり遥をどこかへ引きずっていく。遥はいやいやと頭を振った。カツン、と床に何かが落ちた音がしたがそれどころではない。

「僕、もう限界だよ。遥くんがかわいくて欲しくて、たまらないから」

「い……っ」

講義室のドアを開けるなり体を投げ出され、遥は床に倒れ付す。ここはどうやら講義室とは名ばかりの物置らしく、そこらに段ボールが散らかっていた。

「んぐっ!」

段ボールのひとつからガムテープを取り出した三年生は、遥の口を塞ぐようにそれをべたりと貼り付ける。動揺している間に両手首もぐるぐる巻きにされ、さーっと血の気が失せていく。

「キスできないのは残念だけど、邪魔されたくないから……ね」

ガムテープを床に放り、遥を組み敷いて荒い息をこぼす。遥の幼い知識ではこの先何をされるのか具体的なことは知れなかったが、とにかく身の危険が迫っていることは嫌でもわかった。

「んん! んっ」

手足をばたつかせても、手は拘束され足は体重をかけられているのだから大した効力はない。ますます息が荒くなった三年生は学生服に手を伸ばし、ボタンを上から外していく。

(嫌だ……っ!)

恐怖でだんだんと体も動かなくなってくる。遥はきつく目をつむり、心の中で助けを呼んだ。



「あれ?」

四階の戸締まりを終えて三階まで下った俺は、床に落ちている青いものを拾った。これは生徒手帳だ。

「まさか…」

ページを捲って名前の欄を見ると、やっぱり遥のものだった。そうだ、律儀に生徒手帳を持ち歩く生徒なんて遥くらいだろう。

「何でこんなところに……?」

四階には誰もいなかったし、落ちた場所からして四階への階段には行っていない。そもそも、手帳なんか落としたらすぐ気づきそうなものだ。

(拾う余裕がなかったとか…?)

『……っ』

俺ははっと顔を上げる。今、どこかで息を詰めたような声がした。といっても物凄く小さな声だ。

『んっ……』

今度ははっきり聞こえる。声を辿り、講義室と書かれた教室のドアをガラッと開けた。

「お、お前!」

驚嘆した声を上げたのはあの三年。その下でもがいているのは、学生服の前が乱された遥だった。

「んん!」

怯えきった遥を見て、カッとなったとか、頭に血が上ったとか。こういう感覚なんだな、って片隅で妙に冷静なことを考えながら、俺は床を蹴った。
鈍い音の後、三年が壁に叩きつけられてぐったりする。それでも体の熱は収まらなくて、胸ぐらを掴んで更に拳を振り上げたら、奴が首を振って泣き叫んだ。

「や、やめろ! これは立派な暴力だぞ! 僕の家の力にかかれば、お前なんて退学にできるんだ!」

「ああ、そう」

何を言われても、どのみち今は耳になんか入ってこない。吐き捨てるようにそう言って、もう一度殴りつけようとした。なのに。

「……離せよ。じゃなきゃ俺の気が済まない」

俺の右手を押さえた手はガムテープでぐるりと巻いてあって、それを見ただけでも怒りが増幅する。できる限りの冷静な声を絞り出しても、遥は離してくれない。

「んん…」

口に貼られたガムテープをゆっくり剥がしてやると、遥は今にも泣きそうな顔で俺の手を掴み直した。

「お前まで…罰なんか受けなくていい……」

「………」

「そんな奴に……構うことないだろ。殴る価値もない、から……」

遥だってこいつをめちゃくちゃにしたいのに、必死で止めてくれるのは俺のためなんだろう。実際、こいつをこれ以上殴ったら間違いなく停学は食らう。

「……わかった」

右手からふっと力を抜くと、遥はほっとして目を伏せた。

「でも次やったら歯全部叩き折るまで殴る。いいな」

殴られなくて安心したそいつへ低く唸るように告げると、またぶるぶると震え出す。左手も離せば、慌てて教室から逃げていった。

「大丈夫か?」

手のガムテープも剥がし、シャツと学ランのボタンも留めてやる。遥は小さく頷いた。

「ありがとな。止めてくんなかったら俺……血反吐出るまで殴ってた」

きれいなきれいな遥があんな奴に汚されそうになったんだと思うと腸が煮えくり返る。少し間を空けて、気がかりだったことを尋ねてみた。

「あのさ。……あーいう奴ばっかりじゃないけど、たぶん…これからも、お前のこと好きっていう奴出てくると思う。それでも……男ならやっぱ、嫌だよな?」

俺は同性愛者じゃない。でも俺から見ても魅力があるって思うなら、そういう人はもっと惹かれるはずだ。
今みたいなことがトラウマになったら、遥はこの先恋愛に対してもっと後ろ向きになってしまうから。そして──俺の想いも届かないだろう。一生。

「……人による」

「えっ」

意外な答えだった。目を見開いた俺に、遥は続ける。

「別に、そこまで偏見があるわけじゃない。たまたま……あんな奴だから嫌なだけ…で」

「そう……なのか」

遥の恋愛観は初めて聞いた。確かに、男が嫌なら今俺が服に触れたことも抵抗しそうなものだ。

「そっか…」

胸の奥にすとんとパーツが埋まったような感覚だ。杞憂に過ぎなかったのなら、いいけど。

「帰るぞ」

「…うん」



その夜、遥から電話がきた。俺も遥もまだ携帯は持っていなかったから、固定電話にだ。

「にーちゃんっ」

「あっ、だめだろ電話取っちゃ。お前まだ小さいんだから、電話かけてきた人困るじゃん」

軽く怒って受話器を耳にあて、怖い人じゃないようにと祈りながら謝る。

「すみません。子供がいたずらをし」

『言い忘れた。さっきは…その…いろいろ、世話になった。あ…ありが、』

ぶつっ。つー、つー。

「は!? ちょっ…」

一瞬、イタ電か何かと思った。そうじゃないことは、紙飛行機を折っている優太の鼻歌が証明している。

「にーちゃんの、ともだちの、はーるちゃんっ」


***
あれっ優太落ちってなんだw
なんかもう、あの場の勢いで湊も告ればよかっ(ry


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