:: いたいのいたいの、
2018.10.27 (Sat) 22:49

・湊視点


「うぐ……」

おはようございます。アナウンサーの爽やかな声がテレビから流れる。俺はキッチンスペースで卵を持ったまま脂汗を滲ませてる。恐ろしい対比だ。
早く、早く目玉焼きを作りたいんだ俺は。しゃがみこんでガス台下の収納なんか眺めてる場合じゃない。ん、何だあれ。あ、貰い物の亜麻仁油か。何に使おうかググって、カルパッチョが良さそうだ、と思いつつまだ封を切ってなかった。今夜辺り作ろうか――じゃなくて。

「いたいよぉ…」

女子アナの声だけが響くリビングへ落ちる、なんとも言えない呻き。わかってる、誰も俺の弱々しい声なんて望んでない。遥だ、遥なんだよな。そうだよ遥なんだよ、原因は。

◆◇◆

眠そうな横顔と頑固な寝癖を捉え、その横に目玉焼きプレートを並べる。目玉焼き、サラダ、スープの三点セット。ちら、と食物を捕捉した恋人は、右手で箸を取って左手でドレッシングをサラダに撒いた。レタスを箸先でつまんでしゃくしゃく。目玉焼きも黄身を避け、白身を先に食べ始める。その隣に軽くトーストしたバターロールを置いて、俺も向かい側に腰を下ろす。なんだかめちゃくちゃ腹が減った。パンなんかで腹を満たせない俺は、盛りに盛ったご飯と納豆パックを見下ろす。

「頂きます」

言うなり納豆の準備を始めた俺に、眠たげな瞳がちょっと不思議そうに揺れる。

「どうかした?」

「……なんで、そんな…静かなんだ」

なにおう。

「それ、いつも俺がうるさいみたいじゃ…」

「うるさいだろ」

間髪入れずに俺の反論を叩き潰して、小さなお口はバターロールをかじる。ひと口がえらく小さい。
しかしあれだ。いくら遥でも、こうして一緒に暮らしてると言動の機微を拾えるようになるんだなぁ。ちょっと感動した。それだけ俺を見てくれてるってことで。

「えーと…痛いんだよね」

「痛い?」

ひょいと俺の体を覗き込むように――正面に座ってるから見える範囲は変わらないけど、そんな仕草で遥は首を伸ばした。眠気の波を揺蕩っていたところから一気に覚醒したらしい。

「どこが」

「……」

「おい」

心配しているのに、と言わんばかりに遥はむっとして語気を強めてくる。まぁそうだよな、そこまで言われたら気になるよな。もぞもぞと居心地悪く胡座を組み替えながら俺は呟く。

「足の間が…ちょっと」

「……」

瞬間。遥はとんでもなく深いため息をついて肩を落とした。かじりかけのバターロールを手に、心配して損した、という顔をありありとこちらに見せて。

「待って」

「うるさい」

またうるさいと言われてしまった。でも違うんだ、決してその、えっちな夢を見たとか、朝の生理現象故ではなくて。

「遥に蹴られたんだよ。夜中」

「………は?」

「最初はぎゅって抱いて寝てたんだけど、なんか窮屈そうにもがいてたから腕枕もやめてそのまま隣で寝てたら、膝頭でガッと」

「……蹴ったのか」

「うん……ベッドから転がり落ちて、しばらく床で悶えてたら痛みも引いてきたから、大事を取ってそこのソファで朝まで寝たんだけどな」

そりゃ遥の寝相がどうのなんて今更問題じゃないし、殴る蹴るは何度も経験してきた。でもさすがに急所は、急所だけは、結構痛かった。そこそこ痛みに強いと自負してた俺がちょいちょい涙こぼすくらいには。
座っている今でもなんだか落ち着かない。痛くはないけど、いつ痛くなるのかわからない感じが怖い。

「………」

「あっ…いや、寝てる時のことだし責める気はないから」

遥はバターロールを力なくプレートに置いて、しゅんと下を向いてしまった。黙っていようかなと思わなかったわけじゃないけど、蹴ったのがもし俺だったら絶対に謝らせてほしいから、遥にも言うことにした。
カーペットに膝をついて、向かい側から遥の隣まで近づいていく。

「……わる、かった」

謝罪の言葉を絞り出した恋人は今にも泣きそうだ。まぁね、どのくらい痛いかなんて想像するだけでもひやりとするもんな。でも、俺より苦しそうな顔はしなくたっていい。もこもこのパジャマごと、安心させるようにぎゅっと抱き締める。

「大丈夫。痛みもだんだん薄れてきてるし」

背中におずおずと回された手が、ぎゅ、と応えるように俺のシャツを握る。よしよし。

「はい、もう終わり。ほらご飯食べよ」

とんとんと背中を優しく叩いて促せば、いまいち納得がいかない顔のまま、遥はまたバターロールをかじった。俺も別に遥を詰りたいわけでもないし、謝ってはもらえたから、これでよしとするつもりだった。
ところが。

〜〜〜

「……はい?」

「だから、見せろ」

「……いやいや!?俺露出狂じゃないから!」

「そんなのはどうでもいい」

「大丈夫だって!別に腫れてもないし!」

朝食後。片づけを終え、エプロンを外しつつリビングに戻ってきた俺のチノパンを、遥は突然引っ張ってきた。ゴミでも付いてたのかと思いきや、ぐいぐいとまた引き下ろそうとし、ベルトの存在を思い出してウエストに手を伸ばそうとしたもんで焦った。抵抗すると『蹴ったところ、見せろ』と何故か凄んできた(でもかわいい)。

「いいから見せろ」

「やだ!」

これはあれだ、めくるめく熱い夜に満を持して降臨すべきものなのであって、こんなお日様がニコニコしてる時に晒していいわけがない。もう恥ずかしいとかの問題じゃない。遥との攻防は依然続く。

「もう平気だって言ってるじゃん!」

「平気なら構わないだろ」

「痛いのは平気ってこと!見せるのは平気じゃない!」

「うるさい。四の五の言うな」

「遥のえっち!昼間から大胆なんだから!」

「黙れ」

「じゃあ遥も見せろよ!」

「………」

「えっえっ待って」

急に気まずそうに黙り込むから、俺も自分で言い出しておきながらめっちゃ狼狽えてしまった。違うだろ、そうじゃないだろ。

「遥の気持ちもわかるけどさ、患部がどうにかなってるわけじゃないし、ほんと大丈夫だから。な?」

そういう雰囲気ならともかく、何がどうして遥にそんなところを披露しなきゃいけないのか。いや、わかるよ。もし逆だったら俺もそのパジャマを無理やりひん剥いて確認したくなるよ。でも勘弁してくれ。遥はむぅ、とかわいい顔で困ってる。

「……本当だろうな」

「嘘つかないって。急所なんだから痩せ我慢したってしょうがないだろ。ひどかったらとっくに病院行ってるよ」

納得してくれたのか、遥はそのまま何度か頷いてベルトから手を離してくれた。よかった。俺もほっとしてソファに腰を下ろす。遥も隣に座ったものの、視線は俺の下腹部辺りに注がれていた。過去類を見ない程に今、遥は俺の俺が気になって仕方ないようで。

「……そんなに見られてると緊張するんだけど」

「見てない」

「見てんじゃん。……違う意味で腫れたら絶対痛いんだからな?」

俺は別にMじゃないから見られてても恥ずかしくても性感に直結することはないと思うけど、愛する恋人が珍しく心配そうな顔で優しい瞳を向けてくれていたら、どうにかなっちゃうかもしれないじゃん。
あ、と思い当たったように目を見開いて、遥はやっと視線を外してくれた。

〜〜〜

風呂から上がってしばらくした頃。
秋の夜長用に買った小説のひとつを、自分の部屋で消化している時だった。ノックもなしに入り込んできた遥は、腰でベッドを沈ませて尋ねてくる。

「……なんともないのか」

「ん……?あぁ、風呂?うん、大丈夫だった。熱いお湯でも染みたりしなかったよ」

実際、風呂は俺もかなり懸念してたことで、最初は恐る恐る手で湯をすくってかけていた。特に痛みを感じることもなかったから、摩擦だけは避けるようにして、普通にシャワーも使って湯船に浸かってきたんだけど。

「ありがとな、心配してくれて」

朝はもちろん、今日一日でずいぶん遥は俺を気にかけてくれた。感謝の気持ちも込めて、恋人の髪をなでなで。細い髪が指にくるりと絡まるのが心地いい。
撫でられるのは好きみたいで、風呂上がりのぽかぽかした体では抵抗されることも稀になった。猫みたいにごろごろ甘えてくるのは酔った時くらいだけど、胸にぽすんと体を預けてくれることもある。ほら、今も。眠そうに傾ぐ頬はほんのり桃色。

「寝よっか」

平日なら本当はもう寝てる時間なのに、俺が風呂から出るまでわざわざ待ってたんだから遥は眠くて当然だ。あやすように前髪に口づけて、恋人をお布団へ誘う。
しかし。

「……いい」

ぐい、と無理に体を起こして、遥は俺の腕をかいくぐってベッドを出る。待って、と手首を掴んで引き戻すと、遥はきゅっと唇を結んで俯いた。

――わかってるよ。気にしてるんだろ、今朝のこと。また俺を蹴っちゃうんじゃないかって、心配で堪らないんだよな。
でもね。俺の隣で一緒に眠ってくれるなら、そんな戸惑いなんていらない。蹴られても殴られても、俺は遥と一緒に寝たいんだ。

「ほら」

遥の背後から腕を回して、背中側から抱いたまま寝転がる。片腕はウエストを抱き込むように、片腕は頭の下に滑らせて枕に。甘い香りが漂う後ろ髪に、軽く顔を埋めて。

「こうやってぎゅってしとけば、足先しか蹴られないだろ。何なら足もがっちり押さえてあげようか?」

する、と悪戯に脚を差し入れて絡めるようにすると、寝間着の裾から覗く足首同士が擦れて遥がびくっと爪先を揺らした。その反応を見るのが楽しい。赤らんだ耳の裏にちゅっと唇を押し当てる。

「っ……やめろ」

「何を?」

「あ、しっ……」

「そう?じゃ、このままで」

脚を戻し、手元のリモコンでさっと消灯して、掛け布団を引き寄せて。お休み、と囁いてお腹をぽんぽんすれば、次第に呼吸も落ち着いておとなしくなる。枕にしている腕の先――手のひらに、遥の手がそっと乗せられる。少しでも触れ合っていたいって思うのは、きっと遥も同じ。それも軽く握って、温もりを感じながら瞳を閉じた。
ぎゅ、と抱き込んでいる腕の力を、ちょっとだけ強める。おはようって言うまで、離してあげるつもりはないからね?


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