「へ? 何が? ああ、守山は俺からもらっても微妙だろうし。それに遥は明日だからな」

よしよしと髪を撫でてきた手を鬱陶しげに払い、遥はぷいと視線を逸らす。どうやら照れ隠し故の行動らしい。翼がなおもぎゃんぎゃんと騒いだ。

「私に! 私にはないのかっ」

「あんたいらないじゃん。トラック一台分もくるから困る、とか前に言ってたし」

「ええっ! 凄いです!」

湊作のチョコブラウニーを幸せそうに口に運び、佳奈子はここぞとばかりに揶揄を告げてやった。棒つきの丸いチョコをパリパリ食べていたかりんは目を丸くする。

「そ…そんなこと言ったって……仲間外れは…」

指先をつつき合わせた翼のごにょごにょした呟きに、湊はどうでもよさげにキッチンを振り返った。

「あーはいはい、ちゃんとあるって。冷蔵庫に緑のやつあるから取ってこい。間違えて遥のやつ食ったらそこの窓から突き落とす」

「どんな脅しだ!」

とはいえチョコはほしいのか、翼は冷蔵庫に駆け寄り緑の包みを引っ張り出す。幸い、遥のものらしいチョコは湊の汚い字で"はるかの"と書かれたメモが貼ってあったのでわかりやすかった。

「ね、遥ちゃんは小宮にあげないの?」

ふと気になったのか、佳奈子は遥の顔を覗き込む。遥は困ったように緩く首を振って黙ってしまった。

「去年初めてもらったんだ」

代わりに湊が、皆に飲み物を淹れつつ答える。かりんが驚嘆の声を漏らした。

「えっ! じゃあその前の年までは……」

「スルーだね。俺はあげてたけどさ。付き合ってから初めてのバレンタインなんて、こんなのいるか!って川に投げられてさぁ」

「桜井さんっ!」

とんでもないとばかりにかりんが非難すると、遥は気まずそうに身を縮こまらせる。いいんだ、と湊は小さく笑った。

「次の年からはちゃんと受け取ってくれたし」

「いいじゃないか。去年もらったのなら」

どう見ても手抜き感がひしひしと伝わってくる、型に流し込んだだけのチョコレートを不満げに見つめ、翼はぼやいた。

「七十八円の板チョコだぞ。ま、それでも嬉しかったけど」

それを聞いたかりんはまだ何か言いたげだったが、佳奈子がにやっと口元を緩めて意味ありげに頷く。かりんと遥は首を捻ったが、すぐにその意味を知ることになった。



「いい作戦があるのよ」

それからちょっとした頃、湊がバイトに出かけたのを見計らって佳奈子は他の三人に笑みを向けた。

「遥ちゃん。せっかくだし、今年はチョコ作って渡そうよ」

「そっ……」

そんなこと、と言おうとしたがうまく口が動かず、遥は目を見開いたまま呆然としている。かりんはこくこくと乗り気な様子で頷いた。

「わぁ、いいですね。小宮さん、きっと凄く喜んでくれますよ」

「い、いや……その」

湊に手作りのチョコをあげるなんて、考えただけで頭の中が沸騰しそうだ。さっきまでは佳奈子やかりんが一生懸命にチョコ作りをしているところを平然と見ていたのに、いざ自分がやるとなると羞恥と不安がこみ上げてくる。ただでさえ料理は苦手分野の一つなのだ。
力なくゆるゆると首を振る遥を、佳奈子が言葉で後押しする。

「大丈夫! あたしと夏風じゃ何もできないけど、かりんちゃんに教えてもらえば絶対安心よ。ちょっと失敗したら夏風に食べさせればいいし」

「ちょっと待てぇぇ! 私は残飯処理では」

「いらないの? 一応、遥ちゃんが作ったチョコなのに」

佳奈子が反論を遮って餌をちらつかせれば、翼はぐっと言葉に詰まる。味の是非はどうあれ、遥の手作りというプレミアが効いているらしい。

「小宮は夜までバイトでしょ? 今から作って固めれば間に合うわ。あとはラッピングして明日まで隠しとけばいいしさ」

「そうですね。ずっと冷蔵庫に入れておくとバレちゃいますし。今の季節なら室温でもそうそう溶けないと思いますよ」

佳奈子とかりんの間で、遥のチョコ作り作戦の話がどんどん進んでいく。まだ羞恥が拭えない遥は、渡す場面をあれこれとシミュレーションしては床で悶絶していた。

実際、遥も今年のバレンタインについては悩んでいたところだった。去年は何とか自分を奮い立たせて板チョコを買ったが(バレンタイン用のかわいいチョコを買う勇気はなかった)、それによって今年のハードルを上げることになってしまったのだ。また板チョコを買うか、かわいいチョコを買うか、もしくは知らないふりを決め込むか、ここ数日間悩んだものの結論は見つからなかった。

(うまくできるか……?)

難易度の高いケーキだったこともあるだろうが、かりんはともかくさっきの佳奈子の慌てぶりはなかなかのものだった。彼女でさえああなるのに、料理に不慣れな自分が作ってうまくいくかどうかは全く自信がない。

「桜井さん」

がっくりと下を向いてしまった遥に、かりんがそっと声をかける。

「料理は才能なんていらないんですよ。僕だって少し前までは全然できなくて、先輩がこちらにひとりで暮らしてから遊びに来るようになって…それで、少しでもお手伝いがしたくて頑張ったんです。だから、心を込めて作ればきっとおいしくなりますよ。僕にできることがあったら何でも言って下さい」

「……」

幼い外見でも、かりんはきちんと大人なのだと思い知らされる。そして、こんな時に礼の一つも言えない自分の子供っぽさも。
こくり、と遥は静かに頷いた。

「よっし。あたしももちろん手伝うよ。あっ、こっちのやつ先にラッピングしとくね」

「はい、お願いします」

無事に焼けたケーキは十分に冷めている。型からそっと外し、佳奈子は八等分に切り分けた。

「さて、まずは湯煎ですね。チョコを細かく割って下さい」

ボウルとチョコレートを差し出され、遥はおずおずと手を伸ばす。ぱきぱきとチョコレートを割っている間に、かりんが湯を温めてくれた。

「ねぇ、かりんちゃん。型抜きのやつ作るんだよね?」

「ええ、そうですね。溶かして固めるのが簡単ですし、時間的にも安全ですから」

じゃあさ、と佳奈子がさっき使った調理器具をがさがさとあさる。

「やっぱこれだよね! ハート!」

「っ! ちょっ……」

薄々そんな気はしていたが、改めてハートの型を見てみると抑えていた恥ずかしさがぶわりと戻ってくる。かりんがにっこりと笑った。

「はい、もちろん」

(何が"もちろん"だ……あ、でも)

ハート型なら、遥が何か言わずとも湊に渡すだけで思いを伝えることができる。ハート以外のチョコレートを渡して、気恥ずかしさ故に素直じゃない言葉を口にするよりはいくらかましかもしれない。まぁ、ラッピングを開けられる際の恥ずかしさは倍増するだろうが。

「ハートか! な、何なら私にくれてもいいのだぞ?」

「言ったでしょ。あんたが食べるのは失敗したやつ。ま、型抜きなら確率はほぼゼロだろうけど」

佳奈子が勝ち誇ったような表情を浮かべ、翼はその場で地団太を踏んだ。



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