九月もあと一週間を残し、長い長い夏休みもそろそろ終わりを告げようかといったところ。カレンダーを眺め、湊は小さくため息をついた。

「早かったなぁ、ほんと」

湊にとっては二か月があっという間だったようで、残り一週間を名残惜しげに指でなぞっている。数字の下の欄にはバイトのシフトがちょこちょこと書き込まれていた。

「せっかく二か月もあったなら、どっか行けばよかったよな」

「帰省しただろ」

相変わらずテーブルで教科書と向き合いながら、遥が静かに告げる。そうじゃなくて!と湊は地団太を踏んだ。

「もっとこう、どっか遊びに行ったりとか! 遠出すればよかったなって」

「……ふうん」

出不精でインドアな遥にしてみれば、わざわざ夏の暑い日にどこぞへ足を運ぶことこそ面倒だ。それならエアコンの効いたリビングでごろごろしていたほうがいい。実際、夏休みのうち何度かはまるきり外に出ない日もあった。

「ふうんって……遥は引きこもり過ぎ。冷房病になりかけたし」

エアコンで体を冷やし過ぎて、遥の具合が悪くなったことも今では笑い話だ。遥はきゅっと眉を寄せた。

「うるさい。……休みだってまだ終わったわけじゃないだろ。一週間あるならどこでも行ってくればいい」

カレンダーから察するに、バイトのシフトもそこまできついわけではない。一週間もあればいくらかは遊べるだろうと思ってのことだったが、湊はくすくすと笑った。

「一週間もほっといたら、遥が泣くのは目に見えてるし」

「そんなわけないっ」

からかうような口調につい反応してしまい、湊を更に喜ばせる結果になる。そうか?と湊は遥の髪を梳きながら尋ねた。

「ご飯もないしゴミは溜まるし洗濯も自分でだし、何より俺がいないのは寂しくないのか?」

「……自意識過剰め」

物怖じしない態度に、遥は深くため息をついてがっくりとうなだれる。家事についてはともかく、寂しいなんてよく言えるものだ。いっそ湊の言葉が当たっていなければ全否定もできるのに。

「遥を置いてどっかには行かないって。ね、だから一緒に行こ?」

「はぁっ?」

湊がしゃがむと、ソファに座る遥より目線がいくらか下になる。驚く遥をよそに、湊はにこにこしている。

「俺のバイトばっかりで、どこも連れて行けなかったからさ。二、三連休なら休み取れるし。今なら少しは涼しいから、外歩いても倒れたりしないだろ?」

ね?と湊の瞳が遥を捕らえる。目と目がかち合うと、優しい光を宿した瞳からはもう顔を逸らせなくなった。

「一緒にどっか行った記憶ってあんまりないじゃん。まぁ……そりゃルシとかとならあるけど、たまには二人きりがいいんだ」

「そ……んなこと…」

二人きり、というシチュエーションを思い浮かべてしまい、じわじわと羞恥心が込み上げてくるにつれ、顔に熱が集まってくる。遥は急いでそっぽを向いた。

「だいたい…れ、連休って……どこに行く気だ」

聞く気はあるらしい返答をすれば、湊はぱあっと嬉しそうな顔をする。それが何だか妙に気恥ずかしくて、遥はさっと目を泳がせた。

「どこでもいいよ。──でもせっかくの連休だし、旅行がいいなぁ」

「い──」

嫌だ、と言いかけて、遥はぐっと言葉を呑み込む。こんなに楽しそうな湊を、素直じゃない自分の台詞で悲しませたくはない。
先程よりも脈が早くなってきたのを感じつつ、ぼそぼそと小さな声を放つ。

「りょ、こうなんて……そんなの…」

旅館かホテルに泊まって、温泉なんかに浸かって、料理を楽しんで。もちろん部屋は同じなのだろうから、夜はおそらく───。

「ん? あ、それ冗談だから」

あっけらかんと告げられ、遥は腹いせに湊の髪を思い切り引っ張ってやる。普段の意地っ張りを渾身の力で押し込めたというのに、こいつは。
痛い!と湊は泣き声を漏らした。

「ごめんって! 遥のことだから、きっと"嫌だ"って即却下すると思って……」

「もういい!」

数本の髪の毛を無理やり抜いたところで、遥は完全に湊に背を向けてしまう。

自分だけが意識して浮かれていたなんて馬鹿みたいではないか。湊があんなに真剣だからいつもの態度ではいけないと思ったのに、当の本人は平然としていて。あれこれ思いを巡らせた自分が恥ずかしくて仕方ない。
膝を抱えてうずくまっていると、後ろからそっと抱きしめられる。遥は嫌がるように腕をばたつかせた。

「ごめんな。遥がちゃんと考えてくれてたなんて思わなくて…」

「うるさい!」

頼むから、もうそのことには触れないでほしい。いたたまれなくて、できるなら今すぐにここから逃げ出してしまいたいのに。

「遥……」

少し困ったような湊の声に、遥はきゅっと唇を噛む。自分でもどうすればいいのかわからなかった。

「あのな。さっきからずっと、どっか行きたい、って話ばっかりしてたけど……よく考えてみたらさ、重要なのはそこじゃないんだよな」

背中に湊の温もりが触れ、どくんと遥の心臓が音を立てた。

「一番は、お前なんだよ。どこの場所にいても、とりあえず遥がいればいいんだ。だから別に、どこかに出かける必要はないし。あと一週間──まぁバイトはちょっとだけあるけど、ここで、こうやって、二人でだらだらするのもそれはそれで幸せだよな」

とくとくと早い脈が刻まれる。湊にも伝わってしまうのではと危惧したが、だからといって離れてほしいとは思わない。
遥が顔を上げて少しだけ振り向けば、湊はちょっと驚いてからすぐに笑った。そのまま自然に正面から抱き合う形になり、湊の肩辺りに頬をあてる。湊の手がゆっくりと髪を撫でてきた。

「あ、でもさ」

思い出したように湊は声を発し、遥をぎゅっと抱き寄せる。

「今、っていうのは冗談だけど、旅行したいっていうのは本音だから」

かぁ、と遥の頬が赤らんでいく。湊はそっと遥の体から離れ、常より熱い頬を両手で包む。遥は羞恥をごまかすように目を逸らした。

「いつか行けるといいな」

優しい感触に酔いしれつつ、口に出せない代わりに、遥は心の内で湊に返事をした。


***
旅行ネタはハネムーンまでお預けだろうなぁ。それまでには遥さんも少し素直になってる、はず。
さて、早起きのために寝なければ。と思うほど寝れない原理って何なんでしょう´`

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