「まだ起きてたのか」 午前二時過ぎ。ドアの隙間から明かりが漏れているのを見て、遥はいつも通りノックもせずに湊の部屋を訪れる。湊はベッドに寝転がり、文庫本をのんびりと読んでいた。 「いつものことだって」 本から顔を上げないまま、湊は軽く笑う。遥はそっとため息をついてベッドに近づいた。 湊は普段から就寝時間が遅く、二時をまわることはそう珍しくはない。なのに朝は遥より早く起きて朝食を準備しているのだから、睡眠時間は四時間半に満たないほどだ。ひどいと三時近くにならないと眠らない時もある。本人曰わく"眠くならないのだから仕方ない"らしいが、それでも遥にとってはかなり心配なことに変わりはない。 読んでいる文庫本はまだ数十ページしか進んでいない。読み終える頃にはいったい何時になっているのか。 「明日……朝からバイトだろ」 夏休み中のバイトは不定期なため、口で伝え忘れないようにとシフトをカレンダーに書き入れてある。確か、風呂に入る前に遥が見た明日の予定は七時からだったはずだ。 「んー」 湊はひとつ頷いただけで、また本のページをめくる。むっと遥が顔をしかめれば、湊はようやく遥のほうへ目を向けた。 「遥こそ、こんな時間まで起きてるなんて珍しいじゃん」 かりんのように早寝早起き、では決してないが、どちらかといえば遥は眠りにつく時間は早めだ。大概は日付が変わる前後にはベッドに入っている。しかし寝起きは悪く、湊が二、三回起こさないと枕から頭を上げない。要は湊より早く寝て遅く起きるスタイルなのだ。 「水飲んできただけだ」 夏だからか、夕飯時に水分をとっていても喉の渇きは頻繁に感じる。熱帯夜故の寝苦しさとともにそれを感じ、目が覚めたのでキッチンで水分補給をしてきた。 なぁんだ、と湊は再び文庫本と対峙しながら笑う。 「寂しくて一緒に寝てほしくなったのかと思ったのに」 「そんなわけない!」 眉をつり上げた遥はいったん湊に背を向けるも、やはり夜更かしが気がかりで、体をもう半回転させた。 「……お前は早く寝ろ」 「眠くない」 反抗期の小学生のような我が侭に、遥は心の中で舌打ちをする。湊の手から本を取り上げ、タオルケットをばさりと体に纏わせた。 「あ、ちょっ──」 「いいから寝ろっ」 取り上げた本で軽く頭をひっぱたき、遥は荒く息をつぐ。こんな強硬手段は使いたくなかったが、いくら何でも睡眠を疎かにし過ぎだ。バイトが七時からなら、自分と遥の朝食の用意や身支度を含め、最低でも六時には起きなければならないのだから。 湊は特に怒りもせず、遥は意地悪だな、とわざとらしく唇を尖らせるくらいだった。 「大丈夫だって。昼には終わるし、その後いくらでも寝れるだろ」 「……嘘だ」 かつて、湊が夜以外に眠っているのを見たのは数えるほど。二度寝や寝坊さえ目にしたことがない。家事やバイトでの労働力に見合う睡眠が不足しているのは明らかだった。 恨みがましく呟いたせいか、湊はくすりと微笑んだ。 「心配してくれてるの?」 途端に遥はかぁっと頬を赤く染め、 「違うっ!」 と、力一杯の否定をしてみせる。頬の熱を払うようにかぶりを振り、遥はきつく湊を睨んだ。 「そっかー。よっぽど心配してくれるなら、毎日遥が一緒に寝てくれたらいいんだけどな。そしたら遥が寝る時間に合わせて、少しは長く寝られるかもしれないし」 湊はもちろん冗談のつもりで言ったのだが、それを聞いた遥は急に黙り込んでしまう。ベッドにすとんと腰を下ろし、小さな声をこぼした。 「……本当に…寝るんだな」 「ん?」 まさか、と湊は軽く目をみはる。背を向けていた遥が、ほんの少しだけ振り返った。 「ほ、本当に……寝るなら…来て、やってもいい…」 放たれた言葉にしばし沈黙した湊はうっすらと笑って、横たわったまま、遥の腰に両腕をまわす。びくりと遥は肩を揺らした。 「嬉しい」 「うるさい」 「むしろ寝られなくなるかも」 「…ならやめる」 腰を上げかけた遥に、嘘だから!と湊は慌てて声を上げる。しぶしぶ遥が留まると、湊は枕元の明かりを落としてタオルケットを広げた。 「ほら。おいで」 遥は仄かに頬を赤らめたまま、そっと自分の体を横たえる。すぐさま腰を抱かれ、湊の胸に頬が触れた。 「いい匂い」 「嗅ぐな」 髪に荒い息が触れるのを感じ、遥は呆れたようにため息をつく。使っているシャンプーは同じなのに、湊は何故か事あるごとに遥の髪の匂いを堪能したがる。 「んでも……この匂いだとちょっと眠くなってきた…」 きつく抱きしめられ、遥の心臓がとくんと跳ねる。と同時に、遥もだんだんと眠気を感じ始めた。湊と違って、夜更かしに耐性があるわけではないのだから当然だ。瞳を閉じたその瞬間、 「っ!?」 唇に触れた柔らかい感触に、驚いてすぐ目を開ける。見れば、湊は悪戯が成功した子供のように笑っていた。 「お休み」 「お前……っ」 白々しく告げて目を閉じた湊をみて、遥はきゅっと唇を噛む。じわじわと頬に熱が集まり、せっかく訪れていた眠気はどこかへ飛んでいってしまった。 (ったく……) 憎まれ口のひとつでも叩いてやろうかと湊を見上げたが、 (寝……てる……?) 寝つくにはいくら何でも早すぎるので、正確には眠りにつこうとしているのだろう。それでも、目をつむって規則正しく呼吸をしている湊はなかなか見れたものではない。 (まぁ……いいか) せっかくの睡眠を邪魔しては、何のために恥を忍んでいるかわからなくなる。とくとくと脈打つ一定のリズムを湊の服越しに感じながら、遥もそっと目を閉じた。 ↑短編↑main ×
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