一応恋人ではあるけれど、遥から好きだと言われない以上は片思いと称してもおかしくない。湊はそんなニュアンスで返事をしたのだろう。
一同が驚きにどよめく中、湊に一番アピールをしている女の子がゆっくりと告げる。

「片思いってつらいよね。小宮くんはこんなに優しいのに……どうして振り向いてくれないのかな」

(お前が心配することじゃないだろ)

湊を褒めつつもその心境を歯痒く思う台詞なのだが、遥にしてみれば余計なお世話である。
湊はくすくすと笑った。

「ほんとにね。俺は大切にしてるつもりだけど、あんまり伝わらないんだと思うよ」

(大切ならこんなところに来るな!)

恋人を放って合コンに参加している奴の言う台詞ではない気がする。しかし、湊は驚くべきことを言ってのけた。

「いっそ諦められたらいいのにな」

(えっ?)

それはいったいどういう意味だろう。そんなことを考える間もなく、こっそりと女の子が勝ち誇ったような顔をする。自分に分があるかもしれないと思い始めたのだ。

「うん……その人じゃなくても、小宮くんの良さをわかってくれる人がきっといるよ。だから、焦らなくていいと思うの」

巧みに湊の意識を他に向けさせると、女の子は笑顔で告げる。遥にはもう、かわいらしい女の子が悪魔にしか見えなくなっていた。

「わたし、いつでも相談乗るからね」

優しそうな笑顔を浮かべ、彼女はそっと湊の手を握る。湊は幾らか目を瞬かせ、ありがとう、と告げてさり気なく手を離した。

(触るな……っ!)

木製の柵が軋むほど手に力をこめて、遥はきつく彼女を睨みつける。やはり彼女たちは本気で湊を落としにかかっているのだ。油断なんてできたものではない。

「遥ちゃん、相当怒ってるわねぇ」

「好物を放り出して監視するくらいだからな。後で小宮はこってり絞られるだろう」

鬼のような形相の遥をよそに、佳奈子と翼は料理と酒を味わっている。唐揚げは中途半端に残され、遥の箸と共に皿に転がっていた。

「んー、ここの出汁巻きおいしいよ。小宮が作ったやつみたい」

「そうだな。こういう庶民じみたものはあまり食べないから新鮮だ」

居酒屋の料理はどれも家庭料理のような味付けになっており、食べるとどこか落ち着いた気分になる。湊たちの座敷にも様々な料理が並び、それなりに和気藹々とした雰囲気を保っていた。

(何だかんだ言って、楽しんでるくせに……)

合コンなんか行きたくない、と散々弁解していたあの湊はどこへいったのか。女の子たちと談笑する姿は乗り気であるようにしか見えない。

(……諦めたいなんて、嘘までついて…)

ぎゅう、とわしづかまれたように胸の奥が痛む。嘘ではなく、もしかしたら本音だったのでは?と更に悪い想像までしてしまいそうだ。

「はーるかちゃん」

とんとん、と佳奈子に肩を叩かれ、遥は渋面のまま振り返る。佳奈子は口角をつり上げてコップをずいっと差し出した。

「まぁまぁ、あいつにだって付き合いはあるんだしさ。それよりほらぁ、嫌なことはお酒飲んで忘れよ! ねっ」

「酒……?」

飲酒経験のない遥にとって、佳奈子が手にしたコップの中身はまさに得体の知れないもの。湊はたまに家でも飲んでいるが、遥に勧めることはなかった。
それというのも、高校時代に授業の一環で行ったアルコールパッチテストで、遥は見事に肌が真っ赤になってしまった。つまり、かなりアルコールに弱い体質なのだ。湊もそれを知っていて、"飲んでもいいけど絶対に無理はするなよ"としっかり遥に釘を刺していた。その心遣いが、今は少々腹立たしい。

(自分は命令するくせに、俺の言うことなんかひとつも聞かないだろ)

合コンに行くなだとか、女の子とべたべたするなだとか。この件だけで言い争い(遥が一方的に怒っただけだが)にまで発展したというのに、あろうことか湊はけろりとしている。その上女の子と手を繋いだり、恋の相談を持ちかけたりして。ひりつくような痛みがじくじくと胸を焦がしていく。

「……飲む」

だからだろう。自棄になって、佳奈子からコップを受け取ってしまったのだ。

(俺がどうなったって、あいつには関係ない)

口に含むと、爽やかな酸味と甘味に続いて仄かな苦味が広がる。どうやら佳奈子が好んで飲んでいた酎ハイの類らしい。
味の是非を判断する前に、ふらりと体が浮いたような感覚に包まれる。しかしぱちぱちと瞬きすればすぐに視界が戻った。

「どう? おいしいでしょ?」

「やめないか、成島。桜井には飲ませるなと以前小宮に言われただろう」

遥の持つコップを更に液体で満たそうとした佳奈子を、翼が控えめにたしなめる。いいじゃない、と佳奈子は親指をくいっと向こうの座敷へ向けた。

「あっちできゃあきゃあしてんのが悪いのよ。ね、遥ちゃん?」

「ん……」

コップの中身を半分ほど減らした遥が、かくんと茶色の頭を振る。普段は透き通るように白い頬が、ほんのりと桜色を帯び始めた。

「桜井……大丈夫かい、君」

翼がこわごわと遥の顔を覗き込む。遥はゆっくりと、翼に焦点を合わせた。

「………なつか、ぜ?」

「あー、ちょっと呂律回ってないかも。やっぱ遥ちゃん、お酒弱いわ」

さすがに不味いと感じたのか、その様子を見ていた佳奈子が遥の手からコップを受け取ろうとする。しかし遥はかぶりを振り、コップを腕の中にぎゅっと抱き込んだ。

「あらあら」

「あらあらじゃない! これ以上飲ませたら小宮に殺されるぞっ」

"あ? 遥が自我を保てなくなるまで酒飲ませた? 何してやがるんだお前らは?"とあくまで笑顔で迫ってくる湊を思い浮かべ、翼はぶるりと体を震わせる。

「桜井。具合が悪くなる前にやめておきたまえ。君も小宮に叱られるぞ」

翼は何とか遥を説き伏せようとしたが、当の本人は湊の名を耳にするなり盛大にそっぽを向いた。

「あいつなんかどうでもいい」

そしてコップを傾け、こくりと喉を鳴らしてしまう。佳奈子が翼の胸ぐらに掴みかかった。

「逆効果じゃないっ、馬鹿!」

「元はと言えばお前の責任だろう!」

二人がぎゃんぎゃんと互いを非難している間、遥は唐揚げと酎ハイを交互に口へ運んでいく。頭の中は既にもやがかかり、ここにいる目的さえもわからなくなりそうだ。しかしふと湊への怒りを思い出し、それがきっかけでこんな場所へ来たのだと気づかされる。

(意外とうまいかもしれない)

決して甘党ではないので甘味は少しばかり余計に感じるが、ジュースに似た酸味のおかげで苦味はあまり気にならない。
酒が進むと料理にも手をつけたくなり、一口頬張ってまた酒を飲む。そのサイクルはコップが空になるまで続いた。


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