:: 三年後の湊遥if
2017.11.09 (Thu) 22:21

・三年後くらいの教師になった湊と院生遥の遠恋
・あくまでifです(´・ω・`)


【あと1日】
パソコンを打つ指を不意に止め、遥はぐったりと座椅子の背にもたれる。目の奥がちかちかと眩むので眼鏡も外した。資料作りも楽ではない。
手元のスマートフォンを照らしたが、先程から何度も確認しているせいか、時間がちっとも進まない。再びディスプレイを真っ暗にすると、間の抜けた音と共に黄緑色が文字を覗かせる。遥ははっと目を瞠り、素早くタップしてメッセージを表示させた。

『今、三丁目の交差点あたり!』19:10
『コンビニ寄るけどほしいものある?』19:11

返事を打ち終える前に、選択肢がポコンと現れた。

『寒いからピザまんにする?チキン?おでんでもいいよ』19:14

19:15『夕飯食べてない。全部買え』

トークを開いたままにしているのか、打った瞬間に既読がついた。すぐに『了解!』と跳び跳ねるペンギンのスタンプで返される。また買ったのか、ペンギンスタンプ。
再び眼鏡をかけ、室内をぐるりと見渡す。何の変哲もないワンルーム。さほど散らかりもしないが、掃除は昨日のうちにしておいた。水回りも清潔だ。溜まっていた衣服も洗濯して収納済。キッチン――は使用頻度が少ないので常に綺麗だ。客を迎える準備は万全だった。あとは、自分の想い次第。

(会うだけで、こんな気持ちになる日が来る…なんて)

早々と鳴るインターホン。コンビニから飛ばしてきたに違いない。おでんの汁が危ぶまれる。
馬鹿だな、と思う。自分も、彼も。



共に目指していた夢は同じだった。ただ、一緒に一緒の道をたどることはできなかった。たとえ時間と距離を犠牲にしても、叶えたいものがそれぞれにはあったのだ。それは互いに何度も話し合って決めたことで、後悔は一切していない。各々の望んだフィールドで、頑張っていこうと決心したのだから。
分岐を進んでから、季節を三つほど巡った。湊はすっかりスーツの似合う男になり、遥は論文に忙殺される学生となった。顔を突き合わせたのは片手で数えられるほど。一つ屋根の下で生活を営んでいた日々が、遠い昔のことに思えた。

「えっと…こんばんは」

湯気の零れるコンビニ袋を提げた彼は、ぽりぽりと頭を掻きながら、照れくさそうに笑った。いざ面と向かってみると、何を言っていいかわからなくなるのだ。

「車、そこの駐車場に置いたんだけど…大丈夫か?」

「別に…誰も気にしない」

「そっか?」

革靴を脱いで廊下を進み、湊は遥の後をついてワンルームに入る。テーブルを占領するパソコンと論文の束に、彼はふふっと笑った。

「相変わらずだな」

「来週…雑誌会がある」

「ん、何だっけそれ?」

「…英語論文のまとめの…発表」

「読書感想文的な?」

全然違う。
パソコンを畳んで端に寄せ、その上に束を乗せてコンビニ食料を置くスペースを確保する。湊が嬉々として、買ったものをそこに広げ始めた。

「これピザまんな。で、こっちが俺の肉まん。これがおでん。大根とか適当に選んだから」

ここでくるりと振り返り、湊は少しだけ唇を尖らせる。

「夕飯まだって言ってたけど、いつもちゃんと食べてるのか?忙しいからって抜いたりしてない?」

「それは…」

もともとそれほど食に関心があったわけではない。体調に支障が出ないくらいの栄養は欲しいが、研究報告会や授業の課題などに追われ、食事を疎かにしてしまうこともなくはない。つい言い淀んでいると、湊にそっと両頬を包まれる。突然の接触に驚いた遥だが、むにむにと揉むように頬を摘ままれた。

「ほらぁ、ちょっと痩せたんじゃないか?定期的に体重計乗ってる?」

「乗るわけないだろ…」

湊と住んでいた時の体重計は洗面所に置いてあるが、ろくに測っていない。少しくらいなら増えようが減ろうがどうでもいいことだ。もー、と呆れた湊が半纏ごと遥を抱き締める。部活が終わるなり車を飛ばしてきたのだろう、触れたフリースからは制汗剤の匂いがした。

「…やっぱり心配だな」

耳元で落とされた声は沈んでいる。ぎゅっ、と力強く腕の中へ囚われ、遥は心ごと掴まれるような錯覚に陥った。この声も、感触も、温度も。五感全てが湊を知覚している。それだけで、咽び泣きたいほどの幸福感が押し寄せてくるなんて。
僅かな声を漏らして震える遥を胸に抱いて、湊もそっと、余裕の削がれた涙声を滲ませる。

「会いたかったよ…遥」

はるか、遥。
飽きるほど呼ばれた名前が、甘く胸の奥に沁み渡っていく。ずっと、こうされたかった。見つめ合って、触れ合って、当たり前のように名前を呼んでほしかった。
堪えるようにきゅっと結んでいた唇を呼吸ごと奪われ、欲されるままに舌を差し伸べる。

「――参ったな…。ご飯、先に食べようと、思ったんだけど…」

抱き寄せていた手は既に半纏を押し広げ、インナーに潜り込んでいた。外気に触れた肌がひやりとしたが、じきにどうでもよくなるほど火照るに違いない。
耳元を荒い息が掠める。ぞくりとした確かな痺れを呑み込んで、半ばで留まっていたフリースのジッパーを指先でなぞった。湊が切なそうにきゅっと喉を鳴らす。

「ああ、もう…」

食事をするなら、と昔の二人掛けソファをテーブルの前にセッティングしておいたのに。その奥のベッドに乱暴に引き倒され、脱げかけていた半纏を床に落とされる。期待でも何でもない。ほとんど確信に近い気持ちで、シャワーは既に浴びてあった。諸々の準備もそう。彼を迎える行為に、余計な柵はいらない。
貪るような口づけを前に、遥はそっと目をつむった。



「……怒ってる?」

深夜。
剥き出しの肌をさらりと撫でる毛布の感触を楽しんでいると、腹に回された腕でぐっと距離を縮められた。恐る恐る小声で顔色を窺われ、その神妙さに遥は小さく笑う。ついさっきまでは獰猛な狼よろしく人を組み敷いていたというのに、すんすんと髪に擦り寄る仕草は叱られた犬のようだ。

「別に。いつものことだろ」

「う。それはまぁ…否めないけど」

唇が髪の先を追いかけ、既に痕の散った首筋へ向かう。ちりっとした痛みでさえ、夢見心地の体には甘い刺激に等しい。向き合うようにゆっくりと寝返りを打てば、すっかり大人の男になった恋人がいる。やや短くなった髪に指を滑らせると、我慢の効かない駄犬はすぐに飛び付いてきた。そのまま触れる唇に、夜更けの気配を感じた。

【あと13時間】
目が覚めたのは思いの外早かった。何となく手を伸ばした先で、温もりが消えていることにはっとして起き上がる。が、台所から出汁の香りが運ばれると、遥はふぅと安堵の息を吐き出した。温め直したらしいコンビニおでんを手に、湊がキッチンからやって来た。

「おはよ。まだ寝ててもいいぞ?」

「……起きる」

「えー。昨日だいぶ無理し…いてっ」

室内スリッパを裸足でぐいぐいと踏みつければ、湊は大袈裟に痛がってみせる。顔は笑っているが。
遥はベッドを抜け出し、布団に掛けてあった半纏をのそのそと身につける。湊は平気だろうが、朝はこれとこたつがないと耐えられない。

「ご飯、昨日のだから献立がめちゃくちゃだけど…卵焼きも作ったし、ピザまんも蒸し直したから食べよう?」

テーブルの上にはコンビニおでんとコンビニチキン、中華まん、唯一の手作り卵焼き。本当にめちゃくちゃなアラカルトだ。しかし普段はもっとひどい食事――カロリーメイトならともかく、食べない時さえあるので遥も文句は言わない。おでんと中華まんが熱いので、先に卵焼きを口へ運ぶ。甘じょっぱい、懐かしい味だった。肉まんにかじりついた湊は苦笑を浮かべる。

「昼は、もっといいもの食べような」

どうでもいいテレビのニュース。カーテン全開の窓から降り注ぐ惜しみ無い陽光。狭いテーブルを陣取る雑多な嗜好品と、つやつやの卵焼き。寝間着のままの、やや寝不足な二人。

時間は進む。巻き戻してから、とてつもない早さで。

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