「あの時は名前も訊いていなかったかな。僕は鶴見瑛二。また会えたらいいね」 みなに笑いかけ、鶴見は颯爽とその場を去っていく。いくらかの沈黙の後、佳奈子が目を丸くして翼に詰め寄った。 「ちょっとあの人誰よっ、あんたの知り合いってことはセレブでしょっ?」 翼は鬱陶しげに佳奈子の肩を押しやり、軽く咳払いをして説明し始めた。 「鶴見瑛二。鶴見財閥子息だ。今は医学部の院生だと父に聞いた」 「医学部っ? エリートじゃんっ」 このK大学は偏差値自体はそれほど高くないが、医学部だけは上位の大学に勝るとも劣らない頭脳を誇っている。ほぇ!とかりんも驚きに満ちた様子だ。 「しかもその頭に加えてあの顔だ。くっ、羨ましい!」 「で? 遥ちゃん、どこで会ったの?」 翼の嘆きをスルーし、佳奈子が遥に尋ねる。湊は複雑な表情を浮かべていた。 「コンビニで…ちょっと」 「コンビニ? 先週の木曜か?」 ここでようやく湊が口を開く。ん、と遥は短く返事をした。鶴見を湊にどう思われるかと、先程からはらはらしているのだ。 「しっかし萌えたわねー、三次元も捨てたもんじゃないわ」 ハンバーグを味わいつつ、佳奈子がうっとりと声を漏らす。その言葉に、翼は若干ふてくされた。 「ふ、ふん。所詮は顔と成績だろう」 「それが大事なんでしょーが。んでも小宮、いいの?」 ぐい、と佳奈子の肘でつつかれ、湊の箸から白米がこぼれる。そんなこともお構いなしに、佳奈子は声をひそめて告げた。 「遥ちゃん、危ないわよ」 「わかってる」 言って、はぁ、と湊はため息をつく。遥、翼、かりんは目をみはった。 「何が危ないんだい」 「だーかーら。あれは絶対、遥ちゃんを狙ってるでしょってこと」 えっ、と遥は思わず眉を寄せる。確かに初対面にしてはずいぶん優しいと思ったが、まさかそんな感情を向けられているとは思わなかった。 「そうだろうな」 凌也もゆっくりと首を振る。ねぇ、と佳奈子は湊に再度問いかけた。 「鶴見先輩、あんたのこと気づいたと思う?」 もちろん、あんたのこと、とは湊の存在を指すのではない。遥と湊の関係について鶴見は察しただろうか、という意味だ。 「たぶんバレたな」 「どうしてですか?」 かりんの言葉に、湊はそっと苦笑する。 「さっき、あんまり遥に馴れ馴れしいからうっかり睨んじゃった」 「ばっか! それじゃあっさりバレちゃうじゃない」 佳奈子が即座に憤慨したものの、まぁまぁとかりんがそれをなだめる。やはりそうか、と半ば予想していた遥は下を向いただけだった。 「何にせよ、それくらいの洞察力があるならバレるのも時間の問題だろ。それに、バレてくれないと困るし」 それから茶を飲んで、一言。 「俺はああいうタイプが一番嫌いなんだ」 これには、話を聞いていた五人が驚きを露わにする。湊は社交的なほうであるし、多少気に入らないと思う人間がいてもうまく取りなして穏便に済ますことを得意としてきた。ある人に対してきっぱり"嫌い"という判断を下したところはあまり見たことがない。 「認めたくないけど、同族嫌悪ってやつじゃないの?」 佳奈子の問いに、湊は少しむっとして言い返す。 「俺はあんな頭良くない。し、声に出さない嫌みは言わない」 「そんなこと言ってたか?」 翼はううんと訝しむ。意外にも、頷いて同意を示したのは遥だった。 「たぶん……」 「ん? どうしたの遥ちゃん」 「……俺が、話したから…」 鶴見には"友達"とごまかしたものの、湊から睨まれれば嘘だと読み取れるはず。そしてケンカをした"友達"もとい恋人が湊だと知り、微笑みの中に僅かばかりの鋭い視線を向けていた。ああ、これがケンカをした相手なのかと。そのことは何となく遥も感じ取っていた。 そう小声で遥が説明すれば、みなも少なからず納得はしたらしい。 「でもそれは仕方ないわよ。何も、恋人って言ったわけじゃないんだし」 慰めるように佳奈子が優しく言えば、湊もやっと笑ってくれた。 「大丈夫だって。俺は嫌われるの慣れてるから平気だし。それより遥のほうが危ないんだからさ、何かあったらちゃんと言うんだぞ?」 こく、と遥は一応頷いてみせたが、やはり胸のつかえは取れないままだった。 「あ、遥ちゃん」 昼休みが終わり、午後の授業へ向かおうと六人はひとまず別れる。と、佳奈子は遥の後を追いかけてきた。 「これ、直してみたの」 小声で差し出されたのは小さな箱。それには見覚えがある。ぱかっと佳奈子がふたを取れば、赤いひもが上手くくくりつけられたストラップが現れた。ひも自体が切れてしまったので元通りというわけにはいかなかったものの、新しいストラップ具に元のひもがしっかり絡んでいるので簡単には外れなさそうだ。遥は受け取り、携帯の角の隙間にそっと引っかけた。 「あ、ありがとう…」 湊には言い出しにくく、どうするかと悩んでいた遥を見かねて、数日の間に佳奈子は修復してくれたのだ。ううん、と佳奈子は笑って首を振る。 「いいのいいの。せっかくお揃いなんだもんね」 「う……」 意味深に微笑まれ、やはり気づいていたのかと遥は嘆息する。 このストラップは少し前に湊からもらったものだ。文学部の研修で三日ほど県外に赴いた際、お土産という名目で揃いのストラップを買ってきた。男女の恋人や女の子同士ではよく見かけるものの、自分と湊では不審な目で見られるのでは、と遥は訝しんだ。なのに、 「いいじゃん、それくらい。どうせ、遥が人前で携帯使うなんてほとんどないし。よっぽど嫌ならいいけど……」 と、少しばかり寂しそうに言われてしまえば、遥もそれを押し切る形でいらないなどとは言えなくなってしまう。湊の言った通り、確かに遥にとって携帯は通話とメールくらいしか使い道がない。湊が使う場合は自分が携帯を隠せばいいのだ。 しぶしぶといった感じでそれを付けてみると、湊はぱあっと顔を輝かせていた。こんな関係になってから早四年が経つが、世の恋人たちが付き合い出すと真っ先にしそうなことをいろいろとすっ飛ばしてきたせいか、こういったお揃いだとかデートだとか、湊にとってはそんな些細なことが嬉しくて仕方ないようだ。もちろん遥だって嫌な気持ちはしないし、湊が喜んでいるならまぁいいか、とついついほだされてしまう。こういうのを世間ではバカップルというのだろうか。じんわりと頬が熱くなり、遥は慌ててかぶりを振ったのだった。 ↑main ×
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