:: 翼→遥♀→←湊パロ
2013.07.19 (Fri) 01:10

・財閥(翼)×没落お嬢(遥♀)→←使用人(湊)
・翼遥は政略結婚です


───どうして、こんな形で出会ってしまったのだろう。もっと、違う場所で、違う立場で出会っていたら、未来は変わっていただろうか。


「遥、こちらへおいで」

「…はい」

ここは、貸切にされた有名レストランの一室。豪勢に飾られたテーブルに、頭上には煌めくシャンデリアが下がり、床からのぼんやりとした灯りが幻想的な雰囲気を彩っている。ドレスコードなど当然のこの部屋は、まず選ばれた人間しか足を踏み入れることは許されない。
仕立ての良さそうなスーツを纏い、世間でも評判の御曹司である翼は、満足げにその個室を眺めた。近い将来に妻となる女性と食事をするのだ、これくらい張り切らなければ意味がない。

優しく椅子を引いてやれば、華奢な女性は翼に小さく会釈をして腰かける。透けるような白い肌に、漆黒のドレスがよく似合う。細く美しい脚がすらりと伸び、エナメルブラックのハイヒールがいっそう上品さを立てていた。

「そんなに緊張する必要はないぞ。君はもう、私の妻ではないか」

「はい…」

肩まで伸びた茶髪は緩くウェーブを描き、耳の上に宝石の付いた花飾りが乗っている。しかしこれだけ美しい装飾をしているのに、彼女、遥の表情は微笑むことさえない。食事が始まってもそれは変わらなかった。

「そうだ、今のうちに君に紹介しておこう。夏風家に代々仕える使用人なのだが、私や君と同じくらいの年でね」

「そう、ですか……」

デザートに差し掛かった頃、翼はにこりと笑ってそう提案してきた。遥は無論、あまりいい気持ちはしない。これまでも、夏風家に縁のある人間を何人も紹介されてきた。いや、何も悪い人ばかりだからというわけではない。翼だって自分にはとても優しくしてくれるし、両親もいたく自分を気に入ってくれた。これがもし、遥自身が望んだ婚約であったならきっと幸せに満ちていただろう。
銀製の小さなフォークを置いて、遥はあまり期待しないままドアに目をやる。かつかつと足音が徐々に大きくなり、失礼します、と若い男の声がした。

「入れ」

翼が短く告げれば、金で縁取られたドアがゆっくりと開く。翼より背の高い、燕尾服姿の男性が静かに頭を下げた。

「お呼びですか? 翼様」

「ああ。お前を遥に紹介しようと思ったのだ。ん、遥?」

すっ、と頭を上げた男性を見上げたまま、遥は思わず我を忘れた。今まで男性との恋愛的な交際を厳しく禁じられ、学校もずっと女学校だった遥にとって、こんなに間近で同年代の男性を見たのは翼以外で初めてだった。しかも、男性に興味のなかった遥から見ても、彼は間違いなく所謂イケメンの部類に入る。翼もそこそこ整った顔立ちとは思ったが、ここまで見とれることはなかった。

「どうかなさいましたか?」

彼がそっと跪いて、小さく微笑みを向ける。我に返った遥は慌てて首を振った。

「申し遅れました。私は夏風家専属使用人、小宮湊と言います。主に翼様の身辺警護をさせて頂いています」

立ち上がり、湊は丁寧に会釈をする。遥はこくりと頷いた。

「幼い頃からの仲でな。こいつはこんないい人ぶっているが、中身は酷いのだぞ。子供の頃、私を落とし穴に突き落としたり」

苦い顔をした翼をよそに、湊はどこまでも飄々とした口調を貫く。

「ご冗談を。それはあなた様が掘った穴を私が埋めようとして、とりあえず草で覆っていただけでございます」

「嘘つけ! 初めから私を落とすつもりで……はぁ、貴様は本当に昔から…」

ふと、翼は言葉を止める。湊も気づいたのだろう、今まで微動だにしなかった遥へ視線を移した。

「落とし、穴……」

ふ、と。ほんの一瞬ではあったが、遥の口元が僅かに緩む。それは紛れもなく、翼でさえもが初めて見た遥の笑顔だった。

「遥、君の微笑みがこんなところで見られるとはね。一応感謝してやろう、小宮」

「……恐れ入ります」

笑うところをあまり見られたくないのだろう、遥は恥ずかしそうに口へ手をあてる。白い頬が仄かに赤らんだその顔を、湊はじっと見つめていた。



『遥。私は明日、東京支社のプレゼン発表を視察に行かねばならない。すまないが、屋敷で留守番していてくれるかい』

「よかった……」

広い廊下を歩きながら、別れ際に翼から言われたことを思い返し、遥はほっと息をつく。この屋敷に住むようになってからはあちこちの高級な店や邸宅に連れ回されており、気の休まる暇がなかったのだ。今の遥にとっては、自室でのんびりと寛ぐことだけが唯一のゆとりだった。

「いたた……」

とん、と壁に手をつき、遥は顔をしかめる。今日の服はレストランへ向かう前に翼から買い与えられたものだが、高いヒールの靴は履き慣れておらず、案の定脚が痛くなってしまった。そもそも遥の実家は伝統的な日本家屋で、こういったドレスよりも主に着物を着せられていたのである。
両脚を引きずるようにして歩いていたその時、遥は背後からの足音に気づいた。

「どうかなさいましたか?」

(あ……さっきの)

翼に紹介された使用人の湊が、心配そうにこちらへ近づいてくる。遥は反射的に壁から手を離したが、湊はしゃがみ込むとすぐに足元へ目を向けた。

「こちらですか?」

「えっ」

さらりと言い当てられたことに驚いていると、湊はゆっくりと推測の理由を明かしていく。

「先程、お車から出られる際に少しよろけていらっしゃったと思いますので。あなた様のお召し物は全て翼様がお食事前にお求めなさると聞いていましたし、底の高い靴はバランスが取りにくく疲れやすいですから」

その観察眼と洞察力には、遥も驚きを通り越して感心してしまった。その彼の前でこれ以上隠し通すのも無駄だろうと諦め、遥は素直に頷く。

「やはりそうでいらっしゃいましたか。すぐに処置を致しましょう。準備して参りますので、とりあえず……この部屋でお待ち頂けますか」

すぐそばにあったドアを押して開け、湊が手でソファを示す。ほんの十歩に満たない距離だ、痛みもどうということはない。遥はこくりと頭を振った。
客室のひとつらしい部屋に入り、柔らかなソファに腰を下ろす。部屋をぐるりと見回している間に、湊は救急箱を手に戻ってきた。

「お待たせ致しました。この上に乗せて頂けますか」

中から必要なものを取り出し、ぱたんと閉めた救急箱を湊が示す。遥はそっと、緑の箱の上に右足を置いた。

「失礼致します」

しゃがんだ湊が頭を下げ、遥の足首にそっと触れる。

「ひゃっ」

思わず声を上げてしまい、湊が慌てて手を遠ざけた。

「申し訳ありません。痛みましたか?」

「いや……そ、その…」

痛くはなかった。ただ、なんと言っていいかは自分でもわからない。
困り果ててしまった遥を、湊が優しく促した。

「なんでも仰って下さい。お嫌でしたら、明日医者を呼びますので」

「ちがっ……その……」

遥はふるふると首を横に振り、今にも消えそうな小さい声でぽつりと呟いた。

「お…男の人に、慣れて…なくて……」

「ああ、そうでいらっしゃったんですか。どうか無礼をお許し下さい。今、他の者を呼んで参ります」

遥の言葉に気を悪くした様子もなく、湊は頷いて立ち上がる。しかし遥は急いで燕尾服の袖を掴んだ。


この出来事を境に互いの運命が狂い始めることになろうとは、二人は知る由もなかった。


***
敬語って難しい。
翼は安定の不憫でいらっしゃいます

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