:: かてきょーぱろ
2018.03.01 (Thu) 21:20

・もうすぐ中学生な湊×大学生の家庭教師遥
・つづかない


「ねー遥。赤ちゃんってどうやってつくるの?」

きこきこと学習机の付属の椅子を鳴らしながら、何気なく投げ掛けられた疑問。今し方生徒が終えたばかりの自作テストを採点していた遥はふと赤ペンを止め――やがて激しく狼狽した。

「な、なにっ…」

「だから、赤ちゃん。子供ってどうやってできるの?」

鈴が鳴るような、ころころとしたかわいらしい声だ。それもそのはず。この春、彼は小学校を卒業する。『おさらいテスト』と銘打たれた紙をきゅっと握りしめ、遥はひどく気まずそうに呟いた。

「……コウノトリが…」

「あーはいはい、もう聞き飽きた。大人ってみんなそう言うんだね。流行ってるのそれ?」

まともな文を紡ぐ前に揚げ足を取られ、遥はむっとして子供に向き直る。

「茶化すな」

「茶化してるのはどっちだよ。じゃあ訊くけど、コウノトリがどうやって3000gの重りを運んでくるの?なんでこいつら夫婦だってわかるの?教えてよ」

「ぐ……」

この子供はぺらぺらとよく喋る。元よりコミュニケーション能力で大きく劣っている遥が太刀打ちできる相手ではない。子供向けの回答を早々に諦め、遥は面倒くさそうに概要を話し始めた。

「……女の体の中には、人間の基になる卵子がある」

「らんし?」

「逆に男の体にはせ…精子があって、その二つが女の腹の中で合わさると子供ができる」

簡潔というよりはざっくりとした説明だが、遥が声に出して言えるのはここまでが限界だった。あとはもう、湊が恥をかいてもいいから親でも先生でも訊いてくれと思う。
ふうん、と子供は思いのほかあっさりと納得を示す。

「そうなんだ。ありがと」

「え…」

いつだって好奇心旺盛なこの子供が、あんな外枠だけの説明で満足するわけがない。湊はにっと悪戯っぽく遥に笑いかけ、ひょいと椅子を脱した。

「遥ってほんと嘘つかないよね。そういうとこ大好き」

前をローテーブルが塞いでいるからか、遥の後ろへ回った湊が背中側からぎゅっと抱きついてくる。小学生とはいえ彼は既に成人女性の平均身長を上回っており、男の平均値である遥と並んでも10センチほどしか差はなかった。そろそろ子供と言うには窮屈だが、大学生の遥にしてみれば何センチになろうが湊は子供である。たしなめるように黒い頭を叩くが、彼は離れようとしない。

「中学生だろ。甘えるな」

「まだ小学生だもん」

遥の肩に擦り付けながらいやいやとかぶりを振り、湊は子供らしからぬ力でウエストにしがみつく。ため息をつきつつも、弟がいたらこんな感じなのだろうか、と遥もつい甘やかしてしまいがちだ。人見知り、しかも子供は特に苦手な遥だが、好意を向けられれば嫌な気持ちにはなり得ない。

「遥って彼女いるの?」

唐突な問いかけはかれこれ何度目だろう。ぎゅ、と柔らかいほっぺたを軽くつねってやる。

「嫌味か」

「いたたた。まさかぁ。モテるでしょ?」

「…好き好き言うのはお前くらいだ」

実際のところ、女性から告白まがいの台詞を言われたことは何度かある。しかし付き合ったところでつまらない人間だと露呈するのは時間の問題であったし、そもそも異性や恋愛に興味の持てない自分が気軽にOKを出すなど相手への無礼でしかない。おかげで二十年間生きてきた中での恋愛経験値はゼロに等しかったが、遥にとっては大した問題ではなかった。
湊はにまにまと微笑みながら尋ねてくる。

「じゃあ俺と付き合ってくれる?」

「………」

これも幾度聞いたかわからない。
好きと言いながら抱きついてくるくらいはかわいいものだ。教え子に好かれるのは遥も嬉しいので許してやっている。が、その次は必ずといっていいほどこの台詞がくるのだ。どういう意味かわかっているのかと初回で責め立てれば、『恋人になることでしょ?』とませた返事が寄越された。以来、この子供は飽きることなく遥に想いを告げては玉砕している。彼のクラス内の評判は上々で、ムードメーカー、運動神経抜群、給食のお代り常連という三拍子揃った人気者である。この前のバレンタインではクラスメイトの数より多いプレゼントを獲得してきた。そんな末恐ろしい奴が何故こんな人見知りで陰険な年上の男を好むのか、遥には全くもって理解できない。

「断る」

「なんで?彼女いないならいーじゃん。何が嫌なの?」

「…お前も俺も男だ」

「えー、そんなこと?BLとか流行ってるよ」

「三次元の話をしろ。…お前はまだ子供で、そういう…恋愛とかわかってないだろ…」

「?そんなの遥もわかってないじゃん…いてててっ!」

ぐにっ、と強めに頬を摘ままれ、湊は痛みに喚く。遥はぷいとそっぽを向いた。

「下らないことを何度も言うな。採点したらさっさと――!?」

背中へ回っていた湊がひょいと身を翻し、遥の胸を強く押した。大して力の入っていなかった体は容易に傾ぎ、後頭部をふわふわのラグに受け止められる。あまりに突然の出来事に、遥は目を瞬いた。しかしローテーブルを雑に押しやった湊が腹の上に乗ってくると、予想以上の重さに肋が軋みそうになる。

「っ……おい、どけ…」

「やだ。俺怒ってるんだから」

むっと唇を引き結んだ表情はまさに子供のそれだ。遥が脚を両手で押し退けようとしても、逆にわき腹を挟み込むようにしてホールドしてくる。そうこうしているうちに、とん、と湊は遥の顔の横に手をついて覆い被さった。

「『下らない』ってなに?」

「ぇ……」

これまで向けられたことのなかった鋭い視線を間近で受け、遥は思わず怯む。湊の指先がするりと眼鏡を取り払った。

「下らなくなんかない。俺は遥が好きなんだよ、何回も言ってるだろ!なんで、信じてくれないの…?」

「っ……信じてない、わけじゃ…」

「じゃあ答えてよ。俺と付き合ってくれるの?くれないの?好きなの?嫌いなの?」

激しくぶつけられる想いに、遥は困惑しきった顔を俯かせた。曲がりなりにも家庭教師の自分が、答える――応えるわけにはいかない。
でも知っているのだ。日に日に男へ近づくこの子供が、いかに真剣に自分と向き合っているかを。その気持ちを無駄にしたくない、捨ててほしくないと遥自身が願ってしまったら、もう。

「……今は無理だ」

勢いのままに燃えていた瞳が、すっと驚きに見開かれる。明後日の方向を見たまま、遥は続けた。

「お前のことは…嫌いじゃない、から……その気持ちが続くようなら、…つ、きあってもいい…」

「!遥……!」

ぱっと破顔した子供が腹上で跳ねると、ぐぅ、と遥が苦しそうに呻く。それに気づいたのか僅かに腰を浮かせ、湊がそっと両頬を包み込んでくる。むず痒い気持ちを抱いたまま遥はやや目を逸らした。

「どうせ…そのうち女のほうがいい――んむ!?」

「んーっと。そういうこと言うお口は俺が黙らせちゃうよ」

てへへ、と照れくさそうに笑う湊を、宇宙人でも見るような目で遥は凝視している。最近の小学生は進んでいるとか聞いてたが、まさかそんな。さーっと青ざめていく遥に、勘のいい子供はゆっくりと目を瞬かせた。

「……えっと…もしかしてファーストキ」

「うるさい!さっさとどけ馬鹿!」

「ぅえええ!ご、ごめんっ…」

遥の勢いに気圧され、湊はぴょいとラグへ体を移す。何となくいたたまれなくて、触れられた唇を手のひらで押さえながら遥は起き上がった。

「で、でも!俺も初めてだったから大丈夫!」

「何も大丈夫じゃないだろ…」

苦言を垂れつつ、必死な子供の言葉にほんの少し安堵してしまったのは気のせいだと思いたい。困ったように部屋をうろつく湊は、ううう、と唸った挙げ句に学習机の引き出しからあるものを取り出した。遥の手をぐいと掴み、その指のひとつにそっと輪を通していく。

「……何してる」

「最終兵器。今嫌われたらなんにもならないから、出し惜しみしないで遥にあげる」

「答えになってない」

「見ればわかるだろ!ゆ、び、わ!!」

ぎゅう、と遥に強く抱きつき、湊はありったけの思いを耳元でぶちまけた。

「キスの責任、取るから!必ず遥を幸せにするから!だから、お願いします!」

安いメッキが施された、ハートのモチーフが付いた指輪。リサイクルショップにでもあったのだろうか。薬指の根元をぐるりと包むそれに、やがて遥がため息をついた。

「……好きにしろ」

「やった!やったー!わーいわーい!」

クリスマスプレゼントをもらったような顔ではしゃぐ子供。そう、まだ子供だ。そしてこちらは大人。相手になどしてやるものか。薬指の小さな証に目を落とす。

高級でなくてもいい。モチーフがもげようがメッキが剥がれようが、今と同じ気持ちで向き合ってくれたら。その時は、答えて――応えてあげよう。君の先生ではなく、恋人として。


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