「ひとつ訊きたいな。桜井くん、彼のこと好きなの?」

「えっ……」

あまりに唐突なその問いに、遥は瞬間的に言葉を失う。だって、と鶴見は湊を一瞥した。

「恋人ってそういうものだよね? 彼の独り善がりじゃないなら、君もそう思うでしょ?」

独り善がり、という言葉に湊がさっと顔をしかめる。困惑した遥は、湊と鶴見を交互に見つめた。
好き、とただ言うくらい容易いことだ。そう言えば鶴見だって納得してくれる。湊の言い分が決して"独り善がり"ではないとわかる。なのに。

(そんなの、言えるわけない……っ)

これが湊の前でなければ、鶴見とだけ対峙していたなら頷くこともできる。けれど湊はただじっと、鶴見と同じく、試すように遥を見ている。それを妙に意識してしまい、口に出すことはおろか、首を振ることさえもできなくなってしまった。

「ああ、そう」

鶴見の唇の端が僅かに上がる。そして若干の嘲笑をこめた視線を湊に向けた。

「だ、そうだよ。僕は人のものには手を出さないけど、これなら関係ないね?」

湊はただ黙ってその言葉を聞いている。ここで弁解しても、鶴見に笑われるだけというのはわかっていたからだ。
遥の柔らかい髪をひと撫でして、鶴見は去っていく。ぎゅ、と遥はきつく膝の上の手を握りしめた。

「……嘘でよかったのに」

湊がぽつりと声を漏らす。悲しそうなその台詞に、ずきりと遥の胸が痛んだ。

「あれ言われたら、俺は何も言えない。それは、わかってたんだろ?」

「……俺が悪いって言いたいのか」

責めるような口調に──湊としては諭しているだけなのだが遥にはそう聞こえたのだろう、遥は恨みがましそうに湊を睨む。湊は知らないのだ。あれを尋ねられた時の自分の気持ちなんて。

「悪いとは言ってない。でも、庇ってくれたらいいなって思ってた」

「っ、そもそもお前がこんなところでそういう話を持ち出すから……。そうじゃなかったら、あんなこと訊かれずに済んだだろ…。言わなくたって、先輩はどうせ知ってた……」

ああやっぱり、と鶴見は言った。湊の予想通り、既に湊と遥の関係に気づいていたということだ。

「……遥ははっきりしなさすぎる」

湊はうなだれた声を発し、眼鏡の奥の瞳を見据えた。

「訊かれたくないってことは、返事に困るってことだ。……遥だって、心のどこかでは俺の独り善がりだって思ってたんだな」

「そんなこと言ってないっ」

返事に困るのは、本心を湊の前で晒したくなかっただけだ。独り善がりなんて感じたことは一切ない。
声を荒げた遥を冷静に見つめ、湊は心の内をゆっくりと明かしていく。

「返事を急かすつもりはないけど、一緒に暮らしてくれてるならそれなりの気持ちは期待してもいいんだ、って普通は思うよ。でも──俺はまだ、独り善がりのままなの?」

「ちが……っ」

ここが学食ということも忘れ、遥は必死に湊をなだめようとする。夕方にも差し掛かっていない時間帯なので幸い人は少なく、二人の言い合いを聞いている者はいなかった。

「違うならちゃんと証明できる? できないだろ?」

言葉に詰まった遥をじっと見つめていたが、湊はおもむろに席を立つ。筆記用具やノートを詰め込むと、荷物を持って椅子を戻した。

「先帰ってて」

「ちょっ……」

それだけ言うと、振り返りもせずにすたすたと食堂を出て行ってしまう。遥はしばらく呆然としていたが、がやがやと食堂が混み合う頃になると、しぶしぶ荷物をまとめた。



帰宅すると、やはり湊の姿はなかった。鬱々とした気持ちのまま、荷物を放ってベッドに倒れ込む。

「馬鹿……」

それは湊に向けてであり、自分に向けてでもある。ずきずきと痛む胸の上で手を握りしめれば、抑えていた涙がぽろりと枕にこぼれた。

「っ、…ふ……っ」

湊の勝手さと自分の不甲斐なさを思うと涙が止まらない。眼鏡を外し、ぐしぐしと枕カバーで乱暴に目を拭った。

確かに自分が悪かった。嘘でも頷いておけば湊はあんな思いをせずに済んだだろう。けれど、悪いのは湊だって一緒だ。恋愛の話を持ち出したのも、先に鶴見を挑発したのも湊である。遥はあくまで、穏便に事を済ませたかったのだ。
湊は鶴見が嫌いだと豪語していたけれど、まさかあんなふうに真っ向から喧嘩を売るような真似はしないだろうと遥は考えていた。数日前は、あんなに優しく扱ってくれたのに。自分に鶴見を意識させないためだろうとわかっていても、続きを望んでしまうくらい嬉しかったのに。その気持ちに湊は気づいていなかった。いや、あの場でもし続きを──もっと触れ合いたいと言っていたら、湊は困ったような顔で笑ってくれたはず。そしてさっきのような状況にあっても、そのことを思い出してくれたかもしれない。原因は、普段から遥が曖昧な態度しか見せていないことにもあるのだ。

(そんなこと言ったって……)

相手を大切に思う。
そばにいてほしいと思う。

それが恋というものなのか、遥は未だに自信が持てないでいる。それだけなら、家族にも友達にもあてはまりそうなことだろう。湊に限ってのことではない。

(恋人だけ……って…)

やはり恋愛的な行為だろうか。
抱きしめられるとか、触れられるとか。湊以外にそんなことをされたら、悲鳴を上げて逃げ出すに違いない。そういう意味で湊を許容しているなら、特別と言ってもいいのではないか。そう感じるが──たったそれだけの気持ちが、湊が自分に抱くものと等しいとは到底思えない。好きという言葉には、もっと深い意味があるような、そんな気がしていた。四年が経っても結論を出せないのは、そうした迷いがあるからだ。

(あいつ……帰ってこないだろうな…)

遥が怒り、湊が謝り続けていた、この前のような喧嘩とは違う。遥が鶴見をはっきり区別するまで、もしくは遥の気持ちを察して反省するまで、湊は戻らないだろう。どこか、遥の知らない友達の家にでも泊まっているのかもしれない。そう考えると、ぎゅっと胸が締めつけられた。

(とりあえず……先輩に会ったらきちんと言って…)

今更何をと言われてもいい。好きとはさすがに言えないだろうが、特別な存在なんだとはっきり告げておく必要はある。

(あいつ、は……メールするしかない、か)

鶴見にそう言ったと後からメールすれば、何かしらの反応は見せてくれるはずだ。

(かなり……怒ってたな)

喧嘩しても、湊は怒鳴るタイプではない。静かに自分の主張を言い、諭すように話してくる。今までに湊が怒鳴ったのは数回だけだ。遥はそんな冷静さなど保てる余裕がないので、たいがいは言葉も言い方も荒くなってしまう。

↑main
×
- ナノ -