「ん……」

肌寒さにふるっと肩を揺らすと、優しく髪を撫でられる。その感触がどうにも気持ちよくて、遥はうっとりと身を任せた。
他人に気安く触れられてなるものか、といつもの遥は威嚇してばかりだが、これは違う。こんなふうに、壊れものをそっと扱うように触れてくるのは湊だけだ。今までに何度となく経験してきたので、触れられればすぐにわかるようになった。

「遥……好きだよ」

うっすらと目を開けると、微笑んだ湊の顔が近づき、額へ軽く唇が落とされる。寝ぼけ眼のまま、遥は無意識に手を伸ばした。湊の腰上あたりに手を巻きつければ、小さく湊が笑ったのが聞こえる。しかし疲労故の眠気は深く、遥は再び目をつむってしまった。とても満ち足りた、幸せな気持ちで。



「そう……そんなことがあったの」

後日。喧嘩している間は佳奈子がとても心配していたと翼から聞いて、彼女を家に呼ぶことにした。湊は久しぶりにバイトへ向かっている。試験期間はさすがにバイトのシフトを少なくしてもらったそうなので、帰省するまでは忙しくなるかもと湊は言っていた。

「でも、ちゃんと仲直りできたならよかった。もー、小宮も拗ねて拗ねて大変だったわよ」

苦笑混じりに佳奈子がそう言い、湊が作っていったアップルパイを口に運ぶ。こくりと遥も頷いた。

「……言えた?」

カップを持ち、視線だけを遥に向けて佳奈子は遠慮がちに尋ねる。何を、と遥は訊き返した。

「好き、って」

遥は少々面食らったような顔をしたが、静かに首を横に振る。佳奈子はふわりと微笑んだ。

「まぁまぁ、気にしない。その辺は小宮も察してるわよ。ただ、それをちゃんと言葉にしてほしい、って思ってるだけで」

「……ん…」

遥はぎこちなく頷いた。"言葉にする"が自分にとってどれほど難しいことなのかは嫌というほどわかっている。それと、いつかはきちんとけじめをつけなければならないことも知っている。いつまでも、湊の思いに甘えているわけにはいかない。そんな甘えが、今回の一番の原因だったのだ。

「ゆっくりで、いいと思うわ」

カップをそっとソーサーに戻し、佳奈子は自らの膝に両手を重ねる。

「だってさ、小宮だって──遥ちゃんのことを好きになってから、それを伝えるまでに何年もかかってるんだよ? ちょっとやそっとで、気持ちがまとまるわけないもの。小宮はちゃんと待っててくれるよ。ね?」

それはあたしより、遥ちゃんがよく知ってるはず。
口には出さなかったが、佳奈子がそう言いたいのは遥も察することができた。

「……そうだな」

ポケットの膨らみを撫でてから、先日繋がれたばかりの紐をゆっくりと引く。取り出した携帯を手に乗せれば、佳奈子がにこりと笑みを見せた。

「ん……?」

手の上の携帯が不意に震える。折り畳みのそれを開けば、佳奈子もディスプレイを覗き込んできた。

「あらあら。噂をすれば、ってやつかしら」

新着メール一件、との表示を開き、遥は小さくため息をつく。佳奈子はにやっと笑ってみせ、遥をつんとつついた。

「ほら、早く返事してあげないと。あっ、中身は見ないから大丈夫よ、安心して」

そう言うと元の位置まで戻り、再度アップルパイを食べ始める。遥は決定ボタンを押してメールを開いた。

『これから夕飯の買い物して帰ります(^0^)』

この本文に返事をするというのもいささか難しい。わかった、との一言で構わないかと返信画面を開こうとしたが、ふと遥は指を止める。まだ本文の終わりではないらしいのだ。
下ボタンでスクロールをしてみると、やはり画面は動き始める。しばらく真っ白が続いたが、やっと現れた文字を目にするなり、遥はぱたんっと携帯を閉じてしまう。

「ん? 返事した?」

もはやパイの欠片しか残っていない皿を名残惜しげに眺めていた佳奈子は、その音に顔を上げて尋ねる。遥はふるふると首を振った。

「いや……まだ…」

「あ、そう?」

おずおずと携帯を開き、遥はじっと本文を見つめる。

『よく気づきました(笑)
愛してるよ、遥』

(こっ……こんなの……)

こんなこっ恥ずかしい真似を本当にやってのける奴だったとは。携帯を持つ遥の手が小刻みに震えた。

(返信………)

やっとの思いで返信ボタンを押し、短い文を打っていく。佳奈子がこっそりと含み笑いをしていたが、そんなことに気づく余裕は今の遥にはない。

「はぁ………」

やがて携帯を閉じた遥が深く息を吐く。お疲れ様、と佳奈子には褒められてしまった。



「さてさて、気づくかな……お?」

買い物カゴに食材を放り込みつつ待っていると、ポケットの中で携帯が振動するのがわかった。わくわくしながらメールを開いた湊は、一瞬ぴたりと固まってしまう。

「……え?」

『わかった』

限りなくいつも通りの遥の返事だった。

(まぁ……やっぱな、こういうノリに乗る奴じゃないし……)

とはいえ、期待していたので落胆もそこそこ大きい。メール画面を閉じかけた湊は、待てよ、と指を留める。

(もしかして……)

目指すは遥か下段。
携帯が軋むほど強く下ボタンを押し続け、湊は目をみはった。

『早く帰ってこい』

(ちょ……これは)

目を擦って今一度同じ文を見つめ、やがて湊は頬を緩める。女子が見惚れる爽やかな顔立ちも、愛しい恋人の前では形無しだ。

(参るなぁ……もう)

野菜や魚の種類であれこれ悩むつもりだったにもかかわらず、湊の足は自然とレジに向かっていた。


***
あれ、最後が関係ないだって?
ちょっと書いてみたかったので付け足させてもらいました。下スクロールは夢いっぱい^^
鶴見編、長くなりましたがここまで読んで下さってありがとうございます。皆様に少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです(´ω`)

↑main
×
- ナノ -