───どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。 「っ……もういらないって言ってるだろ」 目の前の皿をぐい、と押しやり、遥はそっぽを向く。皿の上の料理は既に冷め、クリームソースの表面が固まっている。湊は少しばかりため息をついて遥をひたりと見据えた。 「また夕飯前に買い食いでもしたのか?」 「うるさい。そんなの俺の勝手だ」 大学の四限が終わるのは夕方の四時だ。食についてはあまり欲のない遥でも小腹が空く時間帯であり、構内にコンビニという便利屋があれば立ち寄ってしまうのも仕方のないこと。それは湊にもよくわかる。何せ彼は、朝食と昼食の間に必ずおにぎりやパン類を摂取しているのだから。 しかし湊が責めているのはそこではなかった。 「買い食いくらい、好きにしたらいいと思う。別に俺が咎めることでもないし。でもこれは」 これ、とパスタが大量に残った皿を指差して湊が続ける。 「多いわけじゃない。いつもの、ごく普通の遥の量だ。それに昨日、遥が食べたいって言ったから作ったのに」 少々落ち込んだ様子の湊を睨み、遥はテーブルを叩いた。 「そういう…恩着せがましく言うのやめろ。作れとは言ってない」 湊が口を開く前に、遥はさっさと腰を上げてリビングを出て行く。足早に自室を目指し、ベッドへ倒れ込むようにして横になった。 苛立つ気持ちが抑えられない。湊にではなく、自分に猛烈に腹が立っていた。 (何でああいうことしか言えないんだ……!) 客観的に見れば当然、主観的に見ても湊は何も悪くない。空腹で待つ遥のために、バイトから帰ってくるなり夕飯の支度をしていた。しかも、昨夜唐突に遥が食べたいと言い出したクリームパスタをだ。それを残されたら文句のひとつも言いたくなるだろう。 (コンビニ寄らないほうがよかったか……) 夕食はおそらく夜七時半前後と予想し、それまでには消化するだろうと踏んでサンドイッチを買ったのだ。 コンビニではよくある、卵と野菜とツナの三種類のサンドイッチ。小腹にはちょうどいいかと思いきや、遥の胃腸は本人が思う以上に働きが鈍いのか、はたまたサンドイッチがヘビーだったのか。結局湊がクリームパスタを作り終えても、胃が空腹を告げることはなかった。 遥自身、誤算だったとはいえ湊には申し訳ないと思っている。食べ物を粗末にするのは気が引けたし、何より湊をがっかりさせるのは遥もつらい。 「はぁ……」 間食して悪かったとあの場で素直に謝ることができていたら、自分も湊もどれだけすっきりしたか。遥だって謝れるものならとっくにそうしているが、山のように高いプライドを折るにはまだ時間が要る。それまではああして、見苦しくてかわいくもない台詞をつい飛ばしてしまう。悪い癖だとわかっていても、なかなか抜けてはくれなかった。 (……やっぱり謝るか) 風呂から上がり、寝る支度を整えた零時前。なだめすかし、おだて、時には叱咤をぶつけてようやくプライドが折れてくれた。悩んだ末にベッドから腰を浮かせた遥は、決意が揺らがないうちに自室を出る。たった数歩先のドアに近寄り、取っ手を掴んでゆっくりと押していく。 (え?) 部屋の中は真っ暗だった。いつもなら湊は二時すぎまで起きているため、遥より先に寝てしまうことは稀だ。 そうっとベッドまで近づけば、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら本当に眠っているらしい。 (それだけ疲れてたのか……) 朝から夕方まで大学、その後はバイトへ向かい、休む間もなく食事を作る。食器の片づけも風呂の用意も湊がしていることだ。疲れないほうがおかしい。その上、自分の我が侭まで聞いていたら苛々するのは当たり前だろう。 なのに湊は怒鳴ることもしないし、一方的に遥が怒って出ていった後もたいがいはいつも通りに接して、自分に非がなくても先に謝ってくれる。甘やかされている自覚がないわけではなかったが、だからといってその立場に胡座をかくのはあまりに酷だ。 「………ごめん…」 ベッドの横にそっとしゃがみこんで、湊の横顔を見つめて呟く。依然瞼は下りたままだが、わざわざ起こすのは悪い気がした。胸のつかえが取れればそれでいいのだ。 「……嫌いなわけじゃない。料理も……お前も…」 頬が燃えるように熱くなる。遥はぶんぶんとかぶりを振り、瞼にかかりそうな湊の前髪に手を伸ばす。遥と違って柔らかくはないが、さらさらと滑る黒髪の感触が心地いい。 触れられることはあっても、触れることはめったにないので新鮮だ。しばらくそうしていると、んん、と湊が寝返りを打って薄く目を開ける。ぎょっとした遥は慌てて手を引っ込めた。 「え、遥っ!?」 しかし湊はもっと驚いたようで、飛び起きるなり遥を凝視する。遥はしどろもどろになりながら弁解するほかない。 「ち、違う! 別に、そんなっ……疚しい理由で来たわけじゃ…っ」 湊の眠りが浅いのは知っていたものの、まさか髪を撫でただけで覚醒するとは思ってもみなかった。 だが言い訳をすればするほど、かえって怪しく思われそうだ。湊もぱちりと目を瞬かせ、やがておずおずと尋ねてきた。 「えー……と、夜這い?」 「絶対に違う!」 頬を真っ赤に染めて叫んでもさほど説得力はないだろうが、遥の必死さに面食らった湊は一応信じてくれた。 「そ、そっか。……で? 何か用だった?」 「それは……」 言うなら今しかない。もともとそのつもりで部屋を訪れたのだから、何を告げるべきかは考えてある。 「その──間食、して悪かった……。それとさっきは…言い過ぎた、って……」 気まずそうに遥が切り出すと、湊はくすくすと笑う。高いプライドを折ってまで謝りに来たのに、と遥は顔をしかめたが、湊が髪を撫でてきたのでそっちに気を取られた。 「気にしてないよ。俺も押しつけがましく言ってごめんな」 仲直りをする時のこういう雰囲気は嫌いではないものの、どうも照れくさくて苦手だ。こくりと頷けば、赤い頬に口づけられた。 「んー、遥はもう寝る時間だな。俺も眠いし……おいで?」 サイドボードの時計を見やった湊が、自らの布団をぺらりと捲る。照れを悟られまいと、遥はさっさと潜り込んだ。布団を額あたりまで被って顔を隠したのに、湊にあっさり捲られて瞳がかち合ってしまう。 「かーわい」 「……るさい」 「照れてるんだ?」 「………ふん」 ケンカをすると、いつも湊が先に謝ってくれていた。安堵した反面、どうして自分から謝ることができないんだと自己嫌悪したことが何度もある。 (一応……成長したってことなのか) 妙にすっきりした気分だ。苛まれていた胸のつかえももう消えている。 そのことに少しばかり驚いてから、遥はほっと息をついた。 「あ、笑ってる! 何でっ?」 「教えない」 悔しいけれど、やっぱり湊は自分にとってかけがえのない存在らしい。首を捻る湊をよそに、遥は身を寄せて目を閉じた。 *** ありがちでベタなものにしてみました(´∀`) ごめん、を先に言うのはなかなか難しいですが、湊の隣にいれば変わっていけるんだよ、って感じです ↑main ×
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