「はー。今日はもっと、鶏肉安いと思ったのになぁ」

大学から帰ってきた湊は、買い物袋から取り出した食材を慌ただしく冷蔵庫にしまう。一足先に帰っていた遥はリビングのソファに寝転がり、教科書を眺めていた。

「ふうん」

鶏肉ということはもしや夕飯は唐揚げか、と淡い期待を抱いたが、それを表に出さないよう適当に頷く。嬉しいなんて湊に知られたら癪だからだ。

「じゃ、夕飯は帰ってから作るから。行ってくるっ」

まだ帰宅して五分も経っていないのに、湊はさっさとリビングを出て玄関に向かう。今日は夕方からバイトが入っていたのだ。
バタンとドアが閉まると、遥はソファから体を起こす。ゆっくりとキッチンへ向かい、冷蔵庫を覗き込んだ。中には約四百グラムの鶏もも肉のパック。どうやら唐揚げで間違いなさそうだ。遥の頬が少し緩んだ。

ついでに麦茶でも飲むかとペットボトルを取り出し、自分用のコップに半分ほど注ぐ。その時ふと、視界に見慣れないものがあることに気づいた。

(……?)

常温で置いておいても腐らない食材と共に散らばっていたのは、かわいらしい模様の小さな袋。手に取ってみると、裏に水色のメッセージカードが貼られていた。

『頑張って作りました。よかったら食べて下さい』

丁寧に書かれた字をじっと見つめ、遥はため息をつく。断りきれずに女の子から菓子を受け取ってしまった湊の姿が容易に想像できた。

(ったく……)

中学や高校ほどではないが、大学に入ってからでも湊は女の子から人気がある。もしかしたら、遥の見ていないところでもっとモテているのかもしれない。
以前も佳奈子たちと食堂にいた際、隣のテーブルの女の子たちから多大なアピールを受けた。それに佳奈子曰わく、"遥ちゃんに言わないだけで、相当な数の告白はされてるし"だそうだ。いちいち遥に報告していたらきりがないのだろうが、知らないところでそうした動きがあるのは少し好ましくない。
これもおそらくそうだろう。告白を断られた哀れな女子学生が、せめてもの証として湊に押し付けた代物。どこの誰かは遥の知ったことじゃないが、その彼女にも、断れなかった湊にも腹が立った。

(だいたい……もらうってことは食べる気があるんだろ)

湊は食べ物を無駄にできない性格だ。遥が夕食をいくらか残すと、胃の許容が利く限りは残りものを食べている。もし断りきれずにもらったとしても、このままごみ箱へ投げ入れる可能性はほとんどない。捨てられるのは包装紙だけだ。

──でも。もし湊が、自分から望んで受け取ったものだとしたらどうだろう。
自慢ではないが、遥は料理が大の苦手だ。目玉焼きを作るのがやっとなのに、甘党の湊のためのお菓子なんて何年かかっても作れる自信がない。遥のそんな部分をよく知っている湊は、こう思うのではないか。

──たまには、誰かに作ってもらうのも悪くはない。

湊がその子に気があっただとか、遥が嫌いになっただとか、そういうことではなくて。ただ、いつも遥のために料理をこなしてばかりでは何も見返りは来ない。少なくとも、遥の見返りはふりかけご飯か目玉焼きだ。
それなら、好きなお菓子を誰かに──そうなると女子とは限らないが、作ってもらったら多少は嬉しく感じるのではないか。遥と一緒では絶対に得られない幸せに、少しばかり安堵するかもしれない。

(ああ……ムカつく)

それでこんなものを受け取って来たのかと思うと、沸々と苛立ちがこみ上げてくる。湊に他意はないとわかっていても、もし少しでも自分の料理、とも言えない創作物と比較されていたら殴りかかってしまいそうだ。湊はただ単に、お菓子が食べたかっただけかもしれないのに。

(あいつは他のものなんて食わなくていい)

びりっ、と乱暴に袋を破ると、クッキングシートにくるまれたクッキーが顔を覗かせる。チョコチップやドライフルーツが散りばめられたそれはかわいらしい。

(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……っ)

左手を握ればぐしゃりと歪んだ音がする。曲げた指の間からは、無残に潰れた水色の紙が見えた。もう用はない、とばかりに遥はごみ箱の上で左手を開いた。
焼き色のついたクッキーをひとつつまみ、口の中へ放り込む。途端にがりっ、と堅い歯触りに襲われ、遥は思わず顔をしかめた。
以前に湊が作ったものはもっとさくさくしていて、舌で触れるとほわりとなくなるようなクッキーだったのに。
所詮はこんなものか、とちょっとばかり優越感を覚えながら二つめを放る。こちらは中心に火が通っていなかった。



「ただいまー。すぐ夕飯作るからなー」

リビングを覗いても遥はおらず、湊は自室のほうに声をかける。それから自分の荷物をソファに置いて、腕まくりをしつつキッチンへ向かう。と、湊は首を傾げた。

「あれ?」

バイトまであまり時間がなかったので、押し付けられたプレゼントをこの辺りに放ったはずなのだが。食材はそのままなのに、あの袋だけは跡形もない。遥に知られる前にさっさと処分してしまおうと思ったのだが、いったいどこへいってしまったのだろう。

「んー……あ! あー……」

ごみ箱の中には、ぐしゃぐしゃに潰された袋とカードの残骸が残っている。人の手でこんな姿にさせられたことは、見ればすぐにわかる。

(まさか……)

ごみ箱の中には包装しか見当たらない。三角コーナーは空っぽだ。ということは、結論は一つ。

(食べたのか……?)

かなりの確率で中身はお菓子だと思ったが、甘いものを苦手とする遥が食べてしまった理由はいったい何なのか。

湊は急いで遥の部屋に向かう。ドアを開けると、ベッドに膨らみができているのが見えた。

「遥?」

返事はない。

「あの……ちょっと訊きたいんだけど」

びくりと膨らみが震える。湊はベッドに近づくと、そっと布団をめくった。
遥は横向きのまま、何かを抱えるようにしてうずくまっている。困ったような、それでいて泣きそうな表情を浮かべていた。眼鏡をかけていないせいか、顔はいつもよりあどけなく見える。

「それ、もしかして……」

両手の指の間からティッシュらしきものが覗く。きっと、食べ切れなかった中身を包んでいるのだろう。いくら嫉妬とはいえ、遥が大量のクッキーを食べてしまえるわけなかったのだ。

「それ、見せて?」

優しく促すと、遥はふるふると頭を横に振る。大丈夫だから、と遥の手を少し強引に開けば、遥はぎゅっと目をつむった。

クッキーは、原型を留めていないほど粉々だった。ティッシュの上から握ったくらいの力では、こんなふうにならないことは明らかだった。

「遥」

叱られると思ってか、遥はびくっと身を縮こまらせる。湊は覆い被さるようにしてその体を抱きしめた。

「ご飯、食べようか。遥のふりかけご飯はおいしいからな」

遥は僅かな逡巡の末、こくりと躊躇いがちに頷く。そして、狭すぎた自分の心を少しだけ悔やんだ。
一方の湊は、こみ上げる愛しさを額に伝える。湊が口づけた後、遥は小さく呟いた。

それくらい、いつでも作ってやる、と。
湊はゆっくりと破顔し、唇にもう一度キスを落とす。仄かに感じたクッキーの甘さに、湊が苦笑したのは言うまでもない。そして、ああもったいない、と思ってしまったことも。

「遥の味が消されちゃったか。もらってこなきゃよかったのにな」

遥は一瞬驚いた後、頬を赤く染めて目を逸らした。


***
物凄く嫉妬する遥がかきたかった。独占欲は湊のほうが強いけど嫉妬は遥のほうがするかな、と。思いのほか長くなった。そして若干遥が怖い(´ω`;)

↑短編↑main
×
- ナノ -