・湊遥が中学二年=not恋人
・湊視点


「あ、先輩! 俺片付けますよ!」

車輪がついたボールのカゴをガラガラと押して倉庫に戻そうとしていると、後輩の佐藤が駆け寄ってくる。部活の中では一番気配りができる奴だ。

「そっか? 大丈夫だぞ、お前着替えもまだだろ」

汗だくの体操着なんか早く脱いでしまいたいだろうに、佐藤はまだ着たままだ。気持ちだけ受け取っておこう、と俺が再びカゴに手をかければ、佐藤は体育館の入口を指差した。

「外で待ってた人、先輩の友達だと思いますよ。あとは片付けだけですから、行ってあげて下さい」

「友達?」

首を捻りながらも佐藤にカゴを任せ、俺は入口まで走って向かう。開いた扉の外側を覗くと、闇夜に紛れた茶色の髪が飛び込んできた。

「へっ? 何でお前いんの?」

帰り支度をすっかり済ませた遥が、石段にちょこんと腰掛けていた。仰天する俺を見上げて、遥は口を開く。

「用があったから待っていた。まだ帰れないのか」

「あ、ちょい待って。荷物取ってくるから」

体育館のステージに積まれていた鞄とサブバッグをひっつかみ、仲間や後輩に声をかける。すぐに戻ると、遥も石段から腰を上げた。



「で? 用事って?」

部活を終えた時は既に六時半を過ぎていたから、辺りはもう暗い。街灯に照らされた帰り道を歩きながら俺は尋ねた。

「………」

遥は黒い学生服の裾をぎゅっと握って、困った顔をしている。
俺は普段部活があるから、遥と一緒に帰ることはまれだ。だから俺をわざわざ待っていたことに驚いたんだけれど、明日に延ばせないってことはよっぽど大事な用事なんだろう。遥は他人に頼ることを嫌うのに、それでも俺を巻き込もうとしているなら、やっぱりちょっとしたことじゃないはずだ。
そうこうするうちに遥の家の前まで来てしまった。表札を眺めて僅かに逡巡した後、遥は小さな声で俺を促した。

「上がれ」

「えっ、今から? まぁ……綾さんが迷惑じゃないならいーけど」

玄関で俺が靴を脱いで一足先に階段を上った間、遥は綾さんに許可を取りに行ったらしい。部屋に来た時は飲み物とおやつの乗った盆を携えていた。

相変わらず物が少ない部屋の隅っこから折り畳みのテーブルを出し、その上に盆を乗せる。少し経ってから、遥が意を決したように話し始めた。

「さっき……告白を、された」

「ぶっ」

ストローをくわえようとしていた俺は思わず吹き出す。まだ飲んでいなくてよかった。

「告白!? 好き……って?」

目を剥いた俺にちょっと後ずさり、遥はこくりと頷く。眉を寄せてしかめ面をしていた。

「なんか嫌だったのか? あんまりかわいい子じゃなかったとか」

遥は顔がきれいだから初めて見る人には声をかけられるほうだけど、愛想があまりにないので女の子は寄ってこない。今まで告白されたことがほとんどなかったのもそのせいだ。
遥のことだから、告白自体が鬱陶しかったのかと俺は思ったんだけど。

「……男に言われたら気持ち悪い」

「…………はい?」

吐き捨てるような言葉に、俺は耳を疑う。しばしの沈黙の後、遥がぽつぽつと語っていく。

「放課後…秋葉原にいそうなキモい奴に呼び出された。好きだの付き合えだの……断ったのにしつこかった。吐き気がする…」

「うわぁ……」

秋葉原はあくまで例えであってオタクがみんなそういうわけじゃないけど、イメージはだいたい伝わった。そしてここまで殺気剥き出しの遥も久々に見た。
俺だって遥に片思いしてるんだから、そいつのことをどうこう言えた立場じゃない。でも、"やっぱり遥は男なんか嫌だよな"と自虐するより先に"そんな奴に好かれてかわいそう"という同情の念が湧いてしまった。

「ま、まぁ……気にすんなよ。生きてりゃそういうのもあるだろ」

俺は絶対そんな目に遭いたくないけどな。

「………」

あれ、黙っちゃったか。まだ心配事があるような顔をしてる。

「どうした?」

「……また、近寄ってくる気がする」

「振っても、諦めないで追い回してくるってこと?」

「………ん」

頷いた遥は膝を抱えて体操座りをする。色素の薄い瞳がちらちらと不安そうに揺れた。

「確かに、そういう奴って何考え出すかわかんないからな。昼間は授業あるから大丈夫だけど……朝と放課後は一緒に行動しよーぜ。あんましつこいなら、俺が直接言ってやるから」

「お前、部活……」

顔を上げた遥に、俺はにっこりと笑う。

「先週末に大会終わって、今日からはしばらく自主練なんだ」

だから多少休んでも支障はないと言うと、遥はほっとしたように息をついた。

「なんかあったらすぐ言えよ。あと、学校の中でもひとりでふらふらすんな」

いつもなら命令口調で言われるとすぐに反発する遥も、この時ばかりはむっとしただけでおとなしく了承した。



翌朝。眠い目を擦る遥と共に校門をくぐると、すかさず駆け寄ってきた奴がいた。名札を見るに、三年の先輩らしい。遥は顔をしかめ、俺の陰に隠れた。

「お、おはよう遥くん。今日もかわいいね」

太めの体がぼよんと揺れ、荒い息と共に放たれる馴れ馴れしい声。これはますます遥に同情する。

「名前……やめて下さい…」

俺の肘あたりをきゅっと掴んで、遥が小さな声で抵抗を試みる。呼び方どころか、本当は消えろと言いたいんだろうな。

「え、ああ、ごめん。でもかわいい名前だし、それに」

「あの、すみません。こいつ日直なんで失礼しますっ」

こういうのはさっさと切り上げるに限る。俺は軽く頭を下げて遥の腕を掴み、昇降口まで駆け出した。下駄箱に着くと、走ったせいか遥は少し咳き込んでいた。

「あいつか?」

「けほっ……ん」

口を手で押さえつつ、遥は頭を縦に振る。上履きに履き替えてから階段を上り、遥のクラスにたどり着いた。

「昼は迎えに来るからここにいろよ。じゃ、またな」

不安げな瞳がじっとこっちを見つめてくる。そりゃ、できるならずっと隣にいてやりたいけど、クラスが違うんだから無理だ。安心させるように髪をくしゃりと掴んで、俺は自分の教室に向かう。

(不謹慎だけど、さっきの……嬉しかったな)

廊下を進みながら、校門で肘の辺りを遥に掴まれたことを思い出す。本人にしてみれば大した意図はないだろうけど、なんだか頼られてるみたいで少し安心した。俺の陰に隠れたのも、あいつなりに助けを求めていたんだろうから。

「何もなきゃいいけど…」

ただの好意を遥に向けてくるだけならまだ安全だ。けれどさっきの様子じゃ自分に都合のいいようにしか解釈しなさそうだし、ああいうタイプはキレるととんでもないことをやらかしそうな気がする。
遥も、あまりしっかりしているとは言えないほうだ。力もないし、いざという時に自分の身を守れるのか心配で仕方ない。

(俺がしっかり守らないと)

俺は心の中で堅く誓った。
友達じゃない。愛する人を守るんだ。


↑main
×
- ナノ -