「んー、もうちょっとで完成かな」 リビングで本を読んでいた湊はふと顔を上げ、時計を見やってそう言う。すぐそばでテーブルを陣取って数学を勉強していた遥が、シャーペンの動きを止めた。 「何を作ってたんだ」 つい先程まで、湊は台所に立って料理をしていたのだ。今はオーブンで焼きあがるのを待っている。 「ん? クッキー」 ふうん、と遥はまた教科書に視線を戻す。甘党の湊が菓子を作るのはいつものことだ。時には佳奈子たちが遊びに来る際に、おやつとして出すこともある。佳奈子やかりんは菓子の類が好きなので、出したものはほぼ残されない。 ピピピ、とキッチンからオーブンのアラームが聞こえ、湊は本を置いて立ち上がる。湊がキッチンへ向かっている間に、遥はそっと本の中身を確認してみた。カバーが掛かっていたので外側からはわからなかったからだ。 ぱらぱらと適当にページをめくる。台詞や章題からして、どうやらミステリーらしい。何となくほっとした。 湊の部屋にある本は様々だが、以前に恋愛小説は嫌いだと聞いた覚えがある。本人曰わく、嘘っぽい、のだとか。しかし小説自体、空想の話がほとんどなのだし、嘘でも楽しめればいいのではと遥は思うが、湊は基本的にあの手の小説は読まない。特に、ハッピーエンドになるものは絶対に読みたがらない。 (それも何だかな…) 湊が恋愛に関して、あまりいい経験をしてこなかったことが原因なんだろうか。逆に、不倫や浮気がメインの小説だとか、佳奈子お得意のBL小説はまだ読むと言っていた。遥にはわからないが、佳奈子の薦める類のものを、湊は読んでどう思うのだろう。鮮明に考えたくはないものの、ここは違うとか、こういう手があったかとか、実生活と比べながら読むのかもしれない。というか、そういうことに関して湊が知らない知識ってあるのだろうか。 ううんと考え込んだ遥のもとに、湊は皿を手に戻ってきた。皿にはクッキングシートが敷いてあり、その上に焼きあがったクッキーが乗っている。 「できたよ。……ん? 遥が悩む問題なんてあるのか?」 じっと考え込む遥を見て、数学でどこかわからないところがあったと思ったようだ。何でもない、と遥は首を振り、テーブルに置かれたクッキーの山を見やる。そしてすかさず絶句した。 「何だ…これ」 「だからクッキーじゃん」 「そういうことを訊いてるんじゃない」 皿に盛られたクッキーらしき物体は、みな一様に同じ形をしていた。生地を型で抜いて作るから当たり前なのだが、問題はその形だ。 「嫌がらせか」 何十枚ものかわいらしいハートが小山を作っている様に、遥は不快そうに眉を寄せた。 「まさか」 湊は腰を下ろし、くすくすと笑う。 「かりんくんにハートの型もらったんだ。よかったらどうぞって」 いったいかりんは何をどう勘違いしてそんなものを湊に渡したのか。今度会ったら問い詰めてやろうと決意するも、やはり凌也の存在が怖いのでやめておこうと遥は思い直す。 「で?」 これを自分に食せと?を凝縮させて湊を睨む。湊は小山の中の一枚をつまんだ。 「はい。あーん」 そんな爽やかな顔であーんなんて言わないでほしい。これを湊のファンが見たら──喜びそうだ。もちろん、見せてやるつもりはないが。 「やめろ」 気恥ずかしさに遥がそっぽを向いてしまうと、ぎゅうと背後から抱きしめられる。遥はじたばたとその腕から逃れようとした。 「ほら。口開けて」 「嫌だっ」 確実にわざとだろう、湊は遥の耳元でそっと囁いてくる。口元に差し出されたクッキーからも顔を背ければ、あっさりと湊はその手を引いた。 「そっかぁ……嫌なんだ」 少しばかり傷ついたような声に、うっ、と遥は言葉に詰まる。これは演技だとわかっていても、百パーセント嘘だとは言い切れないからだ。 「こんなの、恋人にしか作らないのになぁ。自分で食べても味気ないし、捨てちゃうのももったいないし……誰か女の子にでもあげ──」 「うるさい! 食べればいいんだろ!」 もってまわった言い方に、ついつい反応してしまう。特に最後の一言は聞き捨てならないものだった。 「よかったー。あーんっ」 憂いを帯びた表情はどこへいったやら、再びハートが遥の視界を陣取る。しぶしぶ口に含み、さくさくとしたそれを味わう。甘さは控えめで食べやすく、食感も悪くない。そこらの女子が作ったものとは比べものにならないだろう。 「どう?」 自信ありげに尋ねてきた湊に、遥はただ頷くだけに留める。美味いと言うのはちょっと癪だ。 「まだいっぱいあるから」 にっこりと微笑まれ、遥は苦い顔で小山を見やる。 もともと、甘いものは苦手な部類に入るのだ。佳奈子たちが遊びに来た時、一緒に菓子をつまみ始めたことがきっかけで最近は食べられるようになった。が、それもほんの少しの量だ。山のようなクッキーなんて、食べ終わるまでにいったい何日かかるだろう。考えるだけでも嫌になってくる。 けれど、食べたくないと言ったら湊はどこぞの女子にお裾分けしてしまうかもしれない。食べ物を無駄にしないのは結構なことだが、それでは遥が釈然としない。どうしてわざわざ湊の作ったものを見ず知らずの他人に味わわせなければならないのか。 「………」 困ったようにクッキーを見つめ、遥はきゅっと眉を寄せる。無駄にするのは嫌だが、他人にこれを食べさせるのはもっと嫌だ。ちらりと湊に目をやれば、それはそれは楽しそうにこちらを見ていた。 「何だ」 「いや。悩んでくれてるなと思って」 遥は文庫本をひっつかみ、湊の腹部へ投げつける。湊は苦笑を浮かべた。 「ごめんって。どうしよう、って迷ってる遥がかわいかったからつい」 そう言いながら、遥の背に腕をまわして抱き寄せる。遥はむっとしたまま腕の中におさまった。 「大丈夫。クッキーは生ものじゃないから」 それを聞いて、遥はほっと胸をなで下ろす。急いで消費する必要はなくなったようだ。 「で、さ。やってほしいことがあるんだ」 遥はいやーな顔をしたが、湊はお構いなしに遥の指にクッキーをつまませた。 「あーんして? ね」 「さっきやっただろ」 あんなこっぱずかしい真似をもう一度するのかと思いきや、違う、と湊は笑って首を振る。 「遥が俺にするんだろ」 「は?」 このクッキーを湊の口に押し込めと、そう言ってるのだろうか。沸々と羞恥がこみ上げるのがわかった。 「お願い」 ね?と半ば強引に押し切られ、遥はため息をつく。こんな時、きっぱり断れない自分はどうかしている。これが湊以外なら有無を言わさず拒否するのだが。 ほら、とつまんだクッキーを湊の口に持っていく。なのに後頭部を支えられ、気づいた時には唇を重ねられていた。 「んっ!? ん、……っ」 角度を変えながら、何度も唇が触れてくる。表面を軽く吸うだけのそれに、だんだんと体の力が抜ける。離れた頃にはくたりと湊にもたれ、遥は恨みがましそうに唇を尖らせた。 「無駄なことはさせるな」 遥が手に持ったクッキーをひょいとつまみ、湊は自分の口に放り込む。それからくすくすと小さく笑った。 「そっちのほうがおいしそうに見えたから」 「っ……!」 素面でそんな台詞が言えてしまうのもどうかと思う。だがその台詞を、どこか嬉しく思ってしまう自分もおかしい。 ハートの菓子に彩られた、甘い台詞と甘い雰囲気。遥は赤い頬を隠すようにしがみつくしかない。 ──やっぱり、自分は甘いものが苦手なようだ。そう思って。 *** 甘いのかきたかった。スイーツ続きで、今回は甘く甘くしてみた。でもやっぱり無難なところでクッキーになってしまうのね。ケーキなんてとんでもない; ↑main ×
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